↑コンサート会場の花々。ほかにもいっぱい!
嵐の日に
池袋の東京芸術劇場で行われた
美輪明宏さんのコンサートに行ってきた。
JRが夜の8時に止まるというとんでもないことが発生したけど
美輪さんのコンサートは、嵐の前に始まって終わり
聴衆はころ合いのいい時間に家路につくことができた。
さすが強運を呼ぶ美輪さんのコンサートと思う。
今回はシャンソンばかりを聴くことができた。
とくに印象に残ったのは
『ボン・ヴォワヤージュ』という美輪さんおなじみの歌。
いつも一コマの芝居と思っているけれど
今回はその歌と芝居に引き込まれて泣けてしまう奥深さ。
すごいよねー、と思う。
それとラストソングの『愛の賛歌』は聞きほれました。
アンコールの曲は『ヨイトマケの歌』
すっかり気分転換ができ、心が癒されたコンサートでした。
【Parco Stageのホームページより引用】
美輪明宏よりメッセージ到着!(9月4日更新!)
このところ、若い方からのお手紙を拝見すると、私がシャンソンを歌っていることをご存知ない方が結構いらっしゃる。そもそも、シャンソンを聴いたことがないという若い方が増えているようです。それは、もったいない! というわけで今回は「シャンソン」を特集することにいたしました。
私の著書『愛の大売り出し』を、この音楽会の副題にもしていますように、「愛」がテーマの歌が中心になると思います。
「恋」と「愛」を同じように思われているかもしれませんが、似て非なるもの。お買い物にたとえると……恋は「この洋服を着ると、あの人に可愛いと思ってもらえるかもしれない」という自分の欲求が主。対して、愛は「この洋服は、あの人に似合いそう。たとえ私のものが買えなくても、喜んでもらえたら十分に幸せ」なのです。「恋愛」とは言いますが、「愛恋」とは言いませんよね。つまり「愛」が先にくることはありません。自分本位の「恋」から、「愛」へと入ることができればしめたもの。相手のすべてを許せるようになるわけですから、強いです。
私が訳した『ボン・ヴォワヤージュ』という歌では、自分本位だった女性が、最後には相手の幸せだけを祈っています。まさに「愛」に変わっていく様を描いているというわけです。
そして『愛の讃歌』で歌っているのは、「愛」そのもの。――歌える才を持った者は、天から授かった義務・使命として、愛を与えなければならない。私はそのために歌うだけ。見返りなんていらない、愛する人がこの世の中で平和に健康で生きていてくれさえすればいい。それ以上、何を望むことがあるの? それが愛なのよ――と。
そういうことを伝えるのが歌手や画家、芸術家すべての使命であり責務。カーテンコールはいつも総立ちで、泣きながら「ありがとう」とおっしゃってくださる方もいらっしゃいます。そういう光景を目の当たりにするといつも、お役に立てたかな、ギャラ泥棒にならなくて済んだかな(笑)、と思います。
音楽会では、おしゃべりもお客様に楽しんでいただくためのパフォーマンスのひとつだと思っています。だって、「美輪明宏と申します」と普通にご挨拶するだけでは、つまらないでしょう? さて、今回はどうしましょうか。そちらもお楽しみに。
デジタル化された現在、大人も子どもも目が疲れていて、神経までが侵され、イライラが募っています。そのせいで狂気を孕んだり、孤独に陥ったり……。そういうとき人間に必要なのは瞬きや肌触りや息づかい、つまりアナログの動きなんです。人間は絵画や詩、演劇や音楽会という生活するうえでなくてもいいような《文化》を必要とし、何千年も連綿と大切に育んできました。それは、精神や情緒を正常に保つため、「自己防衛」のため。肉体はもちろん、精神も健康にならなければいけない。デジタル社会の今こそ、《文化》に触れることが大事だと思っています。
今回の音楽会は、とにかくロマンティックに、ロマンティックに、と考えています。皆様ぜひ《文化》を味わいに、劇場へいらしてくださいね。
(取材・文 金田明子)