吉松真幸のボランティア報告書

鹿児島在住、吉松真幸(仮)の東日本大震災ボランティアレポート ボランティアから帰っても、他の形の被災地支援を模索中。

ボランティアいろいろ

2011-04-06 12:20:10 | ボランティア
いま、仙台から山形に移動中のバスの中で、ブログ更新中。

東北道上りは、工事の影響で、村田ジャンクション手前で大渋滞。

さて今回のボランティア活動を通して、いろんなボランティアの方々と知り合った。

まず一番に、Kさんと親しくなった。
ほぼ同じ時期にテント村に来て、しかもテントが隣同士という縁で、毎朝一緒にボラセンに行き、班は違うことはあっても、ほぼ同じ地区で汗を流した。
僕より少し年上で、気さくで、面倒見がよくて、何かとお世話になった。
Kさんがいなければ、僕は悲惨な被災状況の繁華街での活動で心が折れて、石巻から逃げ出していたかもしれない。
東京から自転車で6日かけてやって来たKさん、3か月の予定で活動するという。
職業は、仏画の修行もされたアーティスト。
今回の地震と大津波で、お客さんもたくさん被災されたということで、駆けつけたという。

次にTさんは、阪神大震災、中越沖地震など、大災害があるととにかく駆けつける、年配の大ベテラン。
「ボランティアしてあげる、ではなく、させていただく」の精神を、身を持って教えてくれた方。
気さくで陽気な人柄で、そして誰からも信頼されていて、「ついて来い」と言わなくても、自然と人が付いていく。
だから、本人の知らないうちに、勝手にリーダーに担ぎ上げられるということもある。
車の車検がある、ということで、帰京された。

Kさんのテントから見て、僕と反対側のテントにいたのが、北海道から来られたIさん。
毎日、どこかに、一日の活動報告と、現地の道路事情、買い物事情、ガソリンの入手事情など、細かく電話で報告するのが、僕のテントまで筒抜けだった。
3日か4日ほど活動して、北海道に帰っていった。
仲間たちと、今度は3週間ほどの日程で、改めてボランティアに来られるという。
どうやら、先行調査に来たものらしい。

地元石巻ゆかりのボランティアも、多かった。
石巻専修大学の学生さんも、何人もいた。
ある学生さんは、自宅アパートが住めなくなったので、彼女のアパートから通って来ていた(ぉぃぉぃ)
また、石巻専修大学の卒業生で、ボランティアに参加している方もいた。
社会人も。
ある方は、会社が流されて、会社の誰とも連絡が付かなくなって、しょうがないから、せめて地元のためにと参加されていた。

神戸や、新潟からの参加者も多かった。
自分のところがお世話になったお礼だ、という声を聞いた。

雨降って地固まる、ではないけれど、この未曽有の大災害に、せめてもの救いを求めるならば、この日本では壊れかけていた人と人の絆が、改めて強まったことだろうか。
…直接被災していない者の、勝手な考えだという批判も覚悟で言うならば。


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