吉松真幸のボランティア報告書

鹿児島在住、吉松真幸(仮)の東日本大震災ボランティアレポート ボランティアから帰っても、他の形の被災地支援を模索中。

乱立するボランティア団体

2011-04-01 18:01:18 | ボランティアの制度的なこと
僕は、現地の社会福祉協議会のボランティアセンター(ボラセン)を通して、活動している。

僕のような個人のボランティアは、数人単位のグループに分けられる。

その中から一人、リーダーが選ばれる。
リーダーは、ボラセンから活動指示書のようなものを渡される。
どこに行って、何をするのか、が書いてある。
そして、それ以上のことはしてはならない事になっている(トラブルや事故を防ぐため)。

午前、指示通りの活動を終え、僕たち3グループ20人余は、迎えのバスに乗った。
そして、石巻駅前の駐車場で降ろされた。

そこは、日本財団が拠点を設けているようだった。
そこで指示を仰ぐように、と、それぞれのリーダーはボラセンから電話で指示を受けていたようだった。

重装備の救援活動のプロみたいな男性職員は、困惑して、無線機でどこかに何か聞いていたが、私たちをどうすればいいのか、さっぱり分からないようだった。

駐車場には、日本財団が集めた学生ボランティアだろうか、若者たちがきちんと整列していた。
明らかに統制が取れている彼らに対して、僕たちは年齢もバラバラ、服装や装備もバラバラだった。
僕は、彼らに比べると、さながら雑兵みたいに思われて、なんだか惨めな気分になった。

リーダーがボラセン本部と連絡を試みたが、連絡が取れなくなってしまったようだ。

運転手さんは、
「ここまで連れてくるように言われた」
とだけ言った。

日本財団のプロの男性が、作戦地図みたいなものを持ってきて、言った。
「それじゃあ、この地区まで行ってもらえますか?そして、住民の方が片付けてるところを見つけて、お手伝いしていってください」

僕たちは戸惑った。
リーダーや、リーダー経験者たちは、もっと戸惑った。

僕たちは、一軒ごとに指示書を受けて、一軒ごとに活動していくよう、ルール付けられている。
そんな、片っ端から作業していくのは、ルール違反だ。

僕たちの中の、リーダーかリーダー経験者かの誰かが声を上げた。
「撤収、撤収だよ!」
…というわけで、僕たちはボラセンに戻った。

災害の規模が大きすぎて、ボラセン側も手が回りきっていないのではないか?
そんな事を言う人がいた。

いろんな団体が、それぞれ別個に活動していて、全体の統制がとれていないのではないか、そう言う人もいた。
確かに、いろんな、中には政治や宗教を背負った団体が、めいめいに活動しているという印象は、僕も持っていた。
僕たちが昨日まで担当していて、今日終わらせるつもりでいた保育園も、韓国の宗教団体が終わらせてしまった。

今回の震災に際して、そんな団体をまとめる組織が、つい先日、発足したはずだが……それで横の連絡ができつつあるから、今度の混乱みたいなことが起こったのではないか?
そんな見方もあった。

少なくとも、ボランティア団体の横のつながりを、もっと強固なものにする、連絡会議か、調整機関のようなものが、平時から置かれていた方が良さそうに思われる。


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