英・ストラトフォード・アポン・エイヴォン(シェークスピアの生家)

2017-08-23 22:13:13 | 旅行 ・ 装飾吊り看板

 

  こんにちは 

  先日は、書きかけのこの記事をうっかり投稿してしまいまして、多数のかたにお越し頂き、ご迷

  惑をお掛けして申し訳ありませんでした。気を付けているつもりなのですけど、またやってしま

  いました。

 

  今日は前回の続きで、街の中にあるシェークスピアの生家に入ります。

  ↓下は、その生家。16世紀後半に建った建物です。

  シェークスピアは1564年にこの家で誕生しました。  

          

  この建物は実はT字型になっていて、奥にもう一棟、直角に繋がっています。

  ↓下は、裏庭から撮った写真。

          

          

  宮殿や教会とは違って昔の民家の中に入って見学できるのは、古くてもせいぜい18世紀の民家

  だそうです。16世紀までさかのぼった古民家を保存し、生活を再現している例は珍しい、と聞

  きました。この家屋全体が古民家博物館のようなものでした。

  日本では、徳川幕府ができたのが1603年ですのでそれよりもっと前の時代ということに。

     

  ↓下は、裏庭に通じる出入り口です。この家は当時としては裕福な町屋だったそうです。

  電気が無い時代ですので、窓を通してできる限り外の明かりを取り入れる工夫がしてありました。

          

 

  ↓まず一階の台所から。水道ガス電気の無い時代ですので、調理台の下に水瓶が置いてありました。

  当時は西洋磁器もまだ無かったので、食器は陶器や木製ばかり。

           

 

  ↓下は、暖炉のある食堂。家長の席は特別の椅子。日本でも昔はそうでした。

  一階はすべて石の床になっていて、二階から上は板の床です。

          

 

  ↓誰かの個室のようです。住人のモデルらしいお人形は男性なのか女性なのか分かりません。

  暖炉はさすがにあちこちに造りつけてありました。イギリスの北緯はカラフトと同じくらいです

  ので、カラフトほどではありませんが、冬は結構冷え込みます。          

          

  ↓下は、上の写真の続きです。夜はロウソクの灯りに頼る生活。  

          

               

           

 

  ↓二階にある、父親の仕事部屋。

  シェークスピアの父親は職人で、皮手袋製造業を商いながら町長も勤めていた人でした。  

          

  ↓上の仕事部屋の続き。今風に言えば工房とかアトリエですね。

          

 

  ↓当時のコスチュームをつけた係員が質問に答えていました。  

          

 

  ↓下の写真からは三階、といいますか屋根裏部屋です。

  屋根裏部屋は子供たちの部屋専用になっていました。

          

          

  ↓下も、屋根裏部屋。梁には石灰を塗ってあるようです。虫よけのためでしょうか。

          

 

          

 

  ↓出窓にシェークスピアの胸像。窓から町の様子が見えて、いかにも町屋らしい風情でした。

  シェークスピアは晩年はこの街の郊外に暮らし、1616年52歳でこの世を去っています。

          

 

  ↓下は、シェークスピアの生家のあるヘンリーストリート。

  真っ赤な電話ボックスはイギリス名物ですので、携帯の時代でもまだ撤去されていません。

          

           

  ↓このストリートに、大好きなピーターラビットの吊り看板を見つけました。 

           

 

  ↓ピーターラビット・ショップ。ピーターラビットは、この街よりずっと北部、スコットランド

  の下のほうにある湖水地方を舞台に描かれています。

          

 

  こちらはまた猛暑が戻ってきました。皆さん、夏バテは大丈夫でしょうか、お気を付け下さい。

 

  

                             

 

          

 

 

 

             


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