不眠閑話

政治、経済、教育、文化、社会、時事など。殆どは旧ブログからのコピペ・転載です。

【再掲】好きな短歌

2022-07-14 21:27:39 | 文学
好きな短歌。メモ

【坪野哲久】
・ツルハシ担いでのつそりはいつたのでびつくらしたかお神さんおどおどすることあねえおれはガス屋だ (歌集「九月一日より)
  
・ガス屋だと思つて気を許してゐる奴等お前らの仕合を見つめてゐるおれの熱い眼だ見ろ! (歌集「九月一日より)
  
・母よ母よ息ふとぶととはきたまへ夜天は炎(も)えて雪ふらすなり (歌集「百花(びゃくげ)」より)
   
・死にゆくは醜悪を超えてきびしけれ百花を撒かん人の子われは (歌集「百花(びゃくげ)」より)
   
・存分に料理してくれろとわめきちらすさびしきものをわれ秘(かく)し持つ (歌集「百花(びゃくげ)」より)
   
・たましいのやすらわぬこそいのちなれ煩悩具足八十二歳 (歌集「方丈旦暮」より)  
   

【坂口弘】
・リンチへの彼の抗議に揺らぎつつ揺らぎを隠しさらに撲りぬ (歌集「坂口弘歌稿」より)
   
・リンチせし皆が自分を総括すレモンの滓を搾るがごとくに (歌集「坂口弘歌稿」より)
   

【斎藤史】
・暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた (歌集「魚歌」より)
   

【沢口芙美】
・大夕焼けに川あかあかと流れゆく醒めて狂へる心あるべし (歌集「フェベ」より)
   
・おどろきの表情のこる煮魚の目よりこぼれむとする白き玉 (歌集「フェベ」より)
   
・血ににぶる包丁の刃をふきぬぐひ魚の身さらに切り分けてゆく (歌集「フェベ」より)
   
  
【佐々木幸綱】
・久々に人を殴りし拳の血驚愕に似て新鮮なりし (歌集「直立せよ一行の詞」より)
   
・しっ、静かにっ! 春画の女の生き様び生き生きとして贅肉厚し (歌集「直立せよ一行の詞」より)
   
・肉が肉生み恥が恥生むかなしさの水際に立ちて歌わんものを (歌集「直立せよ一行の詞」より)

種田山頭火

2022-07-13 22:39:32 | 文学
種田山頭火(たねだ さんとうか)について
     
【作 家】
種田山頭火(1882-1940)は、山口県に大地主の長男として生まれる。幼いころから秀才で、早稲田大学に入学するも、神経衰弱が嵩じて退学。のち、萩原井泉水門下の同人となり、「層雲」に自由律俳句を投稿するや、たちまち頭角をあらわし、文名が高まる。もっとも、その間、父が事業に失敗して破産したり、自らの経営する書店が倒産する等の問題があり、次第に酒におぼれるようにもなった。その後、雲水姿で各地を放浪しながら、句作に励むようになる。享年58歳。
      
【俳 句】 
分け入つても分け入つても青い山
      
まっすぐな道でさみしい
     
しぐるるや死なないでいる
    
雪がふるふる雪見てをれば
    
どうしようもないわたしが歩いている
      
酔うてこおろぎといっしょに寝ていたよ
      
ついてくる犬よおまえも宿なしか
    
殺した虫をしみじみ見ている
    
月が昇つて何を待つでもなく
     
風の中おのれを責めつつ歩く
       
月のあかるさはどこを爆撃していることか
      
休んでゆこう虫のないているここで
       
こんなよい月をひとりで観て寝る
     
お天気がよすぎる独りぼっち
      
秋風、行きたい方へ行けるところまで
     
※  ※  ※
【随 筆】
地獄から来た男は走らない、叫ばない。黙って地上を見詰めつつ歩む
      
自分の道を歩む人に堕落はない。彼にとっては、天国に昇ろうとまた地獄に堕ちようとそれは何でもないことである、道中に於けるそれぞれの宿割にすぎない。
      
ほんとうに苦しみつつある人は、救われるとか救われないとかいうことを考えない。そういう外的な事を考えるような余裕がないのである。
       
苦痛は人生を具象化する
              
涙が涸れてしまわなければ、少くとも涙が頬を流れないようにならなければ、孤独の尊厳は解らない。
        
傷つけられて――傷つけられることによって生きてゆくものがある
       
自己の醜劣に堪え得なくなって、そして初めて自己の真実を見出し得るようになる
        
正しきものは苦しまざるを得ない。正しきものは、苦しめば苦しむほど正しくなる。苦痛は思想を深め生活を強くする。苦痛は生を浄化する。
          
生命ある作品とは必然性を有する作品である。必然性は人間性のどん底にある
        
道は非凡を求むるところになくして、平凡を行ずることにある。漸々修学から一超直入が生れるのである。飛躍の母胎は沈潜である
        
本来の愚に帰れ、そしてその愚を守れ

【再掲】オマル・ハイヤーム「ルバイヤート」

2022-07-12 14:00:14 | 文学
私のお気に入りの本。それはオマル・ハイヤームの「ルバイヤート」
       
この本は、いわゆる<四行詩>とよばれる短い歌(?)が、たくさん載っているものであるが、一つ一つの歌に警句のような鋭い意味があって、断片的な歌(四行詩)をいくつか読んでいくと、作者の深い人生哲学の全貌が、うっすらと伝わって来る仕掛けになっている。
        
また、短い歌がたくさん載っているものなので、好きな時間に好きなページを読めるのもいい。――とても気楽に読める本で、かつためになる。
     
岩波文庫から出ているが、多分まだ絶版にはなっていないと思うので、興味のある方は、読んでみたら如何?
      
参考程度に、いくつか好きな歌を紹介しておこう。
     
以下、「ルバイヤート」からの抜粋。
      
 ※  ※  ※
創世の神秘は君もわれにもわからない。
その謎は君やわれには解けない。
何を言い合おうと幕の外のこと、
その幕がおりたらわれらは形もない。(7)  
                  
 ※  ※  ※
われらが来たり行ったりするこの世の中、
それはおしまいもなし、はじめもなかった。
答えようとて誰にはっきり答えられよう――
 われらはどこから来てどこへ行くやら?(10)
               
 ※  ※  ※
もともと無理やりつれ出された世界なんだ、
生きてなやみのほか得るところ何があったか?
今は、何のために来り住みそして去るのやら
わかりもしないで、しぶしぶ世を去るのだ!(2)         
                    
 ※  ※  ※
魂よ、謎を解くことはお前には出来ない。
さかしい知者の立場になることは出来ない。
せめては酒と盃でこの世に楽土をひらこう。
死んだからって俺たちが、天国に行けるとは決まっちゃいない。(4)         
                      
 ※  ※  ※
この道を歩んで行った人達は、ねえ酒姫(サーキィ)
もうあの誇らしい地のふところに臥したよ。
酒をのんで、おれの言うことをききたまえ――
 あの人達の言ったことはすべて風だよ(13)
                       
 ※  ※  ※
わが宗旨はうんと酒をのんでたのしむこと、
わが信条は正信と邪教の争いをはなれること。
久遠の花嫁に欲しい形見は何かときいたら、
答えて言ったよ――君が心のよろこびをと。(75)
                  
※一部、表現を変えた箇所もあり

【再掲】三島由紀夫の演説

2022-07-11 20:46:17 | 文学
三島由紀夫の文学については、昔、後輩のフランス人が必死になって読んでいたのが、やたら印象に残っている。
     
三島文学は、私も一時期読んでいたが、逆説でひねりまくった「倒錯的な人工美」の世界(作風)だったと記憶している。
     
もっとも、私にとって三島のなかで一番好きな言葉は、作品中のものではなく、氏が自決する時に行った演説になる。以下、そんな三島の演説(一部)を記しておこう。
     
×    ×    ×
「…自衛隊にとって建軍の本義とは何だ。日本を守ること。日本を守るとは何だ。日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである。お前ら聞けえ、聞けえ、静かにせい! 静かにせい! 話を聞けっ! 男一匹が命を賭けて諸君に訴えているんだぞ!…
(略)
諸君は武士だろう。武士ならばだ。自分を否定する憲法をどうして守るんだ。…自衛隊は違憲なんだ。貴様たちも違憲だ。…諸君の中に、一人でも俺と一緒に起つ奴はいないのか!
(略)
それでも武士か! それでも武士か!…これで俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ。…」
――三沢知廉「天皇ごっこ」(379頁)
    
※  ※  ※
このような言葉がとても好きである。

共感するか否かは読者に任せるが、50年前にすでに今の日本の状況-―アメリカの奴隷になり下がっている今の日本の状況――を予見している点は、本当にすごいと思う…

俺も連れていってくれ、三島……(´;ω;`)
三島由紀夫の演説↓
https://youtu.be/xG-bZw2rF9o

【再掲】ボブ・ディラン

2022-07-09 22:19:20 | 文学
以下に引用するのは、旧ブログ(現在は閉鎖)の2016年8月3日午前1:00の記事である。
        
話題はボブ・ディランだが、この記事を書いて、しばらく後、ディランはノーベル文学賞を受賞した。
            
偶然だと思うが、恐ろしい偶然である。――それとも、ノーベル賞の選考委員は、私のブログ(誰も訪問客のいないブログ)を、チェックしていたとでもいうのだろうか? いまだに謎はつきない。 しかし、ディランの文学的価値を、ノーベル賞受賞前に見抜いていた我が眼力を、誰かに伝えたかったので、ここに転載しておく。以下、引用。
      
              
※  ※  ※
歌には、あまり興味がない。
       
昔は色々聞いていたが、今は(真面目に鑑賞するなら)、洋楽だと、ボブ・ディランとか、ビートルズなんかを、たまに聞く程度でしかない。
       
もっとも、聞かないといっても、自分なりの歌へのこだわりがないわけではない。
             
では、私の歌へのこだわりとは何か?――というと、それは「詞」になる。どんなに音楽性が優れていても、「詞」がチープだと、内容の薄っぺらい歌のように思えてしまう。
         
実際――大げさな言い方をするが――、随分前から、私にとって歌とは音楽というより、文学になっている。――歌の本義は、メロディーラインのついた言葉であって、言葉のついたメロディーではないのだと思う。
        
以下、佐野元春のボブ・ディラン評をみよう。
       
※  ※  ※
ディランは大学の教室や教授たちから詞を解き放ち、街の中へと放り出したひとりの優れた詩人だった。僕は彼の詞をボードレールの影響を非常に受けた「都市の詞」あるいは「恐怖詞」と捉えている。あるいはイギリスの詩人エリオットの影響も指摘できるだろう。(略)そして『地下室』『ブロンド・オン・ブロンド』、これらはディランがかつて熟読したであろうランボー的な部分が見え隠れするアルバムだ。というのも、ランボーの詩集によく出てくる表現と酷似した部分が随所にみられるからだ。だから僕はよく想像した。ディランはきっと若い頃、ランボーのあの詩のこの一節に赤線を引いていたに違いないとね。当時の僕にとってディランの表現から何かを学ぶということは、すなわちランボーを読み返すことであったし、プレヴェールやロートレモアンを読み返すことだったーー佐野元春『ハートランドからの手紙』  
※  ※  ※
   
ここで佐野元春は、ボブ・ディランの作品に、ボードレールやランボーの詩からの影響を指摘しているが、「さもありなん」という気がする。
      
文学は人間の生き方を探求する。――佐野元春のこうした文章は、「歌もまた文学である」ということを、私に教えてくれたのであった。
              
※  ※  ※
Bob Dylan ‟Blowin' In The Wind“(「風に吹かれて」)
    
How many roads must a man walk down
(どれほどの道を歩かねばならぬのか)
Before you call him a man?
(男と呼ばれるために)
Yes, 'n' how many seas must a white dovesail
(どれほど鳩は飛び続けねばならぬのか)
Before she sleeps in the sand?
(砂の上で安らげるために)
Yes, 'n' how many times must the cannonballs fly
(どれほどの弾がうたれねばならぬのか)
Before they're forever banned?
(殺戮をやめさせるために)
The answer, my friend, is blowin' in thewind,
(その答えは――友よ――風に吹かれている。)
The answer is blowin' in the wind.
(答えは風に吹かれている。)