サラ☆の物語な毎日とハル文庫

おばあちゃんが勧める『太平洋戦記 ミッドウェー海戦』

 

自分からはなかなか手に取らないジャンルの本だけど

お知り合いの、今年85歳になるおばあちゃんから紹介してもらった本

仲のいいおばあちゃんだ。

軍人の娘さんらしく、生き方に筋が通っていて、尊敬している。

いつもパウンドケーキの焼いたものをくださるので、すっかり懐いている。

(ホントに美味しいのだ。プレーンなケーキだけど、きめが細かくて熟練の味。)

 

すでに第二次世界大戦から70年以上も経ったわけだけど、

その時代を生きた人たちにとっては、まざまざと忘れられない過去だ。

当時を生きた人たちは、みんなそのことについて、ぐるぐる考えている気がするけど、

おばあちゃんもまた、

「なぜ日本は戦争を始めたのか」「なぜ負けたのか」というようなこと、

何が正しくて、何が間違っていたのかを

自分なりに検証したいと、取り組まれている。

語り継がれることは大事。

 

おばあちゃんのお父上は、戦争が終わったとき、海軍大佐だった。

大正10年に海軍機関学校に入学。

当時の海軍兵学校、海軍機関学校、海軍経理学校というのは、いまの東大以上の難関だったそうだ。

お父上はその後、海軍畑をまい進。

海軍潜水学校では、潜水艦乗りの本格的な訓練を受け、海軍大学校にも入学。

 

おばあちゃんは戦時中は小学生で、よくわからなかったけれど、

お父上は真珠湾攻撃にも参加されたらしい。

 

『太平洋戦記 ミッドウェー海戦』(牧島貞一著/河出書房)は、

「後世に残したい大事な本ですよ」ということだった。

それで、Amazonで中古本を手に入れて、読んでみた。

 

 

著者は報道班員として従軍した牧島貞一さん。

ミッドウェー海戦のときには、

機動部隊旗艦だった航空母艦「赤城(あかぎ)」に乗り込んで、

その戦いの一部始終を目撃した

 

戦時中は見たまま、聞いたままを伝えたくて、

「精いっぱい事実に密着した記事をかいても、

軍部から原型が残らぬほど筆を加えられ、

内容はかなりひんまがったものになって公表されていた」そうだ。

だから「せめてもの罪ほろぼしに、正しい戦いの姿というものを書き残しておきたいという衝動にかられた」

と、あとがきにある。

 

 

この本はノンフィクションだけれど、著者の描写力で、言い方は軽いが優れた戦争物語に仕上がっている。

当時の航空母艦の内部がどのようになっていたのか、細部まで紹介されている。

戦艦などのプラモデルが好きな方は、きっとその部分に夢中になると思う。

 

どのように海戦が実行に移され、どういう作戦のミスがあり、

兵士たちがそれでもどのように果敢に戦ったのかが描かれている。

 

そして著者は終わりのほうでこんなことを言っている。

そこを著者が持論として強調していたわけじゃない。

でも、負けがわかったあと、美しい夕焼けの雲を見ながらこんなことを考えていた。

 

「近代戦は総力戦だ」と、軍部の指導者たちはいつもいっていた。

日本とアメリカの国家の総力を比較してみれば、とてもこの戦争は始められないはずだ。

すこし冷静に考えれば、だれにでもわかることだ。

このわかることがわからないとすると軍部の〝指導者〟は、すこし頭がどうかしている。

またわかっていて始めたとなると、むちゃくちゃだ。

無謀もはなはだしいものだ。

 

この本は学術書でも評論でもなくドキュメンタリーだ。

だから、ミッドウェー海戦に負けて日本にもどってきた少壮士官たちが

話していたことが率直に書かれている。

 

今度の作戦は失敗の連続であると、みんなの意見が一致したそうだ。

かいつまんで紹介するとこんなことに。

 

第一に、暗号無電が敵がわに解読されていた。

 

第二に、南雲中将が、まいごになった飛竜、蒼竜(両方とも空母)と連絡するために、無電を打ったこと。

敵にこちらの位置を知らせてしまった。

 

第三に、潜水艦が「ハワイに敵艦隊の姿なし」と知らせてきたこと。

 

第四に、筑摩の偵察機が敵の上空を飛びながら、敵を発見しなかったこと。

 

第五に、利根の偵察機が30分も遅れて出発し、間の抜けた報告をしてきたこと。

定刻どおりに出発していれば正確に敵状を報告できたはず。

 

第六に、山口少将が「ただちに攻撃隊出発の要あり」と意見を具申したのを、南雲司令官がにぎりつぶしたこと。

 

第七に、瑞鶴を内地に残し、瑞鳳を攻略部隊にまわしたこと。

この2隻がいっしょに行動していれば、空母は6隻となり、3隻が敵にやられたあとでも絶対に勝っている。

 

第八に、戦艦大和以下の戦艦グループが最前線の300カイリもあとから付いてきたこと。

大和には指令長官の山本五十六が乗っていた。

どうして最前線で戦わずに、300カイリも後からついてくるのだ、というのがどうやら、士官たちの憤懣やるかたない思いのようだった。

 

そういうわけで、戦争や戦艦などにちっとも詳しくないわたしでも、

興味深く読み進めることができた。

そして一介の兵士たちが、言葉もなく散っていくようすは、

胸が痛むし、こういうことは二度としてはいけないと強く思ったのだ。

 

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