吉松真幸のボランティア報告書

鹿児島在住、吉松真幸(仮)の東日本大震災ボランティアレポート ボランティアから帰っても、他の形の被災地支援を模索中。

地震さえなければ

2011-03-31 18:32:27 | 日記
ボラセンでのマッチングまでの待ち時間に、フジテレビのスーパーニュースのインタビューを受けた。

他にも何人か同様にインタビューを受けていたから、僕のカオが電波に乗るかは分からない。

リポーターに、
「どうしてボランティアしようと思ったのですか?」
と聞かれ、
「もともと有給を取って、三陸地方を旅行して回ろうと思っていたら、地震でキャンセルになってしまったのですが、そのままこっちに来ました」
みたいな事を答えた。

「困ったときはお互い様だから、東北の方々が立ち直ろうとするのを、お手伝いさせて頂くために来ました」
とか、テレビ受けしそうなことは、たとえ思っていても、言わなかった。

本当は、以前このブログに書いたように、思い入れのある、大好きな東北が大変なことになっているのを助けようと思って、ボランティアに来たのだ。

けれど、三陸地方をゆっくり回ってみようと思っていたのも事実だ。

地震さえなければ、まだ乗ったことのない三陸鉄道の旅を楽しみ、おいしい魚を食べていたはずだ。

地震がそれをパーにしたのだ。

もう一つ、「地震さえなければ…」と思うことが、僕にはある。

3月11日の午後、僕は一枚の絵を描き始めた。
勤め先の、春のキャンペーンのカタログを入れる封筒のオモテ面を飾る絵。

岡村孝子の歌「風は海から」のイメージで(本当はこれは夏の歌だけど)、春らしく桜の咲く、海を望む丘の風景を描いた。

描き始めたときは、まだ地震が起こっていなかった。

ところが、描きあげて上機嫌で事務所に持っていった時には、津波が東日本の沿岸を襲っていた。

津波を連想させる、ということで、この絵はお蔵入りになってしまったのだ。

地震で全てを失った方々の悲しみ苦しみと比べたら、どうでもいい些細なことだろう。

だけど…
本当に、地震さえなければ!

テント倒壊(笑)

2011-03-31 17:43:00 | 日記
面倒だから、僕はテントをペグで固定しないでいた。

その代わり、テントを空けるときは、内側の4隅に、ザックや水タンクの重量物を置いておくことにしていた。

夜寝るときは、荷物を全部、入り口の反対側にまとめて、横になるスペースを作る。

ところが、夜寝る時の状態にしたまま、作業に出てしまった。

しかも、今日は不安定な天気で、突風も吹いた。

さらに、風がテントの入り口に吹き付ける風向きだった。

重しがなくて軽くなっていた入り口側が持ち上がる形で、横倒しになってしまったのだ。

気をつけることにしよう。

本日の作業

2011-03-31 17:29:11 | 活動報告
今日も昨日に引き続き、保育園中庭のヘドロ除去。

マッチングの時、昨日に引き続きこの現場を希望すると手を挙げたのが、僕を含めて10人ほど。

「リーダーは誰にしますかぁ?」
ボラセンのスタッフさんの呼びかけに、みんな
「Tさんでしょう」
というわけで、全員の意見が一致し、昨日に続いてTさんがリーダーに決定。
皆の間に笑いが起こった。
実は当のTさんは、息子さんを残して、トイレに行っていて、その場にいなかったのだ。

すぐに戻ってきたTさんは、
「ええ?また俺のいない間に」
と言いながら、笑っていた。

(大丈夫、任せろ)
と言っているように僕には見えたし、実際、グループのメンバーから信頼されていた。

さらに今日からボランティアを始めるという方々4人がさらに加わり、15人のメンバーでマイクロバスに乗り、現場へ。

朝から雨がちで、現場ではヘドロも再び水を吸って重くなっていた。

この現場は今日で3日目(僕は2日目)で、昨日よりも皆無口になって、ヘドロを土嚢袋に詰めていった。

しかし休憩時間や昼食時には和気あいあいと談笑した。
もう互いに気心が知れていた。

保育士さんたち職員の方々も、教室内や玄関の泥汚れを洗い流していた。

夕方近くなり、作業終了。
あと1日でなんとか終わりそうなめどがついた。

今日もまた朝がきた

2011-03-31 05:53:19 | 日記
昼間、立ち働いている間は気が付かないけれど、夜、テントの中で横になっていると、余震に気がつく。

昨夜は、震度3をはじめとして2回、感じた。

一昨日の晩は、震度4があった。

それでも、今日も朝がやってきた。

今日も一日がんばります。

そういえば

2011-03-30 17:42:15 | 日記
作業中、日経新聞の記者さんが取材に来て、インタビューして、写真を撮っていった。

リーダーの方をはじめ、何人かが、救援物資や人の偏りの事など、切実な、伝えずにおれない事を、記者さんに訴えていた。

果たしてどこまで伝えてくれるだろうか…?

今日は終了

2011-03-30 17:34:01 | 日記
今日の作業は15時までだった。

ひたすらヘドロをすくい続けていたから、腕や腰が痛い。

作業を通して、あるいは作業の合間に、現場でしか知ることのできないこと、知っていても実感を持って受け止められないこと、その類のことを、いろいろ知ることができた。

例えば、すでに書いた、地域によるボランティアの偏り、とか。

今日一日で知ったことは、とても1日でここに書ききれないし、考えを整理してから書きたいこともある。

そういうことも、これからおいおい書いていきたい。

とにかく人が足りない!

2011-03-30 17:18:52 | ボランティアの制度的なこと
現地に行く前には、僕のような、いざというときに使える資格や特技を持っていない者が、のこのこ行って、果たしてする事があるだろうか? という不安があった。

全くの杞憂だった。

石巻は、とにかく人手が足りない状況だ。

ボランティアのテント村にいる人数は、2、3百人は下らないだろう。
あるいは、もっといるかもしれない。

けれど、ボラセンが受けた、ボランティアに来てほしいという要望は、今朝の段階で500件以上だという。

どう見ても、マンパワーが足りそうにない。

しかも、これから生活再建の動きが加速すると、ますますボランティアの依頼は増えるだろうという。
さらに、新学期が始まれば、学生のボランティアが帰ってしまうだろうともいう。

一方で、仙台市の一部のボラセンでは、人員が必要な数に達したので、新規の登録を中止したと聞いた。

ボランティアが足りている地域がある一方で、人が足りない地域もあるという情報は、知られているのだろうか?

足りているところから足りないところへ融通する仕組みはないのだろうか?
もしなければ、どこが音頭をとって仕組み作りをしていかなければならないのだろうか?

派遣先の保育園で

2011-03-30 17:18:10 | 被災地の状況
2階建ての保育園は、1階部分が水没した。

職員の方々により、教室内の泥は、あらかた外に出されていたが、床板を張り直さないと利用できないだろうと、職員の方が言っていた。

絵本、人形、鍵盤ハーモニカ、クレヨンなど教材は、泥まみれになって、教室の前に積まれていた。

保護者の方が子供を預けて復旧作業に専念できるよう、一日も早く園を再開させたいが……
職員の方は言われていたが、それにはせめて替えの教材が必要で、給食ができるよう、調理設備や、年少さんのためにエアコンもほしい、との事だった。

しかし、今の現状からみて、それが厳しいことは、僕のような者にも明らかだった。

今日のボランティア派遣先

2011-03-30 17:17:26 | 活動報告
ほぼ即製された、僕たちのグループが向かったのは、市街地にある保育園。

早く保育園が再開して、保護者の方々が子供を預けられるようになると、地域の復旧、復興のスピードが上げられる、ということだった。

その保育園のある一帯は、大人の背丈を超えるくらいの津波がやってきた。
道路には、まだ撤去できないがれきやごみ、車が積み重なり、道の両側をふさいでいた。
乗用車が3台重なったままになったところもあった。

作業内容は、保育園の庭に溜まったヘドロの除去作業。
シャベルでヘドロをすくって、土嚢袋に詰め、庭の片隅に積んでいく。
ヘドロの厚さは平均して10センチくらい。
表面だけは乾いているが、中は水分をタップリ含んでいて、しかも重油を含んでいて、重かった。

ヘドロの上には、大小さまざまな魚が死んで、腐っていた。
ヘドロの中には、どこかから流れてきた衣類や靴、雑貨のようなものも埋まっていた。
ヘドロ特有の臭いと重油の匂いが混ざって、鼻を突いた。

とにかく重労働。
初めはみんな話をしながら作業していたが、だんだんと誰も無口になっていった。
ばててしまってはいけないので、適宜休憩が挟まれた。
「それじゃ休憩しましょうか~」
というリーダーの声を、「天の声」と表現した方がいたが、まさにそうだった。

ボランティア受付から現場への派遣まで

2011-03-30 17:15:04 | ボランティア
石巻の場合、ボランティアセンターは、石巻専修大学構内に置かれている。

ボランティアセンター(ボラセン)は、ボランティアを希望する側と、ボランティアの派遣を要望する側との間を調整する組織だ。
社会福祉協会が運営している。

石巻ボラセンの受付開始は9時からとなっていたが、実際には8時半には開いた。

ボランティア希望書のような書類に、住所、氏名、生年月日、血液型、緊急連絡先、職業の種別、資格などを記入する。

受付の済んだ者から、待機場所に移動。

そこには、受付とは別のスタッフの方がいて、マッチングが行われる。
要は、ボランティア希望者の誰がどこへ行くか、決めていくのだ。

僕の場合、こうだった。
スタッフが、
「昨日○○保育園に行かれた方いませんか」
と呼びかけ、10人ほどが手を挙げた。
続いて、
「他に行こうと希望される方はいませんか」
と呼びかけ、僕を含めた数人か、手を挙げた。

それで、メンバー決定。
昨日もそこに行った方々の中からリーダーが選ばれ、すぐにマイクロバスに乗り込んで、現場に向かった。