遅ればせながら、新春のお祝いを申し上げます。
皆さん、お正月はどのようにお過ごしになりましたか。
わたしは、12月31日にトルコから戻ってきたのですけど、1月1日に8度5分の熱
を出してしまい、お正月はほんとうの寝正月になってしまいました。
出かける前から風邪を引いていましたので、旅先で熱が出なかったのがせめても
の幸いでしたが。
喉も痛むし、なかなか体調も回復しなくてずっと寝込んでしまいました。
最近の風邪は、ぐずぐずと長引く傾向があるそうですので、皆さんもどうぞお気をつ
けくださいね。
そんなわけで、わたしはさんざんなお正月でした。
でもまあこれで新年早々、今年の厄払いができた、と思うことにして・・
トルコは治安も良くて、面白い国でした。
トルコ人は、全般的にネアカで陽気な国民性の人々です。
接していて、その根っこに自信を持っている人たちではないか、と感じました。
歴史を見ても、トルコはかってアジア、アフリカ、ヨーロッパにまたがって諸国を征
服し、巨大なオスマントルコ帝国を建設して数世紀間、第一次大戦の前まで君臨し
続けてきましたし、その前のセルジュクトルコも大帝国でした。
トルコが虐げられたという歴史も聞きませんし、現在はどうあれ、圧倒的に優越して
いた民族としての自信がそのDNAに組み込まれているのかもしれません。
下の写真は、イスタンブールの広場です。正面に見えるのは近いようですけど、海
峡を挟んだヨーロッパ側の新市街地。有名なガラタ塔が見えます。
こちらは同じヨーロッパ側の旧市街地区。
地理が複雑で、海を挟んでさらにアジア側へ国土が広がっています。
成田→イスタンブールは12時間くらいかかります。
帰りは追い風がありますので10時間くらいで着きました。
国土は、ヨーロッパ大陸とアジア大陸の両方に所属しており、南はシリア、イラク、
イランなどイスラム圏の国々と国境を接しています。
砂漠は無いけれども、シリアの砂漠から熱い風がくるのが大変なのだそうです。
そして西は温暖な地中海、エーゲ海に面しており、沿岸の畑にはオリーブやナッツ
類(トルコの名産)、オレンジなどが視界全体に広がっていました。
エーゲ海の向こうには、ギリシャが大きくはっきりと見えました。
ギリシャ、トルコ間の戦争で、トロイの木馬が渡ってきた海です。
特に珍しかったのは、トルコの宗教、イスラム教です。
早朝に突然、イスラム教のお祈りのような声(一人の男声)が大音量で聴こえてき
まして、何事かとびっくりして時計を見ますと、まだ5時50分。
日本で、緊急時に拡声器から市役所の広報が流れるのと同じくらいか、それ以上
の音量で五分くらい続きました。
あとで訊きますと、それはお祈りではなくて、アザーンといって、お祈りの時刻を告
げて、お祈りの呼びかけをしているのだということでした。
録音を流しているのではなく、その都度肉声だそうです。
各地のモスク(礼拝堂)の拡声器から一日に五回、そのお祈りが流されることにな
っているのです。
一般のご家庭でも目を醒ましてお祈りをするのか、ガイドさんに訊いてみますと、実
際には朝早くお祈りをする人はほとんどいないし、また、毎日のお祈り自体も、して
いる人は今はあまりいないということでした。
どうやらトルコでは、ゆるやかな信仰のようです。
それでも、こんな早朝なのに誰も宗教相手に苦情は言えないという複雑な一面も。
もっとも、そんなに大きな音量で聞こえたのは、カッパドキアのそのホテルが別荘風
の造りになっているからで、その他のホテルは頑丈なサッシ仕様ですので聞こえま
すが気にはなりませんでした。
びっくりしましたけど、異国のいい経験になりました。
流される時刻はその日によってズレがあり、割とアバウト。
最終は大体、夕方の6時前後。
日の傾く頃、低い音で長く長く声を伸ばしたアザーンに耳を傾けながら歩いていま
すと、心身ともにゆるんできて、不思議に癒される気分になったものです。
下の写真は、イスタンブールの日曜日。モスクの見える広場で。↓
トルコの首都はアンカラですけど、最大の都市はイスタンブール。
貨幣は、トルコリラです。 1リラが50円くらい。
大衆的なレストランでチャイ(トルコ紅茶)一杯が2リラでした。 物価は安いです。
言語はトルコ語。
女の髪は男心を惑わすので見せてはならない教えだそうで、女性の半分くらいが
スカーフで髪を隠しており、半分は髪を隠していません。
中には黒布で全身を覆って目だけ出してという女性もたまに見かけましたけど。
トルコは紫外線がとても強い国ですから、美容のためにはいい慣習かも。
面白いことに、トルコは日本の若い人たちに人気のある国だそうで、冬休みに入っ
た大学生が結構来ていました。
ヨーロッパなどよりもずっと治安が良いので安心して回れるから、だそうです。
とても親日的な国、というのも口コミで知れ渡っているようです。
トルコの人たちはわたしたちが想像している以上に、日本大好きでした。
といいますのも、お互いに助けたり助けられたりした過去の歴史があるからでした。
このことについては、長くなりますので次の機会に是非・・
最後にイスタンブールの写真をアップしてみました。
イスタンブール市は、ボスポラス海峡を挟んで、ヨーロッパ大陸とアジア大陸の二
大陸に分かれており、それを二本の海峡大橋がつないでいます。
幅広い橋の上は車もバスも路面電車も走っており、広い道路のようなもの。
下の写真はボルポラス海峡とガラタ橋を球市街地区から撮りました。
正面に見えるのがイスタンブールのヨーロッパ側新市街地区です。↓
↑ 橋の上には、日曜日でしたので、たくさんの老若男々が吊りを楽しんでいました。
メザシくらいの小さなお魚が糸にたくさん連らなって吊り上げられていました。
橋の一階は、大衆レストラン街になっています。
↓ 下の写真は、橋の上から見たヨーロッパ側旧街地区。
中央の一番高い建物がモスク(イスラム教の礼拝堂)です。
モスクは街じゅう至る所にありました。
イスタンブールは、ヨーロッパ文化にアジア文化、イスラム文化など、混沌とした
文化の奥深さがあり、それでいてヨーロッパでもなければアジアでもなくイスラム国
でもないという不思議な異国情緒が漂う街でした。
できればイスタンブールだけ3、4日くらいかけて歩き回りたかったのですけど・・
写真もたくさん撮ってきていますので、また、トルコについてご紹介したいと思います。
皆さまにとって、素晴らしい一年でありますように