不眠閑話

政治、経済、教育、文化、社会、時事など。殆どは旧ブログからのコピペ・転載です。

【再掲】寿命

2022-07-04 20:24:03 | 思索・雑感
【対話】寿命
      
「昔は人生50年といっていたけど、今は人生100年時代で、なんというか、まあ、結構な時代になりましたねえ?」
         
「どこが結構ですか。人生なんて50年もあれば十分ですよ。」
       
「なにを仰る? 今の時代、40〜50歳はまだまだ若手ですよ。政治家をご覧なさいな」
      
「全くもって、私には有難迷惑な風潮ですね。そもそもですよ? こんな世の中に生まれてきた事がですよ? 罰ゲームみたいなもんじゃないですか? あなた。」
      
「何が罰ゲームですか? あなたなんか、本読んだり。美術館行ったり。好きな事したり。ワガママ放題に生きているくせに、世の中を悪く言ったら、罰があたりますよ」
      
「なーに、見た目が違うだけで、苦しみは皆と同じですよ。差別、イジメ、貧困、格差、マウント、詐欺……酷いもんですよ。私も例外なく、そういうものを経験させて頂いてますよ」
      
「あなた。そうやってネガティブな所ばかり見ないで、もっとポジティブな所を見なさいよ。美味しい料理。充実したレジャー。愛すべき人達。豊かな蔵書。美しい芸術。世の中まだまだ捨てたもんじゃないわよ。人生を楽しまないのは、神様に失礼よ」
   
「ほほぅ、あんたは何もわかっていない。」
   
「何がよ?」
   
「人生の本質や、日本の未来が、ですよ。あなたの言う『楽しい』は、私に言わせれば、ただの水泡(バブル)ですよ。人の世の本質は『悲しみ』です。何をしたって『悲しみ』が付き纏ってきます。それが人生だからでもあるんですよ。」
   
「あー。辛気臭い奴だ。イヤな奴だ。あんたこそ、何も分かっちゃいない。文学なんて陰気なものは捨てちゃいなさい。もっと即物的に生きなさいよ。人生を楽しんで楽しんで、100年でも200年でも、図々しく生きて『あー、楽しかった』で死ぬ。それこそ、造物主たる神様が、私達に求めているものだと思うけど?」
     
「あー。やだやだ。私は神様なんか大嫌い。こんな苦しみの多い、イヤな世にーーあと数年なら、なんとか我慢出来るけどーーまだ50年近くも、生きなければならないなんて、あなた。やっぱり罰ゲーム以外の何者でもないよ。」
    
「でも、神様はーー」
    
「いや、あんたが好きな神様が想定していたのも、きっと人間50年だったに違いないよ。+50年は、人間に作り出された『余計な年月』だよ。何が『人生100年』だよ。余計な事しやがって。」

【再掲】永遠の今

2022-06-30 22:11:24 | 思索・雑感
旧ブログからの再掲。苦しい時は、いつもこの「永遠の今」の教えを思い出すようにしている。以下、コピペ。
   
※  ※  ※
禅の教えのなかに「永遠の今」というものがある。――これは何かというと、人間の苦しみというのは、「過去」について後悔したり、「未来」について心配したりするところから来るものであるから、それについては考えず、ひたすら「今」に没頭せよ、というものである。
      
従って、この教えによれば、人生は過去→現在→未来という線条的な時間軸に沿って展開されるのではない。もっと単純に、今、今、今、今、と続く現在が、死ぬまで繰り返されるだけだと考える。
       
そして、これは仏教の教えであるから、最終的な目的は、やはり解脱するところに求められる。すなわち、仕事をする時は、一生懸命仕事をする(それ以外は、考えない)。食事をする時は、一生懸命食事をする(それ以外は、考えない)。歩く時は、一生懸命歩く(それ以外は、考えない)。寝る時も、一生懸命寝る(それ以外は、考えない)。――このように「今」に没頭することで、執着や煩悩から離れるのだという。
        
もちろん、このような生き方が、現実的に可能であるのかどうかは不明である。(というより、むしろツッコミ所の方が、多い気もする。)しかし、一つ一つの物事に全力を尽くしていくことが、救済の可能性に通じていく、という主張は、理解できないわけではない。
      
実際、全力を出して物事に取り組んだのであれば、我々は大抵の場合、それ自体ですでに満足しており、結果はあまり気にならないものである。「今」に没頭している人に、将来を心配したり、過去を後悔したりする余地はない。
           
してみると、「永遠の今」を生きる――ということは、勝つとか負けるとか、他人と比較して自分がどうとか、そういうことが、意味をなさなくなるような地平まで、自らを押し進めていく生き方、といえるのかもしれない。
      
   
×   ×   ×
「徹底的に労働する。労働することそれ自体が宗教的な行為なのだ。あるいは食事をすること、そのこと自体がまた禅なのだ。食事をとる場合は一生懸命いただかなくてはいけない。眠る時には、眠ることが仏様の道なのだから、一生懸命眠らなくてはいけないのだ。日常の生活が見事に徹底されてくる。(略)そうなるとあらゆる周囲のことがらに束縛されない。その時、その時の生活を一生懸命やる。すると、かえって自由になってゆく。そうして執われがなくなってゆく。」(鎌田茂雄『禅とはなにか』)

【再掲】接客・サービスについて②

2022-06-27 11:59:06 | 思索・雑感
これも旧ブログからの転載。文章は、学生時代に書いていた手帳からの抜粋である。これをあえて紹介するのは、前回「接客」の話題についてふれた時、自分の接客の考えについて、もう少し補足する必要があると思ったからである。
    
松下幸之助の影響もかなり入っているが、最近の日本の接客・サービス業は、松下イズムを、もう一度、学び直した方がいいと思っているので、特に古いとも考えていない。
     
また、私は学生時代、ここで書かれていることを、実際に実践して、店の売り上げを1.5倍にした経験もある。なので、商売に対する姿勢については、今でも間違っていると思わない。以下、コピーペーストしておく
   
   
※   ※   ※
私のパソコンのなかに、20代前半の頃に書いたワードファイルがある。
       
当時、色々あって、とにかく<自分探し>ばかりしていたが、そんななか書かれたのが、このファイルになる。内容は様々であるが、特に松下幸之助にハマっていた時期のものが多いようだ。
        
基本、ハッタリで書いており、「お前は聖人か?」とツッコミたくなる部分もあるのだが、読んでみると意外と面白かったりする。いくつかピックアップし、内容に少し修正を加えて紹介してみるとしよう。
   
【メモ1】 
他人から奪ってはいけない。奪えば奪うほど、あなたは貧しくなるだろう。
分かち与えなさい。与えれば与えるほど、あなたは豊かになるだろう               
        

【メモ2】 
「真のリーダー」というのは、周囲に何らかの「感動」を与えてくれる者のことをいう。
                      
たとえば、自分が困窮している時に、手を差し伸べてくれたり、見えないところで自分のために尽くしてくれたりすると、「感動」する。そういう人をみると、「ああ、この人についていこう…」と思う。また、言葉や生き方に「感動」させられる事もある。
               
「桃李もの言わざれども、下自ら蹊を成す」
         
他人に「感動」を与える事が出来るというのは、確かにリーダーにとって必要な資質である。
              
      
【メモ3】 
「悪いリーダー」というのも存在する。
          
それは、権力や、嘘や、威嚇や、恫喝で他人を支配しようとする人である。恩知らずで自己中心的な人。――そういう人は、リーダーの器ではない。
                
そういう人は、実際、世の中に少なからずいる。しかし、皆、命令には従うかもしないが、表面的に従っているだけで、心から臣従する者はいない。これは間違ったリーダーシップの見本也。
                 
           
【メモ4】 
世の中には、法則というものがある。
           
それは楽しいもの、キレイなもの、明るいもの、優しいもの、元気なものの周りに人は集まるという事である。逆にいうと、陰湿なもの、汚いもの、醜いもの、悪意あるもの、じめじめしたものの周りから人は逃げていく。
              
だから、接客商売のような場合だと、まずは店内をキレイに清掃して、明るく元気に声を出し、どんなお客さんに対しても、愛想よく丁重に対応することである。これで商売は繁盛する。
           
店内を汚くし、無気力で陰気な態度で、客を馬鹿にしたり、アダ名をつけて悪口を言ったりしていると、その店は潰れる。
                     
           
【メモ5】 
商売というのは、金儲けというより、精神修養みたいなものだと考えたら良い。
                   
実際、自分の考えでは、仕事とは「仕える事」――つまり、全体への奉仕である。すべての人に対するサービスである。
    
そういう気持ちで働いていくと、商売といっても、結局は博愛主義というところに行き着くことがわかる。すべての客を愛し、どんな人をも大切にする。ホームレスだろうが、ニートだろうが、何だろうが、客であるなら、歓迎し大切に「おもてなし」をする。――そういう態度が、商売繁盛につながるのであり、働くことの喜びになる。ひいては人格の修養にもなる。
                  
仕事というのも、究(きわ)めていこうとすると、結局は「愛」というところに辿り着く。

【再掲】接客・サービスについて①

2022-06-27 11:56:14 | 思索・雑感
昔、書いた記事。旧ブログからの転載である。接客・サービスに対する考え方は、この当時から変わっていない。以下、コピーぺースト。
   
※   ※   ※
「クレーマー」という言葉の登場してきたのが、いつごろだったか忘れたが、こういう人達が、社会問題化されてきた時、私には少し嫌な予感があった。
                
嫌な予感とは何か? ――というと、こういう言葉が普及してくると、やがて「モンスター・クレーマー」でない人まで(ちょっとクレームを入れただけで)、店側から「クレーマー」扱いされてしまうような、そんな息苦しい世の中になってしまうのではないか、という懸念である。
              
私も学生時代、数年間、接客の仕事(バイト)をした事があるので、この仕事の基本は理解しているつもりであるが、店員というのは客に「仕える」ものである。それが原則であって、たとえモンスター・クレーマーが厄介な存在であったとしても、客と店員の「主従関係」を疑ってはいけない。
      
しかし、「クレーマー」という語が、まるで仇のように、マスコミで取り上げられるようになると、バイト(店員)をする若い人の中に、自分を勘違いし始めるのが出てくるかもしれない。いわば、何かあるとすぐ客を「クレーマー」扱いして、自分に「落ち度」があるとは考えない自己中心的な若者――「自分は客から礼儀正しく扱われるべきである」=「無礼な客は、全部クレーマ-」みたいに勘違いする若者である。
       
もっとも、これは懸念ではなく、なんとなく日本で増えてきているような気もする。以前、ネットで「お釣をもらったら、客は店員に『ありがとうございます』と言うべきである」みたいな事を、フリーターみたいな連中が本気で議論していて、ドン引きした事がある。
       
接客というものが、まるでわかっていない。「お客様は神様である」――これが日本人の商売の基本であり、モノづくりの基本でもある。これまでの日本人が、常に客の立場になってモノを考えたり、サービスをしたり、改良したりしてきたからこそ、日本人の製品やサービスが海外で評価されるようになったのであり、「メイド・イン・ジャパン」がブランドになったのである。
     
この姿勢(お客様ファースト)は、日本人としての我々のプライドであるべきなのだ。
   
   
※  ※  ※
もっとも、こんなことを書くと、「古い考え方」とかいう者もいるかもしない。 しかし、「おもてなし」の精神が、時代遅れの考え方だとは思わない。
        
そもそも、この発想のルーツがどこにあるかといえば、おそらく神道の「むすひ」という所まで辿りつく。武光誠「日本の神道」によれば、神道における「八百万の神々を貴び、大切にするという心」(「むすひ」)は、茶道などの接客姿勢(「和敬清寂」、「一期一会」)に継承されているそうだが(15頁)、そうした伝統的な接客姿勢が、さらに「おもてなし精神」に継承されたというのが、私の考えである。
                    
なので、「お客様は神様です」の考えは、古来から日本にある伝統的な文化ともいえるのである。古いとか、新しいとか、そういう問題ではない。
   
※  ※  ※
最後に――
   
将来、AIの発達によって「無人コンビニ」みたいなものが増えてくるだろうと推測されるが、そうなったとき、その「逆張り」として、あえて「有人コンビニ」で勝負する店舗も登場してくるだろうと思う。
 
では、無人コンビニに対して、有人コンビニが、どのようなサービスで、差別化していくのか? と考えてみた時――私はやはり「おもてなし」の精神ではないか、と思う。
                            
そういう状況になった時、今、私がここで書いてる問題が、改めて見直されてくるだろう。

【再掲】四次元の女

2022-06-26 13:56:17 | 思索・雑感
四次元の彼女
   
昔、「二次元の彼女」とか「三次元の彼女」とかいう言い方が流行ったが、私は「四次元の彼女」というのもあるのではないか、と思う。
     
   
いわゆる二次元が平面(虚構)、三次元が立体(現実)だとすれば、四次元は想念(思い出)である。
   
     
具体的にいえば、昔の女優や歌手など、かつて三次元だったが今はいないーー思い出の中の彼女達ーーそれが四次元の女である。
   
        
ちなみに、私のなかでイチオシの四次元の女は、内藤洋子。あんなに可愛い子はいない。