気楽に、まったりと~♪

日々の徒然や思うことをゆるゆると。。 ヽ(^▽^)ノ 

☆父の最期

2013-09-21 16:34:41 | 日記

お彼岸ですね。

お盆には、タイミングが合わなくて・・・スルーしてしまっていた

実家のお墓参り に、行ってきました。

 

 

実家のお墓・・・といっても、

刻まれているのは、父の名前だけです。

(父の死後、母と弟名義で建立)

 

お墓の団地ですね。

暖かくて、お天気に恵まれて、ラッキー 

 

墓地出張中のお坊さん、読経依頼の声がかかるのを 待っています

 

 

父は、58歳で亡くなりました。

私に二人目の子ども(娘)が生まれた、4ヶ月後のことです。

 

末期の肺がんで、病院を3ヶ所ほど替えて、治療に手を尽くしましたが

診断されてから9ヶ月後に旅立ちました。

 

ずっと入院していたのですが、

新築したばかりの家に帰りたいという・・・父の希望を受け入れ、

最期の1ヶ月を・・自宅で過ごしました

 

その1ヶ月の看護状況は、壮絶というか凄絶というか・・・

 

母と私のほかに、近所にいる母の妹(叔母)たちの協力を得ながら

24時間体制で、父に関わりつづけました。

 

父の姉が、内科の病院で看護師長をしており、モルヒネなどの痛み止めは

伯母が投入してくれていました。

当時はまだ、自宅でがん患者を見守る医療システムなど、ありませんでしたから・・。

 

私は26才でしたが、何の看護知識も技術もありません。

でも伯母に教えてもらいながら・・・割りばしに脱脂綿を巻きつけて、父のノドに詰まった痰を

必死に取り除くワザを やってのけてました(^‐^;

 

二人の子どもたち・・2才の息子は、日中は実家に居ましたが、

夜は・・仕事から帰ってきた夫が

自宅に連れ帰り、面倒をみてくれました。

生まれて間もない娘は、あっという間に出なくなってしまった母乳の代わりに、

哺乳瓶のミルクを、上手に手を添えてひとりで飲む・・というワザを、習得してくれました(笑)

 

父のガンは全身に転移しており、最後は脳にまで転移したので

水を飲み込む力も、声を出す力も失われつつありました。

布団の上で、上半身を起こすたびに痙攣が起き、黒目が反転します。

 

もちろん、胃瘻も点滴もしていないので・・

何とか工夫して、口から流し込む努力を続けるしかありません。

 

やがて、よくいわれる・・「仲直りの時期」が、訪れました

それまでの苦しみがウソのように緩和され、少しだけ元気になる・・という

不思議なひとときです。

 

父は、スイカを所望されました~

時は12月。 札幌の大きなデパートまで買いに走りました。

一口大に切ったスイカを、さらにつぶして与えると、「美味しい~♪」とかすれた声で喜びました。

その日、夫が買ってきたお寿司は、少しですが・・なんと、そのまま食べることができました。

 

 

その数日後の夜・・・父は、枕元に家族全員を呼び寄せ、

一人ひとりに 最後の言葉を残して・・・・

静かに、逝きました

 

 

あれから、30年余り・・・。

私は今年、父の享年を超えました

母は89歳。 弟は57歳。

みんな色々あるけれど、いっしょうけんめい、生きてます。

 

 

 

自宅での看病は、ほんとうに大変でした。

幼い子どもたちにも、可哀想なことがたくさんありました。

 

でも、多くの人たちに支えていただきながら・・真新しい畳の上で、

父の最期を看取ることができたことは

良かった!と、今も思います。

 感謝~!

 

 

 

長々と書いてしまいました。

最後までお読みいただいて、ありがとうございました

 

 

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