『赤毛のアン』の読者なら、そんなこと言われなくても知ってるし、わざわざ言われたくないと思う?
でもまあ、楽しいから。
「はなではなく花子と呼んでくりょう」という出だしが、そもそも『赤毛のアン』のオマージュ。
アン・シャーリーはグリー・ゲイブルスに来た初日に、まず「コーデリア」と読んでほしいとマリラにいい、駄目なら「最後にeのついたアンAnneと呼んでほしい」とお願いする。
あのシーンがベース。
小学校では、赤ん坊である妹をおんぶして勉強するはなだが、男の子がいたずらをしてその妹の髪をひっぱったため、妹が泣き出す。
はなは後ろの席に座っている朝市がやったものと誤解し、怒って石盤を朝市の頭に振り下ろす。
このシーンも、ギルバートがアンの三つ網みのお下げを引っ張り、「にんじん」とからかったことでアンが激怒し、石盤をギルバートの頭に振り下ろしたことに由来している。
はなと朝市が夜に家を抜け出して教会に行き、見つかって逃げるシーン。池に落ちたはなを助けるために、朝市が手をさしのべるシーンは、ボートに乗ったまま流され、橋げたにしがみついていたアンに差し伸べるギルバートの手と同じじゃないか?
はなが女学校の給費生になるために村を去るシーンの曲がり角は、『赤毛のアン』の終盤、アンが人生には曲がり角があるけれど、曲がった先にはきっと素敵なことがあると思うといった言葉に由来している。
女学校の寄宿舎の部屋には、同い年の女の子がいる。
その子が「お友達になりましょう」と言うシーンは、アンとダイアナが出会ったシーンのオマージュか。
そもそも、はなが通うことになった小学校は「阿母尋常小学校」だが、アンの住むアボンリーの村にちなんだ名称。
はなのおじいやんの周造という名前は、アンの育ての親、マシューにちなんでいる。
周造の口癖「そうさな」は、そのままマシューの口癖だった。
また、松本明子ふんする村のおしゃべりばばあ、リンの名前は、リンド夫人からとったそうだ。
けっこう細部にまで『赤毛のアン』の小ネタが忍ばせてある。
これからも、ドラマの中でどんな小ネタが見つかるか、興味深い。