
何を書こうかなあ、いくらか書きたいネタあれどもう少しあっためたいなあとも。
まあ、いつものように筆まかせ。気ままに勝手に呟いていきましょう。
カフェでくつろいでいると、目の前を転びそうによろよろと歩く老人あり。杖代わりにもなるいま流行の、キャリーバッグを持って、いいえバッグにつかまるようにカフェに入ってきた老女を見て真っ先に思ったことは、危ないなあ、転びそうだなあということだった。
レジの前にて注文も済んだのだろう、老女はぼくの隣のソファに座った。やがてカフェの従業員だろうか、若い女の子が老女の注文した飲み物やケーキやパンをトレーに乗せて、老女の前にサービスする。老女の足が悪いと判断したのか、お店の特別の計らいらしかったが、隣のぼくは見るともなく、読み進めている本を眺めながら、それでもなんとなく老女の行為が視野に入っていたのだ。なにしろすぐ隣の席である。と、お店の若い女性は、シュガーはいるか、コーヒーに入れる小さな容器に入ったミルクは要るかと聞いたらしかった。その時の老女のはっきりと手で制した動きをちらりと視野に認め、ぼくは読みかけの本から目を離して、ううむと静かにうなリ出したくなったのだ、なぜかとってもさわやかな気持ちになったのだった。
話はそれだけであります。
プラスチック容器に入ったミルクもどき、コーヒーフレッシュ、と書いたら特定の商品名になるのだろうか、
とにかくあのミルクもどきにはずうっと腹が立っているのである。ぼくの場合で言えば、必ず言葉でいちいち砂糖はもらいます。ミルクは要りませんというようにしている。あんなもの、ミルクもどきのしかしその正体は、水と油と乳化剤の、食品添加物だらけ、通称コーヒーフレッシュはいりませんときっぱりというべきところだが、通常レジは混んでいて、そんなふうに言う勇気もなければ、ぼくも十分に日本の都市における市民生活の快適な生き方を知らないわけでもない。丸くやんわりと拒否するのがせいぜいである。
老女はきっぱりと、コーヒーフレッシュを 断乎として、手で制したのであった。要りません、と。
ああ、愉快だなあ、なんとなく老女に話しかけてみたくなったが、それだけはかろうじてやめてぼくは本を読み続けた。
写真・文 石郷岡まさを
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