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バナナマフィン

こんなやつでも神は見捨てないで下さっています。むしろキリストの愛で生かされています。

集中した

2007年01月25日 01時12分10秒 | Relationships
あの人のあのコメント
この人のこの態度
その人の反応
etc etc

そんなことが゛集中し、あっちへこっちへ持って行かれそうになった
数日だった。

だんだんとイライラ、カリカリ
心の底がいつもブツブツと不満モードだった。

ああ、私の手にあまるいろんな人のいろんな思い
どうしたらいいんだろう
その渦にはまっていきそうになった。
そううち自分のカリカリも手に負えなくなってきた。
良く眠れないし。。。

ううーっ。
ううーっ。
。。。。
ん?

なんで自分や人にばっかりに目がいっているんだろう?

あれ?

そんなことばっかりしているからドツボにはまる。

神を見なきゃ
神に指針があるんだから

神がなんて言っているか見なきゃ
平安なってこない

祈らなきゃ 解決はない。

そうだ。

詩篇116編

読んだら一気に吹っ切れた。
そして主の前に静まったら
ものすごい平安が心を占領した。
人間が与えられるものでなはない。

人のことば、自分の気持ちなんてたいしたことじゃないという思いが与えられた。

神のすばらしさを仰ぎ見るときにしか
前進はない。

本当に そう思ったよ


いじめの記憶

2006年11月06日 00時17分41秒 | Relationships
小学校、中学校でいじめにあったことがある。

小学校の時は転校生にいじめられた。
わたしと同じ強いキャラの子だっけ
片親で母親の生活が荒れていると自分で言っていたその子

どんな理由か分からないが
クラスの大勢を見方につけて
私を攻撃してきた時期があった

私は学級委員長
なんでかリーダー的存在だった。
それから女の子をいじめる男の子の退治役
男の子と女の子のコミュニケーションを図る橋渡し役だった。
ナチュラルリーダーシップだったから与えられたもの
誇ることじゃない

そんな私がけむたかったのか
理由はわからない
暴言をいきなり浴びせられた

彼女が家で母親にいつも同じことをされていたのかと
思うくらい彼女からなめらかにののしる言葉が出てきた。

少しするとどうしてだか私に対するいじめもなくなった
どうしてだか覚えていないけど

その頃私はバレエに忙しかった
正直そのことだけに心を奪われている暇がなかった
でもそれが返って気が紛れてよかったのかも


中学の時のいじめは
幼稚舎から上がってきた子からのいじめ
女子高のまあまあお嬢さん学校
私のバレエはまじ忙しいときだった
毎日レッスンしていた
その頃は鎌倉、横浜、渋谷の稽古場に通っていて
公演、オーディションの日々だった

あれは確か年賀状にゴム版の版画でバレリーナを彫って作成したものを
送ってからだ

自分を見せびらかしているといわれた
その他はどうしていじめられたのかわからなかった
目立っていたことは確かだけど

そのいじめは私にとって結構ストレスで悪質だった

机の上のらくがき
無視
いわれのないうわさ

いじめは犯罪だよね

結婚すれば舅や姑からいじめられたり
夫から酔って精神的肉体的DVをうけること

そいうこともふくめて皆犯罪だと思う

自分が気に入らないから相手を攻撃する
エゴイストのきわみだと思う

会社でだってある
気に入らなければ仕事上で執拗に怒ってきたり
蔑むような態度を受ける


私たちはどこで自分を支えたらいいのか

ということを中学生の時はまだ知らなかった
でも、今は会社でいじめにあったとき跳ねのけるものが私の内に与えられている

それはキリスト

現実逃避ではない

祈りと
御言葉を淡々と学ぶこと
仲間と問題自体とそらさずに話し合い
冷静な判断を得られること

祈るということは神に叫ぶこと「助けてくれー」って泣きながら夜中に祈ることがある

自分で解決しようとやっきになっているときは祈らない
そうなるとどんどんクビが閉まってくる


神が聖書で言っておられることは
「赦しなさい」
ということ

相手から受けた精神的肉体的傷を怒りや恨みで癒すことは不可能

傷を癒すのは癒し主のキリスト

本当に「心を、身体を癒してください」と祈ってみること
そして聖書の解き明かしを牧師からたんたんと聞いているうちに
また仲間と話していくうちに

癒される

アーミッシュの事件のこと
死亡した彼女は
相手を赦すことが神に従うことだとわかっていた
神ご自身が犯人を取り扱うだろう

それから
神はすべての人を救いたいと思っている
死刑囚でさえも

だから私を救ってくださることもありなんだって思う
神に救えない罪はない

「闇は光に勝てなかった」
というみことばがある

また
「人が主に向くなら
主はその人の敵をも和らがせる」
という言葉も聖書にある

私たちが何かを相手にするから何かが変わるんじゃない
神に向くなら 自分には無力であることを低くなって認めて
神に助けを求めるなら

神は助ける

その只中に神は私に何をさせたいのかを考えること
それを知りること
それは相手を愛すること
赦し、忍耐し、親切すること
相手がどうであっても
私を愛してくれている神が命令しておられるから
神に従うから相手によくする

そうしようと一歩踏む出した時
絶対気圧配置が変化する

なぜなら神が働かれるから

仲の良い人とだけうまくやれなんていうこの世の処世術を神は教えていない
そんなことは泥棒だってしていると聖書に書いてある

自分の心の心地よさというcomfortable zoneを越えたところ

でも、あえてキリストの心を採用するなら

道は一転する

本当に

どんな状況にあっても、誰と何をしていても
相手を愛することができる
神が与えてくれた場所、人、物事がある
そこに逃げ出さずに留まり
神の言う愛(アガペ)することを追い求めるなら

神が必ず助ける


私の人生を通しても何度も何度もそうだった
自分には愛することなんてこれっぽっちもできにないけれど
愛する者に変えて欲しい、助けてくださいを祈って相手に接している

私のすばらしさなんてそんなもの無いことは
百も承知
相手を汚すことは容易にできる

でも相手を生かすことなんてエゴイスティックな私には所詮できないこと

だから神に求める


「愛する者たち
私があなたに書き送るのは
主の御名によってあなたがたの罪が赦されたからです」
(Ⅰヨハネ2:12)

罪とは愛せない弱さを持っているということ
自己中心に生きること
そういった的を外しているということ
そして神の願いではない勝手な価値観や行き方にこだわろうとすること

「私たちが神を愛したのではなく
神が私たちを愛し、
私たちの罪のためになだめの供え物としての御子(キリスト)を遣わしました
ここに愛があるのです。
愛する者たち、神がこれほどまでに愛してくださったのなら
私たちもまた互いに愛し合うべきです」
(Ⅰヨハネ4;11,12)


窮地に追い込まれたとき
いつまでも側にいてくれるキリスト
私を決して離さない
キリストだけが私のすべての時に共にいてくれる

なぜならキリストは
私でさえも目を覆いたくなるような自分の罪のために
自ら十字架にかかってくださったから
キリストは唯一私の罪を扱ってくれる人
キリストは私を変えることに腹をくくっておられる

うまく言えないけど
うまく伝わりますように
私がこの数年、そしてこの離婚の只中で体験した喜びがあったということを

きっとキリストを知らない方は
なんのこっちゃわからないかも
キリストを紹介して行かれますように

人生のほんの一こまに
キリストを知る時があってもいいんじゃないかな

聖書の全体で書かれている
イエス・キリストのことを

ほっとけないたち

2006年05月26日 14時35分42秒 | Relationships
ここのところ同じような失敗をした

3人という構成がわたしにとってよくない
私以外の二人が雰囲気悪くなると、攻撃されそうな方をかばってしまおうとする。
大人気ない態度な私
だれかがいじめられるのを見ていることが苦手
とっさに手を出してしまいたくなる。
んだけど、それは私に関係ない問題なんだけど
結局もう一人から大げさにしたと怒られることがあった
私がしゃしゃりでたことだけがオーバーラップして終わるのが常

黙ってことの成り行きを見て、
後でじっくりやればいいんだろうね

大人気ない私。ばか。

ってこうやって書いているのはだれかに慰めてほしいからなんだろうね
そういう汚い自分にも嫌気がさしている

いろんな状況から学べばいいのに
それができないのかな


今日はちょっとへたってます。

2006年05月26日 14時10分08秒 | Relationships
実を言うと、まるで元気がない。
ここのところブログ投稿が多いのは、
テレビ鑑賞か自分の部屋で寝転んでパソコンいじっていることしかできないから。

人と接触するのが嫌になっている。
Yahooブログはランダムブログというところをクリックすると、ランダムに誰かのブログが画面に出てくる。
これって面白いね。

結構子育て中のお母さんのブログもあって、
本当に可愛い子どもちゃんの写真が拝見できる。

映画や、人のブログを見ながら疑似体験させてもらっているが
自分は今何もやる気がしない
このままずーっと人と話さないでいられたらどんなにいいだろう

「まったくこいつは何て情けない、だらしないこと言ってんだ!」
とムカつく方もいるでしょうね

今読んでくださっている方はそうじゃないと思います。
が、自分の物差しで一方的に私を計り、決め付け
言葉で攻撃してくる。
こういうことが何度が重なって、今凹みきってしまいました。

人のせいでしょうか、これも
自分がわからなくなってしまいました
日本で一般的な人生のレールにのっかっている人には味わうことのない気持ちでしょうね。

叱咤も激励も今は無理です。
心が萎えてしまって

2番目の夫との日々を過ごした後から
こういうように心も身体もいうことが利かなくなる時があるんです。

心療内科に行ったらきっとお薬でしょうね。
その場しのぎの。

精神病の殆どが罪責感だそうな
わかるね。
自分がいやで落ち込むんだもん。

いい年こいて。
なにやっているんだろうね

Forgiveness

2005年10月13日 08時51分00秒 | Relationships
自分をあまり好きじゃないと思っている人とと一緒にいるときって

ちょっと複雑だよね

悲しみがこみ上げてきたり

「どうせこの人は私のこと嫌ってるんだし」という思いがこみ上げてきて

「だからこういうこと言うんだな」って思って

「それならこっちだって」って考えてしまう。

でも、この路線で進むと、決まって良い事は無い。。。

なぜなら相手の反応に影響され、自分の行動に異常をきたすから


そこで、進化して学習

自分のスタンスを決める

相手に親切することを貫く

相手を憎みたい思いに駆られても、

自分で決めたことを優先する

自分がいかに、人を恨み、悪く思い、自己正当化することに
強い欲求を持っているかが手に取るようにわかる。

でも、それ自体が自分を蝕む

もちろん相手が自分を嫌う理由はわからない

でも分析しても意味が無い

それは私個人の分析結果にしかならないし

友達に毒吐いても、愚痴っても、友達に嫌な思いをおすそ分けすることほど
かわいそうなことないもんね

相手が私を嫌う理由が、私にあるのか、相手が屈折しているからなのか
それはわからない。

でも自己正当化はやめる


そして自分の出方を決める

相手に良くすること

それによって自分の心を守ることができた

そしてへんてこりんな自分もそう簡単に変わんないこともよーく考えるようにしよっと

常識守れていればいいってところで相撲もとれないもんね


昔母親が「marijun, 負けるが勝ちだよ」

ってよく言ってたな。

そんな割に合わないこと! と私は相手を打ち負かす欲求に勝てなかった

どんな相手でも、年上でも、大きくても 向かっていった。


負けるが勝ちって

私の心の中にある「相手を打ち負かして、破壊してやれ」

という思いをやめることなのかなって

そして、それによって蒔いた種を刈り取るところから守られることなんだなって


所詮人間は皆はんぱ。完璧な人なんていないし

そのなかで甲乙つけるのって、不可能だよ

人間を見ては、比べて、落ち込んだり、喜んだり

どんぐりのせいくらべ

ゆるすこと もっとしりたい

相手になんか影響されないぞ 

私の人生

にんげんかんけい

2005年10月11日 23時51分27秒 | Relationships
このカテは作ったはいいけど、
こむずかしくて、しばらくは書けないな。

あ、でも、最近。

人間を意識して行動するようになったかな。
今まで本当に何も気にしなくても、だれかそばにいてくれた。
あのまーんまの私で、仲間が沢山いた。

でも、それは反対に相手を思わずにきちゃったってことで、
やっぱり沢山傷つけてきたんだろうなと。。。
自分が傷つけられて、初めてわかった。
私は人をなんて扱いしていたんだろう。

よくなかった。まったくもって。

人って、繊細で

プライド高くて

笑うのが好きで

でも笑いながら人の様子を伺っていたりして

たまに可愛そうな私を演じてみたり

嫉妬深かったり

相手を批判するような気持ちがあったり

周りの票を集めようと自然に振舞ったり

みんなの中心にいたいと思っていたり

時には本当にだれとも口をききたくなかったり

時には一人だけでいいから、あんまりめんどくさくない人で
一緒にだまってどっか旅行にいってくれたらいいなと願ってみたり

あ、それみんなあたしか。

あちゃー

味噌汁で顔洗って出直してきます。