春めいてきましたね。
思春期とか、青春とか、春の目覚めとか・・・
なぜ、十代の少年や少女を指す年頃に 春 という字を当てるのでしょうか。
性的な差異があらわになってくることと、春という字との関係は?
というお噂はさておいても、ぼくにも13歳とか、16歳の頃がありました。
毎日、性的なことを考えていたような気がするのです。なんとなくですが・・・
胸が膨らんだとか、乳房という文字を見ただけで、そんな言葉だけで暴発しそうなころ。
特に病的な性的病者ということではなかったと思うが、普段の生活では隠されていただけに
悶々としていたような気がするんですね。
まあ、ごく普通の十代の青年前期を送ったということでしょうね。
あれから、50年、とてもとても信じられません。
最近の時事ニュースで言えば、政治家を志すあるお人の不倫疑惑がばれたり、おなじく
ある候補予定の女性の恋人が、女性を集めて性的な許されないビジネスを行っていたことが明らかになり
批判されていることとか、また現職の議員の方が不倫を行っていたとか、ある立派な職業の女性を貶めるような発言をしたとか、まあ、政治家を目指すかたがたってこんなに酷いのかというようなニュースが次々と出てきた中で、ぼくが一番許せないと思ったのは、いきなり、暴力を振るった議員でありました。
性的なこと、とは吉本隆明にいわせれば、対幻想 ということだったか、といってもよくわからんのですねえ。フロイトの言うように、何でもかんでも性的な象徴に関係があるといわれるほうがまだ理解もできそうで。フロイトに言わせれば、靴は女性の象徴であり、靴をはく足は、男性のシンボルだったでしょうか?
この間亡くなった 野坂昭如氏の文体は、セクシーだと思ったし、その前に亡くなった小沢昭一という役者さんのお仕事にも、ずいぶん性的なものを感じたりした。脇役として憎いくらい渋い役を演じてきた 小沢昭一という役者が 此の間偶然見た、東宝の喜劇映画、森繁演じる日本の社長シリーズに 会社員の秘書役として出ているのを知って、びっくりしたなあ。癖のある脇役というところばかり印象に残っていたが、こんな役もやっていたのかあ、あらためておもいましたね。どうも、ラジオの 小沢昭一の小沢昭一的こころ のイメージが強すぎるようだ、ぼくには。
芸術表現と性的な描写って、深く関係しているのだろうか。
( どうもまとまりの悪い、へんてこな文になりました。)
フォト・文 石郷岡まさを