北イタリア旅行記(フィレンツェ・シニョリーア広場)

2014-12-03 22:49:15 | 旅行 ・ 装飾吊り看板

 

  こんにちは

  いよいよ師走になりました。

  左サイドバーの今月の歌も更新し、クリスマスにちなんだ歌をアップしました。

 

  今日は、ルネサンス発祥の地フィレンツェの続きをお話ししたいと思います。

  フィレンツェという名前の由来は、古代ローマ時代に「花の女神フローラの街」とい

  う意味でフロレンティアと名付けられていたのが、いつしかフィレンツェになったそう

  です。ルネサンス(文芸復興)は花の女神の街から始まったのですね。

 

  さて、フィレンツェの最も中心的な場所は、ヴェッキオ宮殿の前にあるシニョリーア

  広場です。

  この広場は驚くほど歴史が古くて、紀元前から現在までずっとフィレンツェの政治の

  中心地であり続けてきた、いわばフィレンツェの原点のような場所。

  そして現在でも、ヴェッキオ宮殿はフィレンツェの市役所になっていて、変わらず

  政治の中心です。

 

  ↓下の写真はそのシニョリーア広場の一角ですけど、広い石畳の広場のあちこちに

  有名な彫刻が置かれていて、彫刻の野外展示場のようでした。

  レプリカばかりではなく中には本物もあるそうです。 

      

 

  ↓下の建物が現市役所のヴェッキオ宮殿。1299年~1314年の建築です。

  見え辛いのですけど、この宮殿の前にも大理石や青銅の彫像が並んでいます。

  右手奥に見えているグレーの建物は、有名なウフィッツィ美術館。

      

  ↑要塞のようなこのヴェッキオ宮殿は、ずっと政庁舎として使われてきましたけど、

  一時期はメディチ家の住居になっていたこともあるそうです。

 

  メディチ家といいますのは、金融業で莫大な資産を成して台頭し、長くフィレンツェ

  を統治してきた一族です。

  そのような一族はどこの国にもありますので、特に珍しい話題でもないのですけど、

  このメディチ家は特別の一族です。

  潤沢な財力で芸術家や学者を保護し、このフィレンツェにルネサンスが起こり開花

  してゆく活動の、経済的なバックボーン、つまりスポンサーとなったのでした。

 

  たとえ財力があっても、そこに多くの天才がいないとルネサンス(文芸復興)ほどの

  大きなムーブメントは起こり得ないのですけど、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケラン

  ジェロのような万能天才のほかにも多くの天才が生まれてきました。

  しかもメディチ家の代々の跡継ぎも、そのような文化のムーブメントに財をつぎ込

  む理解を持っていた人たちでしたので、フィレンツェは第一次ルネサンスの黄金時

  代の後、第二次ルネサンスの時代も迎えることができたのでした。

 

  これだけの条件が揃ったというのは、「奇跡」としか言いようがないと思います。

  花の女神の街フィレンツェは、世界を変えたルネサンスが成功するだけの奇跡が

  起こった、やはり特別の街、選ばれた街だったのではないかと。

  ルネサンスはやがてイタリアから全ヨーロッパに波及してゆきます。

 

  ↓下の建物は宮殿の前にあるランツィの回廊。

  ここにもいろんな彫刻が並んでいました。

        

  ↑ミケランジェロが、このアーチのあるランツィの回廊をたいへん気に入っていたそう

  で、広場全体をこのアーチで取り囲みたいとまで提案していたそうです。

  ミケランジェロが造った回廊ではないのですけど。

 

  ↓下は、ヴェッキオ宮殿(左)の前に立っているヘラクレスとカークス像です。

  右側のグレーの建物は、先ほどもご紹介しました美術品の宝庫ウフィッツィ美術館。

  彫像の下の男は殺される寸前のようです。     

      

 

  この広場にある彫刻は、ギリシア・ローマ神話に題材をとっているものが多くて、今

  まさに人を殺すところだの切り取った生首を掲げている男だの、生々しい恐怖の瞬

  間をストップ・モーションしたような過激な像が多いのに驚きました。

 

  ↓下の彫像は、ローマ神話に出てくるネプチューン(海神)です。

  ここは噴水になっていますので「ネプチューン噴水」と呼ばれています。

  この広場の代表的な彫像で、ガイドブックなどによく出てきます。  

        

 

  ↓下の写真もシニョリーア広場です。右の建物がヴェッキオ宮殿。

  広場は、ヴェッキオ宮殿を挟んでL字型になっていました。

       

 

  ↓中央のコジモ一世像の拡大です。

  メディチ家のコジモ一世は、第二次ルネサンスの大きな後ろ盾となった統治者。

  加えて、ウフィッツィ美術館やヴァザーリの回廊などを建設し、今日のフィレンツェの

  景観を作り上げた人物です。 

      

 

  お祭りでもやっているのかと思うほど人出の多いシニョリーア広場でしたけど、観光

  客だけではなくて地元の市民もたくさんいるそうで、待ち合わせにはこの広場がよく

  使われるそうです。市民広場なのですね。

 

  ↓広場から出た所。調べたのですけど、教会の名前は分かりませんでした。

      

 

  ↓フィレンツェの街には細い裏通りが多くて、そこに古い建物がひしめいている裏街

  光景をよく見かけました。

  イタリアは路上駐車は当たりまえ。駐車場代を支払えば路上駐車が認められてい

  る市もあるそうです。駐車場が無いのでやむを得ないようです。 

      

 

  ↓やはりそんな裏通りで見かけた神父さん。

  ひょっとしたら、ドゥオーモの神父さんかしら。

  フィレンツェの感じが出ていると自分では思っていて、お気に入りの写真。

      

 

  ↓フィレンツェは、ブーツ型のイタリア半島の上から3分の1くらいの所にあります。

  トスカーナ州の州都。

  トスカーナ地方は童話のピノッキオが生まれたところ。

  フィレンツェでも、あちこちで鼻の高いピノッキオのお人形を見かけました。

      

 

  「ピノッキオ」は、木で作ったいたずら好きのお人形が最後に人間になるという、童

  話の中でもユニークなお話。

  人間に戻るのではなく、人間になるというのです。

  いや~、かぼちゃが馬車になったりするメルヘンとは次元の違うお話で、子供心に

  違和感を覚えて、気持ち悪いと思ったのを憶えています。

 

  フィレンツェなどトスカーナ地方を回っていますと、ピノッキオの童話のように、得体

  の知れない奇跡が起こってもおかしくないような、独特の雰囲気(個性)を感じるこ

  とがよくありました。

 

  次回は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」やボッティチェッリの「ヴィーナス誕

  生」、「春」などのある、美術品の宝庫ウフィッツィ美術館の様子などをご紹介したい

  と思っています。

  また、前回の「フィレンツェ・その1」では、赤いクーポラ(ドーム屋根)のある大聖堂

  (ドゥオーモ)や街の様子をご紹介しています。

  よろしければご覧になってください。

 

  世界的に有名な美術館です。次回も是非お出かけくださいね~☆ 

 

                            

 

 

 

 

 

 


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