戦後、吉田茂の懐刀としてGHQと対等に渡り合った白洲次郎の生き方は痛快だ。
1940(昭和15年)
間もなく日米が開戦する。必ず日本は敗北する。
しかし、敗北経験のない日本は最後まで抗戦して、東京は焼け野原になるだろう。
そうなると、食料がなくなるから、俺は田舎で農業をやる。
そして1943(昭和18年)会社を辞めて東京郊外の鶴川に移住して農業を始めた。
利休梅
漸くこの花が咲き始めた。
ややくすんだような白の味わいが何とも好ましい。
花心が黄緑色で清々しさを感じる。
次郎は買い取った農家に「武相荘」(ぶあいそう)と名付けた。
鶴川が武蔵国と相模国の境に位置することからつけた名だが、本人の人当りにもかけたようで、なかなかユーモアがある。
少しキザないい方だが、
百姓をやってると、人間というものが、
いかにチッチャな、グウタラなもんかということがよくわかるから。
デージー(ひなぎく)
木漏れ日のある半日陰に適しているようで、こぼれ種でどんどん増える。
高温多湿に弱いというから北海道に向いているのだろう。
いいか地位が上がれば上がるほど、役得ではなく、役損だぞ。
よく覚えておけ。
働くものはいつも上を見ている。公私の区別をはっきりするんだぞ。
この言葉はかって帝国ホテルの社長を務めた犬丸一郎氏に授けた「プリンシプル」の一つ。
今の乱れ切った政界や官界にも十分当てはまる気がする。
タイム(ロンギーガウルス)
ちょうど今がピーク。この花が咲くと北海道にも夏がやって来る。