こんにちは
暑かった今年の夏も、もう終わりになりましたね。
みんなで暑い暑いと頑張ってそして、ようやく終わった涼しくなったねとみんな一緒
にホッとしている今頃、わたしは割に好きな時期です。
まだ秋の気配は感じないけれど。
夏の思い出ばかりが残されている。
そんな晩夏に似合う詩を2、3ご紹介します。
私の耳は貝の殻(から) 海の響きを懐かしむ
<ジャン・コクトー「耳」>
いきなり、たった一行の短い詩なので驚かれたかもしれませんけど、これも詩です。
コクトーの有名な詩ですのでご存知のかたも、この詩が好きなかたもいらっしゃるこ
とでしょう。
昔ある教室で、この詩を読んでどんなイメージが浮かびますかと訊かれたことがあり。
夏の賑わいが嘘のように静まり返った海、白い砂浜に波がくり返し打ち寄せている
遠景です、といったようなごく平凡な答えをしますと。
海の響きが入っていないんですね。
・・・・・・・・?
いえそれでいいんですよ、イメージに音は入りませんからね。
なんか難しい質問をされたのを未だに思い出します。
ジャン・コクトーはフランスの有名な詩人。1889年~1963年を生きた人でした。
わたしはこの詩が好きで、夏が終わる頃になるといつも繰り返し思い出します。
この詩はとくに夏の終わりの詩、というわけではないのですけど。
夕方、久しぶりに公園まで足を延ばしました。
夏休みの間、遅くまで声が響いていた小学生たちの姿はもう無くて。
地面が夏の猛暑の火照りを冷ましているような。
ヒグラシはまだ鳴いていました。
賑やかな秋の虫の音が勢いよく、アブラゼミやツクツクボウシ、ミンミンゼミも鳴い
ていて、やはり主役はヒグラシの時々もの哀しく響き上がるあの高音。
虫たちのハーモニーを楽しんできました。
小さなみなとの町 木下夕爾(ゆうじ)
母とふたりで
汽車でとおった
小さなみなとの町
たれかのたべのこした
アイスクリームが
まどわくのところでとけていた
汽車のとまっているあいだ
波の音がきこえていた
つくつくぼうしが鳴いていた
それだけをはっきりとおぼえている
もう二度とくることもないだろうと
おもいながらとおりすぎた
小さなしずかなみなとの町
夏の思い出の詩。
自分にも似たようなことがあったな、と気づかされます。
詩を読むと、そんなことを人と話すことはまずないけれど、みんな同じような心情
経験をしていることが分かって嬉しくなります。
集合意識に触れたような詩が多くて、さすがに詩人の感性ってすごい。
この木下夕爾(ゆうじ)という詩人は広島県福山市に生まれ、1914年~1965年
を生きた人でした。
最後にそのものずばり、「夏の終わり」という伊東静雄の詩です。
この詩人は1906年に長崎県諫早市に生まれ、1953年に亡くなりました。
伊東静雄賞という現代詩の賞が残っているそうです。
あなたもきっと見たことがあるような情景。
夏の終わり 伊東静雄
夜来の颱風(たいふう)にひとりはぐれた白い雲が
気の遠くなるほど澄みに澄んだ
かぐはしい大気の空をながれてゆく
太陽の燃えかがやく野の景観に
それがおほ(おお)きく落す静かな翳(かげ)は
・・・・・・さよなら・・・・・・さようなら・・・・・・
・・・・・・さよなら・・・・・・さようなら・・・・・・
いちいちさう頷く眼差しのように
一筋ひかる街道をよこぎり
あざやかな暗緑の水田の面を移り
ちいさく動く行人をおひ越して
しづかにしづかに村落の屋根屋根や
樹上にかげり
・・・・・・さよなら・・・・・・さようなら・・・・・・
・・・・・・さよなら・・・・・・さようなら・・・・・・
ずっとこの会釈をつづけながら
やがて優しくわが視野から遠ざかる
八月はブログを長くお休みしまして、せっかくいらしてくださったかた、申し訳ありま
せんでした。
これに懲りず、またお出かけくださいね。