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ビブリア古書堂の事件手帖

2013-02-21 22:20:53 | 日記

 

 

  こんにちは

  最近、面白いテレビドラマを観ています。

  「ビブリア古書堂の事件手帖」。

  タイトルに惹かれて、なにげに第一話から観はじめたのですけど、今では楽しみが

  一つ増えた感じに。 

  フジテレビ月曜日9時からの、いわゆる月9ドラマ。

  視聴率も12%前後と、そこそこに取っているようです。

  主演は剛力彩芽(篠川栞子・店主)、AKIRA(五浦大輔・アルバイト店員)そして

  脇役に高橋克実(志田肇・せどり屋=古書転売人)。

 

     

 

  北鎌倉にある古本屋の店主・篠川栞子(剛力彩芽)が、毎回一冊の古書にまつわ

  る事件の謎を解いて解決してゆく一話完結式のシリーズです。

  第1話を観たとき、これ脚本家のオリジナル作品ならすごいと色めきたったのです

  けど、いつものことながら原作がありました。

  原作は三木延著の同名小説。ミリオンセラーです。

  この原作のコミックス(漫画)も出版されているようです。

 

  先に小説を読んだ人には、イメージや人物設定が違うなどいろんな違和感がある

  ようで、感想を述べるサイトでは、原作と違う点にかなりのブーイングが。

  十代二十代の若い人たちの感想が多いようでした。

  なるほど・・と考えさせられる書き込みも。

  わたしは原作を読んでいませんので、違和感もありませんし、人物設定も人物配置

  も良くできている面白いドラマと感心して観ていたのですけど・・

 

   脚色というのは古今東西にわたっての難問です。

  もともと、小説とドラマ(劇)というのは根本的に違っていまして。

  小説が絵画ならドラマは彫刻に似ている、とは古くから言われていることです。

  例えば、小説の場合は人物が心の中で思ったり考えたりしたことを文字にして読

  者に知らせることができますけど、地の文のないドラマではそれができません。 

  まさか人物が自分の心情をいちいち喋って回るわけにもいきませんし。

  そんなことをすれば、よっぽど自己顕示欲の強い人物とか、寂しくて不安でしょうが

  ない病理の人物などを描いたことになり、誤解を与えることになるでしょう。

 

  なので脚本としては、原作になくても親友や肉親を同居させたりして人物が心情

  を語りやすい環境を作ったり、あるいは局面を作って何らかの行動をとらせて観る

  人に気持ちを感じとってもらったり、などのいろんな工夫が必要になってきます。

  当然、原作にはなかったよ・・という人や場面が出てくることも起こり得ます。

 

  それに、親友や肉親などに語らせるといっても、内容によっては限界があります。

  人間というのは、本当のことほど喋れないものですので。

  そこまで話せるような関係であることがしっかりと描けていなければ、観ているわ

  たしたちは嘘っぽいと感じ、引いてしまいます。

  女同士なのにそんなことまで話すかしら~??です。

 

  いま挙げたのはごく一例ですけど、双方の表現形式の違いというのは、小説をドラ

  マに書き換える上では想像以上に大きいはずですし、尚かつドラマを面白く転がし、

  テーマを描くためには、設定は大幅に変えたほうがいい場合も出てくるのはやむを

  得ないことかと思います。

  ただ、どこまで変えていいかというその許容範囲は、原作者のほうにも観ているわ

  たしたちのほうにも当然あるでしょう。

  あんまりだと思えば怒るしかないです。

  

  脚色ものというのはAという歌手の持ち歌をBという歌手がカバーするのとちょっと

  似ているかもしれません。

  同じ歌なんだけど違う歌になりますね。

  本来そういう性質のものだと思って、原作と脚色ドラマを較べたり自分の解釈との

  違いを楽しむのも一つの楽しみかたになるのではないでしょうか。

 

          

 

   (わたしにとって)このドラマの面白いところは、シャーロック・ホームズ張りの

  栞子の謎解きの奥にもう一つ、表面からは決して見えない人間の心の病んでいる

  部分があぶり出されているところにあります。

  あるときはコンプレックスであったり、あるときは心の荒みであったり、そしてあると

  きは子供の時に受けたトラウマであったりします。

  心に病んでいる部分が無い人など、一人もいない。

  もしいたとしたら、それは自分で気が付いていないだけでしょう。

  ある意味自分に不正直な人かもしれませんし、むしろ無いと言っていること自体が

  病んでいる部分なのかもしれません。

  このドラマでは、表面に見えている物質の世界と心の中の見えない精神の世界と

  の二層が意識してうまく描き出されていると思います。

  ただ、回によってはミステリーっぽいストーリー展開ばかりにあたふたしてテーマも

  なく、策を弄して終わっている回もあります(第6話)。

 

  シリーズは中盤にさしかかっているようで、今週の18日が第6話でした。

  毎回ミステリアスな謎を持ち込んでくる本は、実際に存在する本です。

  第1話・・・夏目漱石「それから」 第2話・・・小山清「落穂拾ひ・聖アンデルセン」、

  第3話・・・ヴィノグラードフ・クジミン「論理学入門」 第4話・・・宮沢賢治「春と修羅」

  第5話・・・アントニイ・バージェス「時計じかけのオレンジ」

  第6話・・・太宰治「晩年」

 

  物語の舞台が鎌倉というのも、このアンティークな雰囲気の作品にはぴったり。

  わたしは好きな世界です。

  鎌倉は、あり得ない・・と思うような話でも鎌倉を舞台にすれば、あるかもしれない・・

  と思わせてしまうだけの魔力を持っている街。

 

  せどり屋をしている志田役の高橋克実や甘味処の店長役の鈴木浩介が、常識から

  ちょっと外れた人間像をコミカルに好演していて、ドラマにユーモアを添えています。

  第4話だけは他の脚本家が書いているようですけど、4話は印象が薄く、平凡な

  2時間もののサスペンスドラマみたいに思えました。

  脚本、演出ともに1話、2話、5話が良かったと思います。

  どういう古本が値打ちがあるかとか、古本業界のことなどもわかって、面白い。

  わたしも原作を読んでみたくなりました。

  次回は、トルコ旅行記を続けたいと思います。どうぞお出かけくださいね。

                            

                           

  

  

  

  

 

  

 

 

   

  

 

 


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