ユキさんの骨折で私の担当になっているのは、炊事・洗濯・掃除と言った家事だけではなく、買い物も重要な仕事。
色々な物を買いにいく際も、重い物が持てないユキさん1人で行かせる訳にはいかないのは当然なのだけれど、ちょっとした買い忘れとか、買い足しに行くと言う場合も、現状では自転車に乗る事も出来ないユキさんに行ってもらうより私が自転車でいた方が早く済む。
そんなちょっとしたお出掛け、お遣いも、私にとっては気晴らしになるので、喜んでお遣い(パシリ)を引き受ける様にしている。
「牛乳パック2本を買って来て」
「喜んで ♫」
と言う訳で、近所のドラックストア(牛乳は、此処の方がスーパーより安い)へ行く事に。
真っ直ぐ最短距離で向かわず、チョット遠回りし、「ユキさんの怪我が問題無く治る様」、自転車を漕ぎながらだけれど、神社の前を通る際にお願し、ドラッグストアに。
帰りもチョット遠回りして帰る。
写真は町田市との境を流れる境川の近くの榎の木と石塔。
写真で見た事は有るのだけれど、足を運んだのは初めて。
龍像寺入口バス停。
今回の目的地の榎もこの龍像寺も或る人物に縁が有る場所。
バス停の横は、『河本ファーム』と言う農家さん。
野菜や苗等の販売の他、いちご狩りも行っており、この日は飼っているヤギ2頭がフェンス沿いに居て、近所の方と思われる人が道路側から草をあげていました。
バス通りを進み、その先で右折して『大坂(おおざか)』を下り、右斜めに入る小路を行くと、突き当りに写真の木が見えてくる。
『縁切り榎』
看板には以下の様に記されている。
『縁切り榎とわかれ橋(中里橋)』
南北朝時代の伝説の地。淵辺義博は後醍醐天皇の皇子護良親王の殺害を主人から命じられましたが、代わりの首で主人をごまかし、親王を淵野辺の地(龍像寺裏山)にしばらくかくまっていました。
やがて、親王を奥州石巻(宮城県)に落ちのびさせるため、淵辺義博は境川沿いの榎の下で妻子と縁を切り境川の橋の上で別れを告げて旅立ったといいます。
後年、この榎を「縁切り榎」、橋を「わかれ橋(中里橋)」と呼ぶようになりました。」
この榎は後年植えられた物。
その横に庚申塔、地神塔が。
前方が境川で、橋は中里橋。
中里橋の袂から下流を望む。
散歩をされている方が多く、
「結構な人がこの川沿いの道を歩いているなぁ~」
と、感じました。
龍像寺の前にて。
この龍像寺は、この地で住民を苦しめていた大蛇を淵野辺義博が倒し、頭、胴体、尾の3つに分けて埋め、夫々の地に龍頭寺、龍像寺、龍尾寺を建てたそうです。
後にこの3つの寺は廃寺となりましたが、1556(弘治2)に龍像寺が再興されたとの事。
以上、淵野辺義博にまつわる地を廻る『ちょっと寄り道』でした。
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