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バナナマフィン

こんなやつでも神は見捨てないで下さっています。むしろキリストの愛で生かされています。

彼の問題は、彼の問題

2007年09月03日 01時25分35秒 | Marriage
二日前 高熱を出していた最中に
叔母から母が書いた暑中見舞いの返信はがきが来た。

その中に、私の前夫から電話があり、来週手術をするので、私から連絡があったら伝えてくれるようにと言っていたというのだ

あれほど私の親戚に電話をかけないように言ってあるのに
全く無視

怒りと同時に彼が命を落とすかもしれないよな転移する病気にかかっていることに動揺した。

私が悪いのか?

という思いが走馬灯のように過去の記憶が蘇りながらこだましている。

わからなくなった。

どうしていつまでも私を追いかけるのか。。。

いっそ一回私を見に来ればいいのに
彼が期待するようなかつての容姿も今の私にはない

まして彼に対する思いも今の私にはないのに

どうして執拗にまで私に自分の存在を示してくるのか

それと対照的なことに、彼の両親、兄弟、親戚からは一切私に連絡はない

この温度差にまた腹立たしさを覚えた。

思いあぐねてMatさんに相談した。

今、正直私にはいろんなチャレンジがある
肉体的、精神的な様々なこと

私の目にはただいっぺんに重なったことと思えるが
これは霊的戦いだと言われた

また冷静に判断するならば
すでに離婚していて他人になっているのに
私に対してとってくる前夫の行動はおかしいから
腹立たしさを覚えるのはしょうがないこと

かといって、彼の行動を規制したり
命令したりすることは私のすることではない
(まあn度が過ぎてきたらそれなりのことをする必要があるだろうが)

でも、私から今何かする必要はない
それより、私の心に湧いてくる一切の思い煩いを
神に持って行き
委ね続けることを繰り返していくこと

旧約聖書に
「これは神の戦いだ」と書いている
私がそれを認めて、神の御翼の蔭に自ら入ろうとするなら
神が守り、勝利される

所詮私が勝てない戦を
なんとかしようとすることが
間違っている

ああ、よかった
もうちょっとで目をくらませられるところだった。


こりないメール

2007年02月04日 23時07分17秒 | Marriage
最近いろいろと続いている。

昨夜別れた夫からメールが来た。


再婚しよう


だそうだ。。。。

あ、あいた口が塞がらなかった。

は?
なんと簡単に離婚を考えているのか。
理解できない。
というかこちらの意志が伝わっていないのか。

執拗に自分の世界を押し付けてくることに
恐れさえも感じる。
私が今、何を考え生きているのかということに
なんの脈略もないメールの内容

笑い転げた 
あまりにもバカバカしくて
ふざけんなと正直思った

あれだけの苦しみ修羅場をくぐり
痛みを味わったのに
私の心が全く無視されているような
土足で人の心に踏み込まれたようだ

これって私の自己憐憫か?

私は彼を赦していないのか

このブログを通して
私は自分の正当性を主張したいんじゃない
自分のやり方に固執しない

私の方向性は神に従うこと

それを踏まえて現実をもう一度考えよう

神の願いは私が彼を赦すこと
まだ日が浅い傷をこのように触られると
様々な思いが蘇る
でも、私の思いそれは幻影のようなもの

私の肉はキリストと共に十字架につけられた
そして今私の内にいるのは
キリストを復活させた力によって新しい人が与えられている


ならば今赦せない思いがくるなら
正直に神の前にそれを認め
また赦すと言おう

主よ
どうか赦せない思いを握り締めて蝕まれていかないように
私を守ってください。

わかっています
本当にへたくそな歩みです
なんにもわかっていない歩みです

どうか助けてください

自分の正当性を高く上げ
相手をいけにえとしてたたくのではなく

あなたはいけにえよりも
あわれみを好むとおっしゃった

それがどういうことか行って学んで来い
とおっしゃった。

あなたの目で彼を見ることができますように

そのために、私のうちにある
怒り、悲しみ、恨みをとりさってください
こんなのなんの燃料になんかなりません

これを燃料にするならば
わたし自身がやきころされてしまうでしょう

もう一回の失敗

2006年10月07日 00時36分19秒 | Marriage
2回目の結婚について書きます

それは私が30歳の時
アメリカ在住の夫と離婚した数日後
私はアメリカ南東部にいる幼馴染に電話した

彼とは高校時代からの知り合い
アメリカでの結婚生活にどうにもこうにも行かないとき
彼に国際電話をしていた。
泣きながら悲しみを聞いてもらっていた人

かれはずーっと学生だった
今でははっきりしたが
20くらいで渡米して、あちらで勉強していたが
なかなか卒業できず
酒もかなりのんでいたらしい

いつまでも話に付き合ってくれる人
その彼に私は頼っていた

父親を失った心を埋めてくれる人は彼だと信じて

結婚しようとまで話をされたこともあった
国際電話で
でもなかなか帰って来なかったし
もし、好きな人ができたら結婚してもいいよ
と言われていた
彼は責任をもてなかったからそういったんだと思う

そして私はロスの人と結婚した

その結婚がうまくいかなかったと思うやいなや
私は幼馴染が恋しくなって
彼を思うようになった

前の結婚中で幼馴染に電話したのは3回
本当に辛かったとき
いつでも嫌がらずに付き合ってくれた

でも彼はずーっと学生だった

私は帰国しロスの夫と離婚して
彼に会いにアメリカ南東部に行って彼を確かめた
私がわかったことは、彼がまだ私を好きでいてくれているということだけだった
そのときの傷心の私にはそれだけで十分だった

私は自分がどう生きるのか、なにも定まっていなかったのに
なにもわからなかったのに

今改めてその時のことを考えるならば
彼は卒業できないし、日本へも親の体裁の手前
帰国できない
酒も止められない
生活費は完全に親からのサポート
そのような生活を送っていた人だった

またもや寂しいから
だから彼と早くずっと一緒にいたいと思うようになった

2年まって彼は卒業せずに帰国した
そして3年後に結婚した

でも結婚した10日後に彼は再飲酒を始めた
それから地獄の結婚生活が始まった
彼は酒を飲むと飲み続ける
そうすると人が変わってエゴイスティックになった
楽しい会話も、夫婦の関係を建て上げることもできなかった
挙句の果てには自分の親に私を愚痴り
飲酒を正当化するまでとなった

喧嘩がたえなかった
酔っ払いとの喧嘩は本当に悲惨になる
よくニュースで殺し合いになったと聞く
それだけ相手をあおり、怒らせる

いつ会社がクビになるかもわかならい
会社を飲んだくれて連絡もなしに休んでは
解雇されを繰り返し
とうとう家賃も払えなくなった

飲酒時の精神的肉体的DVも起き
私は自分がプッツンこないように民間シェルターに非難する始末
鬱病や喘息も併発し私がおかしくなりそうな状態だった

それでも母親の病院には顔を出さなくてはならなかった

そしてあるとき夫の両親がマンションを尋ねてきて
息子に実家に帰るよう話した

そして夫は実家に帰った
飲酒は私のせいだとのことで

私は自分で家賃を払えるわけもなく
精神的に参ってしまった。
マンションを引き払うために荷造りをしなければならなかったのに
泣いてばかりで、ため息ばかりですすまなかった。

何もできない者になった

そして牧師の家に非難することになった
結婚してから2年と4ヶ月だった

それから3年の別居をしてつい先日離婚届けを出してきた
3年待ったけど彼は変わらなかった
お酒は少し飲まなくなったらしい
でも、彼の本質は変わらなかった
自分も原因の一つであるという自覚がなかった

つきつめると私の責任としたがった

今私は40歳
この歳になって
私に本当に必要なものは何かを考えるようになった
色恋でなく、自己実現でもなく

私の魂に必要なもの

それはキリストの愛
神の愛

フロイトも言っていたけど
私の心の中にキリストでしか埋められない空洞がある
それはキリストでしか埋められない
神は私をキリストに出会わせてくれた

少しずつ聖書の中に書かれている御言葉を読み
牧師の解き明かしを聞き
祈り
キリストに従おうとしている人たちと話したりしていくうちに
また、聖書から愛することを学んだ時
それを実際具体的に実生活にも実践できるように
神に求めた時から

私の心は癒され始めた
いつ、
どうのように
どんなかんじに
かは、私には分からない

でも、今心の空洞を覚えていた場所が
満たされている
キリストの平和で


だれでもキリストの内にあるなら
その人は新しく造られた者
古きは過ぎ去り
すべてが新しい
キリストにあるなら
すべてが新しい





寂しさを埋めるための結婚

2006年10月06日 23時55分16秒 | Marriage
一回目の結婚は、夢のような結婚だった。
当時私は26歳だった。

台湾系アメリカ人の結婚式に出席するためにハワイに行き
その披露宴で最初の夫に知り合った
彼はロスで働いている日本人。
仕事はできるし、アメリカ社会で生きられる人
シェラトンワイキキのバンケットルームから見える茜色の夕焼けと海をバックに
彼と話せば普通の日本人で気取らず
おしゃれな洗練された風格に参ってしまった

私は22のときに父親を亡くした寂しさを埋めるために
それに代わるものを必死に探していた。

そのあと今度は私のオレゴンに住むアメリカ人の友人の結婚式に出るために
オレゴン旅行を計画していた。
オレゴンへはロス経由で行くことにした。
そして互いの気持ちを確認した。

私はきっと幸せになれると信じて、それまで付き合っていた人をふって
出合って3ヶ月目で入籍した。
父親がなくなって3年後のことだった。
私は自分にとって本当に何が必要なのか
どうやって歩むことが幸せなのか
知らずに、安易にこの結婚を感情と勢いで進めてしまった。

でも、ここには本当の愛がなかった
彼は再婚で子どもがいて、前妻が引き取っていた
でも、彼の中には私たちの生活より子どもとのつながりを求めていた。

また彼の青写真には、
ロスに住んでいて
好きな仕事をしていて
家庭があって
家があって
友達がいて

家庭という青写真には、誰がはいってもいい「家庭」というくくり
私というパーソナリティはそれほど重要ではなかった

私も子どもだった。
何を夢見ていたんだろうか

入籍後早速アメリカに移ってきた
日本と違うサンタモニカの生活
気候、風景は最高なのに

生活を始めて数日後に見つけた写真は前の彼女が彼のワイシャツを着て
朝コーヒーを飲んでいる写真
前妻の入浴中の写真

打ちのめされた
はっきり言えば3ヶ月前まで全く知らない人
これからその信頼関係を築いていく必要があるのに
それよりもっとマイナスに引き戻された思いに
すかり塞ぎこんでしまった

その写真を捨てようとしない夫
そのことに嫌悪感でいっぱいになり
移り住んできた彼の家にあるすべてが嫌になった

捨ててと毎日のように泣き叫び
そんな感情的になる私を冷ややかに無視する彼にいっそう
心が傷ついていった。

母が病気になったことを理由に
彼と結婚していた4年間は日本とアメリカを行ったりきたりの生活だった

そして長い別居生活に入った半年後
彼に好きな人ができたと言われて
離婚した。

最近ジョシュア・ハリスの「聖書の教える恋愛講座」という本を読んだ。

私はまず結婚よりも前に霊的に、精神的に成長することだった。
人を愛するってことはそんな簡単なことじゃない

でも私は愛されたいから結婚した。
実際は愛さなければ成り立たない
だからギブアップした
簡単な理由
幼稚だったから

自分の快楽を求める自己中心な人間
そう、わたしはエゴイストだった。

愛することなんてこれっぽっちもしらなかった。

夫婦は相手の状態にかかわらず
忍耐しあい、
親切し合い、
赦しあう

それを本気でやろうとしているのは
キリストに本気で従っていこうと願い、踏み出している
少数のクリスチャンたち
(自称クリスチャンではなく)

彼らの愛は強くて、タフ
仲間で励ましあい
本当の夫婦関係を築いている

そこにはテレビででてくるような
浮気のだまし合いや
愛情の無い生活じゃない

相手を愛するという二人が
互いに愛し合おうと努力している
その麗しさはそばでみていると
本当にうらやましくなる

プライオリティが快楽でも
自己中心性でもない

純粋な愛

このような愛を持とうと目指している人たちを
Born again Christian 以外には見つけられない。

私が愛することを追い求め始めると互いに愛し合うことができるんだ
ということを学んだのは
ほんの最近、去年位から

この二つの結婚はどうすれば自分が粉々に傷つくのかを
実体験したに過ぎなかった。


神はいつも最善をなしてくれている
そして各人に最善の計画を持っておられる

私が自分のやり方や勝手な考えを捨てて
神の声に耳を傾けるならば
神の計画が自分に実現されることを願うならば
神は喜んでその計画を遂行してくださる

私を神に明け渡すこと

主よ、助けてください

ひさしぶりなブログ

2006年10月03日 21時48分52秒 | Marriage
仕事が始まって あっというまに4ヶ月目に入った。
まだまだ慣れないけど、やっと緊張が和らいできたかな。。。

9月1日に離婚届けを出した。
リバウンドが心配だったが、それほどひどくなく、心が守られた。

私は97年7月にも一度離婚している。
今回は二回目の離婚

97年の一回目の離婚のときは
母親のショックぶりが尋常じゃなくて、
それに対抗できる力も余裕もなく
ただそれから逃れるために一人暮らしをはじめた。
でも、それが孤独との同居でとても辛かったな。
耐えられなくて、その時も一回目の椎間板ヘルニアで
かなりひどくて痛みで寝られなくて、よく泣いてたな。
その寂しさに耐えられなくて、2回目の結婚に踏み切った。

でも2回目の結婚がアルコール依存症との生活で
住むことさえままならなくて
住んでいるところを追い出されて
それから本気でキリストを求めるようになった。

ただバイブルスタディや礼拝に出て
神の言葉を聞き、解き明かしを学んだ
ただそれだけで私の心が一枚一枚癒されていった

今回の離婚も私が寂しさで決めた結婚の失敗の結果なのに
心が守られている。
不思議だ

心に平安がある
夫を赦すことができたし
自分の立ち位置がわかっているから

今からまた新しく歩もうと思える。

またかくね  

もういちど

2006年06月24日 02時17分10秒 | Marriage
やりなおそうとメールが来た

もてあそんでいるわけじゃない
こちらは去年暮れからずっと別れたいと言っている

どうしたらいいんだろうね

結婚って難しい

最近考えた
普段の人間関係が良好じゃないと
もっと身近になる夫との関係にももちろん影響する

私は人付き合いが得意なように見えて、けっこう苦手
というか、相手より、自分本位にしゃべったり行動したりするんじゃないかと思う

「するんじゃないか」なんて来月40にもなるのに自分のこと知らなすぎるよね
私は嫌われているんじゃないかと思うことが最近良くある
この人も私のこと嫌いなのに仕方ないから付き合ってるんだろうか
って。

子どもの頃からバレエをやっていて、同級生とは同じ足並みで学校生活を送っていなかったような気がする

3歳から舞台に立っていた

箱入り娘で
甘やかされて育った

家族で私が中心のような会話
みんなの期待をかけられ、愛されてきたと思う

でも、私がその家族を同じように愛したか?
そう思えない

してもらって当然というメンタリティ
学校でも一目置かれていた

どちらかというと後ろに引き連れているような
やな奴
っていうような感じでもなく楽しんでいたけど

でも、人を愛するということ
愛されることはたーくさんあったと思う

親、祖母、友達、そして恋人

でも私は、その人達を愛しただろうか?
いや、傷つけたことのほうが多いと思う
あまりに鈍感すぎて、私は気が付かなかった
そんなことどうでもよかったかもしれない
私が気分よければそれでいい

なんて人生を40年も過ごしてきたんだろう

今更ながら後悔している

愛すること今の今まで学ばなかった

何か特別なことなんていらないよ
本当に愛すること学ぶために
子どものころに戻りたい

人を本当に愛する人生を歩みたい

all 咳 day

2006年06月17日 18時40分48秒 | Marriage
今日こそは衣替えをしたかった
ずっと家にいた。

でも咳がひどくて動けなかった。
何もできなかった

さっきメールチェックしたら
別居中の夫からメール
本当に嫌

自分の考えしか言わない
やり直したい
好きだ
幸せにできる自負がある

でも、崩壊した家庭をどのように修復するのか
前向きな意思とアクションがまったくない

こちらが提示することに関してははぐらかす
ただ「好きだ」とか「愛してる」とか

・・・what?

何を今更いっているんだろう
このまままた一緒に住んでももとのもくあみじゃないか

どうして問題点を直視し、進んでいこうとしないんだろう
それができないのか

まったく自分勝手で自己中
そう私には思える

きっとあっちは酒とDV、また夫の両親の屈折した関わりかた(夫婦の間に入ってくる)
私を蔑んでいるメンタリティがあるから会話が噛みあわないんだろう

この世で何ができたか
それってそんなに大事か?
たまたまラッキーで努力がくっついただけじゃないか
それをひけらかして、人を見下す
中身があまりにも無い

経歴主義で私は親から「どこの馬の骨」呼ばわりされた
心無い態度
夫の飲酒を嫁のせいにする

魅力を感じないんだよ
そういう人

人の痛みのわからない奴
突き詰めると、
自分の欲望を満たすことしか大事じゃない

「好き」という言葉と
雰囲気
ムード
で人はだませる

でも本当に愛することって自分が犠牲を払うことじゃないのか

自分の欲、性欲、独占欲を満足させたいという思いをコントロールしないで
好き勝手なことを、欲に振り回されながら
言ってのけるような人生を

私はもう絶対に歩きたくない

心の中が満たされた人生がいい
それは異性から得られるものじゃない
結婚って幻想じゃないよ

互いに犠牲を払うこと、
相手のために生きようとしなければ
うまくいくわけないじゃん

get modeは人を潰すよね

もうこりごり

3年待っていた
本気で生きる思い、出てくるかなって

まだまだ夢の中
醒めたくないらしい

人からは長い冷却期間だと言われる
でもアル症はそれくらい深刻な病気

結婚までした相手、ちょっとやそっとじゃ決断したくなかった

でも、今まだそんなこと考えている夫に落胆した
そう。私は夫を変えられない
夫が変わりたいと思わなければ

そのための問題定義はしてきた
彼は取り組まなかった
アル酒の治療だけで精一杯

私は一人で生きていかれる
その場しのぎの恋愛や
誰かなんて要らないよ

そんな人生のために生きているんじゃない

ただ、彼を救いたいという思いがあった
3年待ったことがその証拠

でも、無理みたいだね

兄は「弁護士雇って、もらう物もらって早く新しい人生を始めろ」という
でも調停なんてどんだけ傷つくかわかっていない

それでも私は100%相手が悪いとは言いたくない
選んだ責任は私に50%ある
その責任を棚上げして彼だけを責めるなんて
フェアじゃない

もちろん結婚は崩壊したよ
でも私の人生には必要な体験だった

この二つの結婚がなかったら
今の私はない

人には失敗に思えるだろう
でも、今私は生きている
これからも生きていく


また毒はいてごめんなさい
久々にぶちきれました。

言ってみれば私は

2006年05月17日 00時47分28秒 | Marriage
ものの道理のわからない奴

今でもそうなのかもしれない

「結婚」 というモノに対して
まったく間違った考え、とらえ方をしていた
、、、と今は思う

今はあたえられた正しい基準、判断をレールにして生きて生きたいと思っている。
詳しく説明すると、
男性、伴侶を得たいとチマナコにならなくなったということ
それも明け渡すこと
と、いうか、それのプライオリティが下がったということ
そして、それでも今はとても満ち足りていることが多いこと

不思議だよね
miracle


整理しなくちゃね

2006年05月17日 00時38分52秒 | Marriage
そろそろ整理しなくてはならないと
思うようになってきた

そう、思えるようになってきたくらい
心が落ち着いてきたのかもしれない

自分を振り返ると、
輝かしい過去は一つもない

今では物語みたいに話せるけど
相手には理解できないだろうから
話せるのかもしれない
人ごとみたいにね

そろそろ、話を切り出さなくてはならないと思っている
相手も私もそれぞれの道に行かなくてはね
というか、もうそうなっているから
きちんとしなくてはと考えている

かたわれ

2006年03月12日 01時05分02秒 | Marriage
そういえば 私には 「かたわれ」がいたはず。。。
どうなってんだろうか?

奥さんよりお酒と親が大事とご自分の実家に帰ったきり

なんか実家の近くに仕事見つけたよう 派遣で


私が母親を看ているという事情は気にならないらしい

誰よりも愛している だと?
なんじゃそりゃ?

あなたの愛とはいったいなに?

ねえ、なに?


私はファミリーネームが同じなだけで

生活も別
経済も別
心も別

なんだろか

どうなるんだろうか


外野は「早くすっきりしろ」と

簡単に言うじゃない?


なんにもしらないくせに


人の心の内のことなんて


じゃあそうですね なんて そんな 何回もできないよ!


私は酒が憎い

私より酒のほうがいいらしい

がははは


か細く、でも必死に生きている母親を見ると、ムショウに腹が立ってくる

人生ナメとんのか?


じゃあ、そういうあたしはどうなのさ?


。。はいその通りです。


あのかたわれをえらんだのは、わたしなんです。



お後がよろしいようで