紫の物語的解釈

漫画・ゲーム・アニメ等、さまざまなメディアにひそむ「物語」を抽出して解釈を加えてみようというブログです。

村上春樹と【オホーツクに消ゆ】

2010-01-25 22:48:48 | ゲーム全般
村上春樹の小説を読んでいると、昔のアドベンチャーゲームを思い出す。

と、いうのも、最近出た『1Q84』でも、『ダンス・ダンス・ダンス』でも、
主人公の身にさまざまなとりとめのない出来事が起こる。
知り合いが殺されたり、異空間に迷いこんだり、この先進むべき道を示す
暗示的な場面に遭遇したり・・・。

ところが、物語終盤になると「出来事」がぱったりと起こらなくなる。
主人公は、物語の進行を求めて、あっちへこっちへ奔走するのだが、
なかなか「出来事」は起こらない。
主人公は、どうすれば物語が進行するか考える。
そして、的外れな行動をとったりしてしまうのだ。

主人公が微妙に「物語」を意識するのも村上春樹作品の特徴ではないだろうか。
通常、物語の主人公は、自分が"物語のなかにいる"ことに自覚はない。
だが、村上春樹作品の主人公は、どことなく"物語のなかにいることを自覚している"フシがある。

まぁ、それはさておき、話を戻す。
昔のアドベンチャーゲームと村上春樹作品のどこが似ているか、
1987年に発売されたファミコンゲーム『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』を紹介しつつ、
言及していくことにする。




『オホーツクに消ゆ』では、プレイヤーは刑事となり殺人事件を捜査していくこととなる。
場面場面で、「ひと しらべろ」「ひとに きけ」などの捜査コマンドを選びながら、捜査をすすめていく。
システム的な話をすると、捜査していく上で"フラグを立てる"ことによって、
他の場面で話が進んだりするわけだ。



プレイした人は大抵ここで詰まったんじゃないかと思われる、摩周湖。
女子大生二人組が観光しているのだが・・・



捜査しているうちに、二人はいなくなる。
ここから、捜査がぱったり進展しなくなり、物語が進まなくなってしまうのである。
まさに、村上春樹状態。

どうやったら物語が進むんだと悩んだプレイヤーも多かったと思うが、
フタをあけてみれば、網走市内でトランプをすれば話が進むというオチ。

そんなん、わかるかー!




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