こんにちは
国会が解散になり、慌ただしくなってきました。
フィギュアースケートのグランプリ・シリーズもいよいよ終盤のNHK杯へ。
男子シングルの日本勢が三人揃ってファイナルに進出できるといいのですが・・
さて今日は、北イタリア旅行記の続き、花の都フィレンツェのお話をいたします。
みなさんご存知のようにフィレンツェは、世界を変えるルネサンス(文芸復興)の
中心となった地。
芸術や思想の革新を起こし、それまでの神中心の文化から人間中心の近代文化
への転換の始まりを作った地、と言われています。
と思いますと、一般の観光地と同じように気楽にはご案内できないような、襟を正
す気分になってしまいますけど、なにしろ勉強不足ですのでフィレンツェのことがま
だよく分かっていなくて、結局、観光地と変わらないご案内になりそうです。^-^;)
13世紀末から15世紀を通して、この街で一体何が起こってどんなふうだったのか、
何故この街から起こったのか、その実態が想像もつかなくて。
とにかく、ちょっと滞在したくらいでは杳としてその正体がキャッチできないという
印象の街でした。
実際に軍事革命が起こった街などのほうがよほど把握し易いのでした。
↓下の写真は、フィレンツェの最も中心になる部分、世界遺産の歴史地区です。
画面左側に見える塔のある茶色の建物がヴェッキオ宮殿、右側の赤いドーム屋根
のある建物がフィレンツェを代表する建築物ドゥオーモ、正式にはサンタ・マリア・
デル・フィオーレ大聖堂(花の聖母教会)。
ルネサンス当時、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ボッティチェッリ、ラファエ
ロなどたくさんの天才がこの街に住んで創作活動をしていたのでした。
↓下の写真は、小高い丘の上にあるミケランジェロ広場。
この広場からフィレンツェの街が見晴らせ、↑上の写真を撮ることができました。
だだっ広い広場の中心にはミケランジェロ作のダビデ像(右の像)の青銅のレプリ
カが立っています。本物は、やはりフィレンツェのアカデミア美術館にありました。
↓フィレンツェの中心街へ。
正面が、フィレンツェを代表する赤いクーポラ(ドーム屋根)のあるドゥオーモ、サンタ
・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(花の聖母教会)。
繁華街の真ん中に、しかも歩いて行ける所にこのドゥオーモやヴェッキオ宮殿、
ウフィッツィ美術館などなどフィレンツェの主要な建物が集中していました。
↑この時はあいにく、右側手前にあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂が修復工事中のた
めカバーが掛かっていて見えませんでしたので、今年の一月に行った時の写真を
載せました。↓
↑手前の八角堂のサン・ジョバンニ洗礼堂と奥の赤いクーポラのあるドゥオーモと
その右手の塔、ジョットの鐘楼の三つの建築物がセットになってサンタ・マリア・デ
ル・フィオーレ大聖堂を構成しています。
ペン描きの絵を思わせるような、縁取りをはっきりさせた装飾にご注目ください。
イタリア独特の建築装飾です。
↓下は、その三点の中でも最も中心になるドゥオーモ(大聖堂)の正面。
この正面と奥の赤いクーポラの建物はつながっていました。
ドゥオーモは140年かかって1436年に完成したということです。
なので、後期のゴシック建築と初期のルネサンス建築の混合建築だそうです。
↓カトリック教会ですので、外壁の一番高い中心にいる人物は聖母マリアとイエス。
↓外壁の装飾は、白、ピンク、グリーンの大理石を使っているそうです。
ピンクの大理石なんてあるのですね。
正面の扉を入りますと、粛然としたゴシック様式の長い長い礼拝堂が続いていました。
↓その奥に採光用の窓の付いたドームがありました。
これが赤いクーポラのトップの部分です。
↑描かれているフレスコ画は「最後の審判」だそうですが、ミケランジェロの作品で
はなく、ヴァザーリとその弟子たちによる作品だということです。↓
赤いクーポラは高さ90メートル。
464段の階段を上がればてっぺんまで行けるそうですけどわたしは棄権。464段なんて!
階段の壁は、日本の大学生がドゥオーモに落書きをしたということで一時大問題になって
バッシングに発展したことがありましたけど、覚えていらっしゃいますか?
あのころの報道ではあたかも、何も書いていない世界遺産の壁に日本の学生だけが落書きをし
たようなとんでもない破廉恥行為という印象を受けましたけど、実際に階段を上がった人の
お話では、階段の壁一面がが世界中の観光客の記念サインの落書きだらけだったそうです。
その写真も見せて頂きました。
なんと日本の学生の落書きはその中のひとつだったわけです。
話が違うじゃないの、と言った感じです。
だからといって落書きをしていいということではありませんけど、あのときの連日の
報道は事件の全体像を正確に報道していなかったようです。調べもせずに過熱しすぎ。
報道は正確さが命なのですから。ちょっと怖い気がしました。
↑ドゥオーモを横から見ますと、その長さに驚きます。
それは、入口から奥の祭壇までの礼拝堂の長さです。
↓フィレンツェの街の中で。イタリアの少年少女。ダビデ像に似ている子がいました。
この辺り、レオナルド・ダ・ヴィンチが歩いたかもしれない・・と思いました。(*^▽゜)v
↓ジェラードのお店。
日本にも似たようなアイスクリームを売っていますけど、味の濃厚さと美味しさは
段違い。コーンカップももっと分厚い。日本にも出店してほしいデス。
ダブルで2、5ユーロ―ですので350円くらい。(@_@)
↓そして、こんな車が走ってきました。なんてイタリアな!
フィレンツェに着いた日から突然暑くなって、十月中旬なのに27度になりました。
ヨーロッパでは、春と秋にはよくあることです。
ルネサンスの頃には貴族相手の革製品などが流通し始め、グッチやフェラガモは
フィレンツェで生まれたそうです。
フィレンツェにはそんな一面もあるのですね。
次回も底知れぬ街フィレンツェを続けたいと思います。(゜▽゜*)/