gooブログはじめました!散歩写真の達人 石ちゃんのフォトエッセイ ーーー30年の私写真散歩 少しずつお見せしましょう。

「東京原色図鑑」散歩とスナップ写真1万点。
80年代の東京も。大好きな写真家に、濱谷浩、石元泰博、森山大道氏等。

カメまんだらだら石ちゃん散歩  こんな写真も・・・販売開始。

2016年05月07日 | 呆け防止
 ぼくは、1983年に勤め人から思い切って跳んだ。

会社員から、フリーの職業に、ジャンプしたのだ。

嗚呼、あれから33年目にあたる今年。

好きのことを仕事にする危険は、リスクはわかっていたが、
当時の親友に相談すると、答えは、こうだった。

 「好きなことをやればいいよ。」

だから、ぼくは決心した。

危険、リスクを考えるよりも
それよりも勝手に思い描く情熱が後押ししたのだ。

 爾来、33年目を迎える。

ここ十数年は、もう意地になって同じことをやっているとしか思えない。



 森山大道氏を、数回時間を掛けてインタビュ-をしたことがあった。

当時からもうプライベートなスナップ写真のパワーで、独自の位置を占めていた人である。

しかし、今から思うと、台所事情はきっと大変だったのだ。

今でも、記憶にあるのは、

「たばこ銭さえあれば、いいんです。」と言う一言だった。
シリアスな写真を撮るカメラマンには、生活苦と言う圧迫がつきもので、
多くはほかに仕事を持ちながら、シリアスな写真を撮っているのだ。

 たばこ銭さえ・・・の一言には、どうせ好きなことをやっているのだもの
という、前提問題がどうやらありそうだった。

 当時、日本の株価は、どんどん上がり、ついにバブル経済が頂点を極める頃、ぼくもカメラマンとしてまあまあ忙しかったのだ。

 と言ってもコマーシャル方面のカメラマンでもなく、苦しくともコマーシャルカメラマンだけはいやだと思っていた。

 最初から雑誌の世界でがんばるつもりだった。

だから、コマーシャルの世界でちゃらちゃらしているフォトグラファーをどこかで軽蔑していたと思うなあ、ぼくは。

 武士は食わねど・・・、と言うやせ我慢の姿勢が当時のシリアスなカメラマンにはあったと想像する。その点ぼくは折中派なのか、日和見主義らしくいろんな雑誌に売り込んで開拓をしていた。

ある日に、( 個展をやったあとだと思うが、)
ストックフォトと言うものがあり、何でもその業界では結構な売り上げになっているらしかった。
なかでも、1980年代後半は、さらに新しいストックフォトの流れが勃興しつつあり、ぼくはカメラマン仲間から聞いた A社はまさしく新しい潮流のストックフォトだったのだ。

 今日はここまでにしましょう。







 フォト・文 石郷岡まさを