昨日、子供が嘔吐したりしまして。本人曰く、「おやつが凄く不味かった。」から気持ち悪くなったと言っていますが。
どう考えても病気ですので、昨日は夜も洗面器枕元に寝ていてもらいました。
昨日の夜に買い物に行ったときも、その店でいきなり吐こうとしたので、私が手で受け止めながら車に戻ったりしましたし。
これで、病原菌が手からしみこんできたりしないだろうか。とか変な心配をしたりしましたが。
今度23日はTSTでセッション&お話し会、その後は会社でのQC発表会とありますので、今何か病にかかるわけにはいきません。
子供のヒーリングしながら、殺菌グッズで自分の周囲も守りつつ、メタミュージックの「レディエンス」を聞きながら体調管理をしていたりしました。
まあ、そういうわけで、コメントが妙に簡単だったのですよね。
今日は子供も昨日よりだいぶいいですので。もうミカン食べたりしています。数日休まないといけないようなアヤシイ病気では無いようです。良かった。いろんな意味で。
さて、今日のヘミシンク。
宗教の開祖である、あるお坊さんにちょっと聞きたいことがあったので聞いてみました。
実際はフォーカス35あたりのほうが良いのかもしれませんが、あまりあっちのほうで話を聞くと、私達に分かりにくい概念で話始めるので(先日のウリエルさんとか)もっと身近な感じ、フォーカス27の状態で聞くことにしました。
まあ、性格にはそのお坊さんのマトリクスとでも言うのかもしれませんが。
何で宗教作ったんですか?と聞くと、
私は作ってないよ。とあっさり言われました。
「なんで?」
「ただ、話を聞きたい人に対して話をしていた。ただ、その内容を書き記していた。ただそれだけだ。宗教などというものは、わしの滅後出来上がったものだから。」と言われます。
「それって、「釈迦やキリストは死というイベントを行う事で人々にインパクトを与えた。」という話をイワンさんあたりから聞いたことありますが、そういう感じですか?」
「そうではない。わしは人間だから。」と言って笑われました。
つまり、日々、現実世界を生きる事に疲弊している人々を救うために話していた事が、だんだんと体系化していった。そのようなイメージのようです。
大元はどこから?と聞くと、中国の思想だよ。と言われます。
仏教的な思想を学ぶ事で、現在の日本(この僧の居た時代ですね)の民を救う一筋の光となりえる。そう考えたから日本でその思想を説いていた。
というような事を言ってます。
「つまり、あの世以降の話が目的じゃないのですか?」
「人は成仏すれば、誰しも向こうの世界へと足を踏み入れる。だから、それを語った。それまでの事だ。生きている人間が生きていくための、その目的を見つけてもらうためもあるな。」とも言います。
ここで浮かんだイメージは「ティーチングとコーチング」のお話し。ビジネス研修や会社の管理職研修(私は管理職でないのに受けさせられました)を受けた方はこういう話を聞いたことあると思います。
そこで、この僧が行っているのは、つまり「ティーチング」、人に目的を教え、進む道を示してあげることなのかなあと。
会社に居ると分かりますが、「指示待ち」人間が多数居ます。こういう人がいないと会社が回らないものですが、こういう方々には「コーチング」が難しいです。なにしろ、自分で考えてくれないのですから。ちなみに、コーチングとはヒントを与え、自分で考えながら導いていくようなやりかたですね。説明、かなり大雑把ですけど。
こういう方々と仕事をするには、最初に仕事を有無を言わさずしてもらい、そのうちにだんだんと自分で判断できる人材に育てていく、というのが一番良いパターンです。そのために、「企業収益」という大きな目標を掲げて、皆さんの意識をそこにむけつつやりくりするわけですが。
企業の収益が上がると、自分の収入も上がる。そのためには、仕事も自分で考える必要がある。という感じに位置づけされていくと、ティーチングからコーチングもやりやすいものです。
で、この僧のやっていることは人生に目標を作り、「そこに到達するためには、こういう方法ありますよ、こういう生き方ありますよ。」という感じに導くことで先ずは人心を安定させ、その先には自らで自分の生き方を作り出してもらいたい、という考えがあったようです。
まさに人生のティーチング。これって、良く考えると宗教全般に言えますね。
そこから今の生を豊かに生きるためのプロセスを自分で導き出してもらうというもの。しかし、現在の宗教を信仰する人は、教義が先行していて、目的が多少違ってきているところもある。というお話しもありました。
企業の話で言えば、収益を上げるという目的があって、そのなかで社員が気持ちよく働く事(楽をして、という意味ではありません。自主的に、という感じで)、が大切なのですが。
収益を得ることだけが目的になると、それがうまくいかない。
今日会っている僧も、内容にある最終目的ばかりにこだわりすぎて、そればかりを目指すようになると、「すっかりマニアの集団になってしまう。」と言って笑っていました。
もう少し、一般的な人々も気楽に参加できるものがいいのだが。というお話しも。
「その時代時代に合ったものの考え方、見え方に沿ったものが常に生まれていく。しかし、その本質はいつも同じものだ。時間というものが、古くからあるモノを装飾し、美化し、または否定し、貶める。
表面だけを見るのではなく、そこにある本質を見るのだよ。」
と僧侶さんに言われてしまいました。
私がキリスト教的なイメージばっかり見るのは何ででしょうね?と聞いてみると、そこで学んだ事が、今に活かされているからだろう。というお話しで。過去生の事について言っているみたいですね。
ついでに、「あなたは生前、空海と会った事あるんですか?」と聞いてみると、
「時代が違う。」とあっさり否定。今度調べてみようと思った次第です。
今回は、とりあえずどういう考えで宗教というものが生まれているのか、その一つの見え方が表されているのかなあ、と思います。
まあ、他の人に聞いてみるとまた違うのかもしれませんけどね。
目標の無い人に、良い生き方をさせるためにその人に合った目標を見えやすくする。
これが宗教の一つの側面なのかと。もちろん、他にもっと良いことありますけどね。
じゃあ、ヘミシンクは?
さっきのティーチング・コーチングの話で言うと、宗教の手法がティーチング、ヘミシンクや禅などはコーチング、なのかなあと思います。
それぞれに目指すところは同じでも、手法が違うと、そんなとこではないでしょうか?
最近、仕事でもパートさんで、教えても同じミスをする人がいるんですよね。
されると、正直イラッときますが、まあ一旦落ち着いて。
自分の指導の仕方と、その人の仕事への意識、そういうものを同時に考えつつ、対策をねります。といっても、当人が気付くのを促す感じですね。
しばらくほっておいて、本人が考え始めた時に、ここがコウだからミスするんですよ。と教える感じですね。最初から言うと、私の言動ばかりを頼るので、自分で一回考えさせます。効率悪いですが、これが長い目で見ると、一番いいですね。
それに、最近気付いたのが、「あ、私はお菓子上手に作っていたんだなあ。」という事。
他の方に作ってもらうと、方法も全部同じなのに、なぜか出来上がりの姿が悪くて。
自分はまだまだ腕が悪いと思っていたのですが、いつの間にか上達したんだなあ、と思えるようになってきました。
こういうのも、人と一緒に成長しているから感じられる、小さな喜びですね。
この積み重ねが良い仕事をする原動力になります。
どう考えても病気ですので、昨日は夜も洗面器枕元に寝ていてもらいました。
昨日の夜に買い物に行ったときも、その店でいきなり吐こうとしたので、私が手で受け止めながら車に戻ったりしましたし。
これで、病原菌が手からしみこんできたりしないだろうか。とか変な心配をしたりしましたが。
今度23日はTSTでセッション&お話し会、その後は会社でのQC発表会とありますので、今何か病にかかるわけにはいきません。
子供のヒーリングしながら、殺菌グッズで自分の周囲も守りつつ、メタミュージックの「レディエンス」を聞きながら体調管理をしていたりしました。
まあ、そういうわけで、コメントが妙に簡単だったのですよね。
今日は子供も昨日よりだいぶいいですので。もうミカン食べたりしています。数日休まないといけないようなアヤシイ病気では無いようです。良かった。いろんな意味で。
さて、今日のヘミシンク。
宗教の開祖である、あるお坊さんにちょっと聞きたいことがあったので聞いてみました。
実際はフォーカス35あたりのほうが良いのかもしれませんが、あまりあっちのほうで話を聞くと、私達に分かりにくい概念で話始めるので(先日のウリエルさんとか)もっと身近な感じ、フォーカス27の状態で聞くことにしました。
まあ、性格にはそのお坊さんのマトリクスとでも言うのかもしれませんが。
何で宗教作ったんですか?と聞くと、
私は作ってないよ。とあっさり言われました。
「なんで?」
「ただ、話を聞きたい人に対して話をしていた。ただ、その内容を書き記していた。ただそれだけだ。宗教などというものは、わしの滅後出来上がったものだから。」と言われます。
「それって、「釈迦やキリストは死というイベントを行う事で人々にインパクトを与えた。」という話をイワンさんあたりから聞いたことありますが、そういう感じですか?」
「そうではない。わしは人間だから。」と言って笑われました。
つまり、日々、現実世界を生きる事に疲弊している人々を救うために話していた事が、だんだんと体系化していった。そのようなイメージのようです。
大元はどこから?と聞くと、中国の思想だよ。と言われます。
仏教的な思想を学ぶ事で、現在の日本(この僧の居た時代ですね)の民を救う一筋の光となりえる。そう考えたから日本でその思想を説いていた。
というような事を言ってます。
「つまり、あの世以降の話が目的じゃないのですか?」
「人は成仏すれば、誰しも向こうの世界へと足を踏み入れる。だから、それを語った。それまでの事だ。生きている人間が生きていくための、その目的を見つけてもらうためもあるな。」とも言います。
ここで浮かんだイメージは「ティーチングとコーチング」のお話し。ビジネス研修や会社の管理職研修(私は管理職でないのに受けさせられました)を受けた方はこういう話を聞いたことあると思います。
そこで、この僧が行っているのは、つまり「ティーチング」、人に目的を教え、進む道を示してあげることなのかなあと。
会社に居ると分かりますが、「指示待ち」人間が多数居ます。こういう人がいないと会社が回らないものですが、こういう方々には「コーチング」が難しいです。なにしろ、自分で考えてくれないのですから。ちなみに、コーチングとはヒントを与え、自分で考えながら導いていくようなやりかたですね。説明、かなり大雑把ですけど。
こういう方々と仕事をするには、最初に仕事を有無を言わさずしてもらい、そのうちにだんだんと自分で判断できる人材に育てていく、というのが一番良いパターンです。そのために、「企業収益」という大きな目標を掲げて、皆さんの意識をそこにむけつつやりくりするわけですが。
企業の収益が上がると、自分の収入も上がる。そのためには、仕事も自分で考える必要がある。という感じに位置づけされていくと、ティーチングからコーチングもやりやすいものです。
で、この僧のやっていることは人生に目標を作り、「そこに到達するためには、こういう方法ありますよ、こういう生き方ありますよ。」という感じに導くことで先ずは人心を安定させ、その先には自らで自分の生き方を作り出してもらいたい、という考えがあったようです。
まさに人生のティーチング。これって、良く考えると宗教全般に言えますね。
そこから今の生を豊かに生きるためのプロセスを自分で導き出してもらうというもの。しかし、現在の宗教を信仰する人は、教義が先行していて、目的が多少違ってきているところもある。というお話しもありました。
企業の話で言えば、収益を上げるという目的があって、そのなかで社員が気持ちよく働く事(楽をして、という意味ではありません。自主的に、という感じで)、が大切なのですが。
収益を得ることだけが目的になると、それがうまくいかない。
今日会っている僧も、内容にある最終目的ばかりにこだわりすぎて、そればかりを目指すようになると、「すっかりマニアの集団になってしまう。」と言って笑っていました。
もう少し、一般的な人々も気楽に参加できるものがいいのだが。というお話しも。
「その時代時代に合ったものの考え方、見え方に沿ったものが常に生まれていく。しかし、その本質はいつも同じものだ。時間というものが、古くからあるモノを装飾し、美化し、または否定し、貶める。
表面だけを見るのではなく、そこにある本質を見るのだよ。」
と僧侶さんに言われてしまいました。
私がキリスト教的なイメージばっかり見るのは何ででしょうね?と聞いてみると、そこで学んだ事が、今に活かされているからだろう。というお話しで。過去生の事について言っているみたいですね。
ついでに、「あなたは生前、空海と会った事あるんですか?」と聞いてみると、
「時代が違う。」とあっさり否定。今度調べてみようと思った次第です。
今回は、とりあえずどういう考えで宗教というものが生まれているのか、その一つの見え方が表されているのかなあ、と思います。
まあ、他の人に聞いてみるとまた違うのかもしれませんけどね。
目標の無い人に、良い生き方をさせるためにその人に合った目標を見えやすくする。
これが宗教の一つの側面なのかと。もちろん、他にもっと良いことありますけどね。
じゃあ、ヘミシンクは?
さっきのティーチング・コーチングの話で言うと、宗教の手法がティーチング、ヘミシンクや禅などはコーチング、なのかなあと思います。
それぞれに目指すところは同じでも、手法が違うと、そんなとこではないでしょうか?
最近、仕事でもパートさんで、教えても同じミスをする人がいるんですよね。
されると、正直イラッときますが、まあ一旦落ち着いて。
自分の指導の仕方と、その人の仕事への意識、そういうものを同時に考えつつ、対策をねります。といっても、当人が気付くのを促す感じですね。
しばらくほっておいて、本人が考え始めた時に、ここがコウだからミスするんですよ。と教える感じですね。最初から言うと、私の言動ばかりを頼るので、自分で一回考えさせます。効率悪いですが、これが長い目で見ると、一番いいですね。
それに、最近気付いたのが、「あ、私はお菓子上手に作っていたんだなあ。」という事。
他の方に作ってもらうと、方法も全部同じなのに、なぜか出来上がりの姿が悪くて。
自分はまだまだ腕が悪いと思っていたのですが、いつの間にか上達したんだなあ、と思えるようになってきました。
こういうのも、人と一緒に成長しているから感じられる、小さな喜びですね。
この積み重ねが良い仕事をする原動力になります。
絵もうまいし、お菓子を作るときも、芸術的センスがないと、いいものは、作れないと思います。
宗教の教祖、誰でしょうね。
でも、イエスキリストも、お釈迦様も、この世に生きる指針を示したと思いますよ。
信仰すれば死後に極楽とか、天国へいけるなんていうのは、後のひとの解釈だと、思いますよ。
キリストも、お釈迦様も、偶像崇拝を否定していますね。ところが、今は教会では、磔にされたキリスト像、母のマリア像を拝んでいるし、仏像を拝んでいるし、教祖と逆の方向へ行っていますね。
キリスト像も、仏像も芸術的に見ると、また別ですが。
きっと、今の世の中に、本物のキリスト様や、お釈迦様が、現れたら、自分たちの解いた宗教とあまりの違いに、びっくりするでしょうね。
最後に、娘さんお大事に。
4月からするとさらに大きく成長されているんでしょうね。
さて、今回のマルさんのお話とはちょっとずれかもしれませんが、私個人は各宗教の開祖の方たちは現在の宗教のあり方について不満ではないかと思ってます。
『マニアの集団』
あー 私の言いたいこと言ってくれてます。
何事も執着しすぎると、みっともないとこになります。
一呼吸置いて、助言したり教えたりすると上手くいくように思えます。こんなことの繰り返しで成長させて貰ってるんですね。
感謝感謝です。
まぁ、みかんを食べてるなら大丈夫かな?
宗教も人から人へと伝わって行く間に少しずつ最初に伝えたかったこととは変わってしまうのでしょうね。宗教に限らず、何でもそうだと思います。
日に日に寒さが増しますから、外ヘミはズボンの下にタイツ履かないとやれません。?
優しいのですが、元気がよすぎて寿司職人みたいなのです。このイメージは正しいのかな?って考えてしまいます。主にヒーリング関係をやってくれています。
まぁ、存在は感じられるので、話しかけます。
先日は会社の設備の修理をしてもらいましたところ、直りましたね。
・・・・・・。
こんなこと書いてると、何が現実なんだか多少わからなくなりますね(笑)。
実は結構、このブログのコメントだから書けてはいますが、非常にリスキーな分野に入っているのでは?という気もしないでもないです。
その方、当然ご自分の宗教をベースにはされていますが、サイババに会いに行かれたり、モリケンさんの講演会に参加されたり、ヘミシンクのセッションを受けられたりと、精神世界の探究に柔軟で積極的な考えを持ってらっしゃいます。
(因みにそこの教会には神坂新太郎氏の「銀河運動装置」が設置してあります。)
その方曰く「教祖は元々組織を作るつもりはなかったものの、人が集まれば運営上仕方なく組織の形になった。しかし組織が大きくなるとその維持が優先されて教祖の元々の意志からズレて来ている。それを幹部にズケズケ指摘するものだから厄介者とみられてねーあっはっは」と豪快に笑われていました。
でもだからこそ逆に幹部に頼られているご様子です。
こういう方を認められる宗教というのはきっと自浄機能が生きているんだな、と感じました。
バレタりーの?
で、図書館へ行ったなら、お隣は幼稚園?あり?の、迎えにはサンシズカあり?の、駐車場には焼き鳥ありで、私はここに導かれたなぁと自分勝手に感じました。
本を読むうちに、ルリカさんは私にうり二個です?
彼女にまるさんを通して会うために、私はヘミシンクに出会い、モンローさんに惹かれ、まるさんのブログにたどり着いたに違いないと感じました。やっぱ、私の人生は思った通りに流れてるなぁと思う今日今しがたです。?感謝ですね。しかし、赤いヘルメットちゃんは寂しそうです?
なかなか豪快な明るい改組様で、好感が持てます。
結構思い切った記述に見えてしまうのは、私の認識に変なフィルターが出来上がってしまった、ってことでしょうね。
(追記)
チェスカさんのコメント内の絵文字は、パソコンでは「□」で表示されちゃってます。
(最新ブラウザだと違うのかなぁ)
ところで「彦島図書館」ってヒコットランド?
「サンシズカ」ってあのスーパーの?
もしや...............................イヤ、何でもありません
powerが落ちてプチストーカーになってません?
私また14日の貴男様のコメントを読んでしまいました。
で、やはり笑っちゃって止まらない。まるさんのルリカさんの内容も読みながら可笑しくてたまりません。
はっきり言って傍から見たら、危ない人です。