『木かげの家の小人たち』『ながいながいペンギンの話』『北極のムーシカミーシカ』を書いた人である。
岩波書店の少年文庫の編集者を20年間していて、A・A・ミルン、ケストナー、ランサム、ロフティング、C・S・ルイス、リンドグレーン、トールキン、サン=テグジュベリ、ファージョンたちの作品を世に送り出してきた人。
『森は生きている』の編集者でもある。
偉大な足跡。
「日本の児童文学にしみついたおとなごのみの感傷性」(211ページ)との間に距離を置き、新しい感性で物語を紡ぎ始めた最初の人たちに属すると思う。
ただ、子どもの本を「児童文学」と年齢的な感覚でくくってしまうところに、少し視点の固さというか頑なさがあるように思う。
編集者を辞してからは、黒姫高原に建てた小屋で一年の半分も執筆活動を行っていた。
それから「ムーシカ文庫」という家庭文庫を長い間運営していた。
この本は1970年あたりから1974年にかけて『図書』『日ソ図書通信』『アルプ』『日本児童文学』の各誌に発表したものをまとめたエッセイ集である。
★チェコは音楽の国、工芸の国ではあろうけれど、私にはなつかしい「子どもの本の国」だ。ヒュリーマン女史の『子どもの本の世界』(福音館刊)によれば、ヨーロッパの子どもの本の歴史は、約三百年前に出版されたモラビア生まれの学者コメニウスの『世界図絵』に始るという。
★中央の文壇に生まれ、実在の子どもよりも、作家の「童心」にむかって書くことをよしとしつづけてきた日本の「近代童話」と、ひとり郷土に生きた賢治の心象スケッチとしての童話が、その成り立ちだけをくらべてみても、大きく違っていることが忘れられない。(80ページ)
★日本の児童文学がその成長過程に、欠落させてきてしまった重要な部分を、賢治の童話が郷土の方言や、いいつたえなどから汲みとっていたらしいことを、私たちがまだ十分に研究し評価し尽くしていないという、もどかしさのためだ。(81ページ)
★日本の児童文学は「わらべ唄→むかし話→空想童話(ファンタジー)の成立」という国民的な基盤にひろがり得る文学の根と、明らかに切れてしまったのだ。
★イギリスでは、約八十年前に、すでに子どものための安定した文体をもつ『イギリス民話集』(ジェイコブズ)が生まれ、『マザーグース』のようなわらべ唄集も出版されている。そして、それを生かしたエリノア・ファージョンの珠玉のような創作童話や、「時」のふしぎさを扱ったフィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』が、現代ファンタジーとして誕生している。
★賢治の蔵書の中にアンデルセンとかアリスなど、エヴリマンス・ライブラリーの童話が多かったということは以前から耳にしていたが(そしてその細目を今でもぜひ知りたいが)、『遠野物語』を見ていた筈……ということは初耳だった。(84ページ)
★一国の児童文学の発展の上で、「童話」をかく成人文学の作家の果した役割は大きい。それも余技的な取りくみ方ではなく、心からかきたいと思って創られたものから、かずかずの傑作が生まれている。サン=テグジュベリの『星の王子さま』とか、スティーブンスンの『宝島』とか。(93ページ)
★まもなくマルシャークさんは早口に、
──幼い子どもには、現在(いま)しかないのです……
と話しはじめられる。子どもが、まどに伝う雨のしずくを見ているとき、それがかれらにとって全世界であり、まわりの大人の世界とは切りはなされている。そして大人は万能に見え、たいへんえらいものに見えているが、やがて、大人がけっして万能でないことを、幼い子どもたちは見ぬいてしまう。そのときから、世界には「今」よりほかの時があり、時とは変化するものであることを子どもたちは知るのだ……と。(152ページ)
★ちなみに、この一九二三年版の『ばかなこねずみ』野絵本には、「わたしのエーリク坊やへ』という、マルシャークの献辞がかかれていた。
──あなたのお父さんは、あなたのために、そのころ絵本をかかれたのですね!
私は、おそまきながら気づいたのだった。『クマのプーさん』のA・A・ミルンや、『たのしい川べ』のケネス・グレーアムや『ドリトル先生物語』のロフティングと同じに、ソビエト児童文学もまた、文学者の父から子へ語られるという創作の動機から、そのよき出発をしたのだったなぁ……と。(159ページ)
★トーキン教授は、妖精の国の魔法の輝きが、人間のもつ根源的願望のいくつかを満足させる例として、時間、空間の深みを探りたい、他の生きものと交わりたい、という二点をあげていられる(J・R・トーキン『ファンタジーの世界』、猪熊葉子訳、福音館)。(192ページ)
★宮沢賢治の死後四十年。このひとの童話がなぜ、あの「赤い鳥」の時代に認められなかったのか──いまの私たちにはむしろふしぎだが、このひとを受けいれなかった、感傷にみちた日本的な感性が、まったく消滅しているとも思えない。(195ページ)
★いまおもえば日本の児童文学にしみついたおとなごのみの感傷性をすてて、主人公の成長とか個人と集団の問題とか友情などを単純にえがくには、日本を舞台にしてかくより、広大な極地を舞台として、動物の子どもたちの姿でかくほうが、私にはやさしく、たのしかったわけです。そして同じ理由からペンギンにつづいて『北極のムーシカミーシカ』の物語も誕生しました。(211ページ)
★一九三三年、E・ケストナーはそれまでの著書を焼かれ、ドイツで著書を書くことを禁止された。しかし彼の書く子どもの本だけは禁止されず、三三年には『飛ぶ教室』が出されている。
子どもの涙はけっしておとなの涙よりも小さいものでなく、おとなの涙より重いことだって、めずらしくありません。(高橋健二訳、岩波書店)
この言葉を書いたケストナーに触発されて、戦後すくなくとも四人の作家(もっと多いとは思うが……)本になるかならないかは別問題として、同人誌に作品を書いていた。自分たちの一作一作が、ほんとうの児童文学を生むための実験であり、もしも過去の児童文学を志した人びとの道が屈辱にみちたものだったとしても、われわれは子どもに向って書くことに光栄しか見出すまいと誓っていた──まるで、自分たちの海賊の仕事を、大人になってもけっして盗みでけがすまいと誓い合ったトム・ソーヤーたちのように。(216ページ)
★おとなの涙の重さも充分知らずに、子どもの涙にのみ敏感だった自分の習性に、いま私は直面させられている。自分を充分おとなにしきれずに、より成長の可能性の多い子どもたちを自分の道づれにしたがった、私というものはいったい何であったのか、と。(217ページ)
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