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管理人 まりあっち

枯葉剤機密カルテル(第7回) 

2006-09-29 13:28:35 | Weblog
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     世界の環境ホットニュース[GEN] 590号 05年06月19日
     発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
           枯葉剤機密カルテル(第7回)       
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 枯葉剤機密カルテル                    原田 和明

第7回 焼け焦げたドラム缶

三井東圧化学が、ニュージーランドと並ぶ主要輸出先としたオーストラリアでは
どうだったのでしょうか?

2004年4月18日、ABCオーストラリア国営放送は 西オーストラリア州キンバリ
ーの林業労働者の間でダイオキシン特有の症状が広がっているという事件を放送
しました。ベトナムでの枯葉作戦が 中止になってから 行き場を失った枯葉剤が
「除草剤」としてオーストラリアの山林に散布された結果でした。散布しきれず
に残った除草剤はドラム缶に入ったまま山林に埋められていました。その番組の
中で、オーストラリア国立大学化学科元教授ベン・セリンジャーはインタビュー
に答えて、次のようにコメントしています。

 「『除草剤』は1960年代後半から70年代前半にかけて、ベトナムに大きな市場
 をもっていた日本、英国、米国の会社からオーストラリアに持ち込まれたこと
 はほぼ間違いありません。米国の枯葉作戦中止は、それらの会社にとって突然
 その市場がなくなったことを意味します。彼らはベトナムに代わる新たな売り
 先を求めていました。『除草剤』の多くはシンガポールを経由してオーストラ
 リアに持ち込まれています。シンガポールには除草剤の大手企業がなかったの
 で、国の統計局には好都合でした。(筆者注:輸出元企業名を掲載せずに済む
 ためか?)69-71年の間 以外にはシンガポールから『除草剤』は全く輸入され
 ていません。我々は 輸入統計から シンガポール経由で輸入された膨大な量の
 『除草剤』の痕跡を入手しました。」

三井東圧化学が245Tとその原料245TCPの輸出先として挙げた国のうち
フランスを除く「ニュージ-ランド、オーストラリア、英国、シンガポール、米
国」がこれで出揃いました。ニュージ-ランドとオーストラリアで最終加工が施
されて、ベトナムの米軍基地に持ち込まれ、そこで混合され化学兵器オレンジ剤
となったのです。

ベトナム戦争当時、245Tとその原料245TCPを輸入していたのは西オー
ストラリア州パースに本拠を置くクイナナ化学工業と、シドニーのユニオン・カ
ーバイド社でした。

ユニオン・カーバイド社は米国の巨大多国籍化学企業の一つで、第二次世界大戦
後シドニー郊外ローデス(ホームブッシュ湾)で有機塩素系農薬を生産していた
チンボール社という地元企業を買収して、245Tの生産を開始しました。イワ
ンワトキンス・ダウ社同様、枯葉作戦中止後の1971年には大量の245T及びそ
の副産物を在庫として抱えることになりました。1976年まで生産を続けています
が、大量の在庫の処分に困った挙句、ホームブッシュ湾に投棄して深刻な海洋汚
染を引き起こしています。

クイナナ化学工業はパースの他、シンガポールとクイーンズランド州の州都ブリ
スベーンに関連会社があり、農業保護委員会への主要な除草剤供給メーカーでし
た。枯葉作戦中止後は山林の下草用除草剤として国内で販売していましたが、林
業労働者に体調不良を訴える人が続出したため、労働者が除草剤の使用を拒否、
大量の除草剤の処分方法も分からなかったため、南パース・ドゥエリングアップ
地区の林業労働者はドラム缶に入ったまま山林に埋めることにしたのです。

2004年10月3日、ABCオーストラリア国営放送は 1970年代から80年代にかけて
配布された「除草剤」によって生じた農民の健康被害と西オーストラリア州政府
の対応を放送しました。被害はクイーンズランド州の林業労働者や西オーストラ
リア州の農民に広がっていました。

キンバリー農業局職員・カールは「突然」ドラム缶に入った「除草剤」を割り当
てられ、ダービー地区の林業労働者に配布するよう命じられました。当初持ち込
まれたドラム缶には銀の線が描かれ、農業保護委員会に販売していたクイナナ化
学工業のラベルも貼付されていて、内容物は暗褐色の蜂蜜か軽油のような液体だ
ったことを記憶しています。しかし、70年代になってダービー地区に持ち込まれ
たドラム缶にはラベルがなく、黒いどろどろした液体が入っていました。

1981年大量の245Tが埋められているとの情報に基づき、前記のベン・セリン
ジャーと同僚のピータ・ホール両教授のグループが調査したところ、多数のドラ
ム缶を発見、それらのドラム缶は炎で焼かれた跡があるという特徴がありました


1971年にタリフ委員会がオーストラリア国会に提出した報告書によると、クイナ
ナ化学工業はベトナム戦争の期間中、245Tを輸入しており、火災損傷を受け
たドラム缶も同社がシンガポールから輸入、安価でここに持ち込んだことがわか
っています。火災損傷はシンガポールで受けたもので、加熱によりダイオキシン
濃度が かなり高まったと考えられます。(オーストラリア国営放送 2004年10月
4日放送)1981年6月10日付オーストラリア国会議事録の中にクイナナ化学工業が
輸入していたドラム缶の内容物の分析結果が残されています。それによると、内
容物は245Tのブチルエステルで ダイオキシン濃度は 245T基準で 26ppm
(全体で19ppm)TCP(トリクロロフェノール=245Tの原料)も 24Dも
含まれていませんでした。

クイナナ化学工業の関連会社・ファーム化学(ブリスベーン)の主任だったポー
ル・デビッドソンは、彼自身発疹や甲状腺の異常を抱えており、娘を亡くしてい
ました。彼はそれらの原因が工場で扱っていた除草剤にあると信じていました。
彼は次のように証言しています。

 「工場では除草剤をクリーク(小川)に投棄していました。そのクリークはブ
 リスベーン川に通じています。245Tは蜂蜜色した流動性のある液体で、軽
 油で希釈して雑草に散布していました。ところが焼け焦げのあるドラム缶の内
 容物は真っ黒で、表面に白い結晶が成長していて、まっとうなものではないと
 思いました。」

しかし、彼は上司から熱湯の入った容器に入れて内容物を溶かすように指示され
ました。(ABCオーストラリア国営放送 2004年10月3日)これだけでは判断で
きませんが、「黒い内容物に白い結晶」とは保管状態のよくないフェノール系の
化学物質によくみられる現象です。熱湯の中で溶解させるという取り出し方も同
じです。ポールが記憶しているドラム缶の内容物はフェノール系である245T
CP(245Tの原料)だったかもしれません。

1970年代になって、林業労働者の元に配布された除草剤は「焼け焦げのあるドラ
ム缶に入っていて、ラベルはなく、内容物は 黒または 暗褐色の粘性のある液体
だった」といいます。国立大教授ベン・セリンジャーも彼が発見したドラム缶の
中身は「黒くて粘性があり、純粋の245Tではなかった」と証言しています。
(ABCオーストラリア国営放送 2004年10月3日)工場主任・ポールが見た内容
物とは別物のようです。

このようにオーストラリアはニュージーランドとともに枯葉剤の加工工場の役割
を負い、品質の異なる様々な「枯葉剤」が持ち込まれていたようです。これらは
1971年の枯葉作戦中止に伴ってオーストラリア国内で消費されるようになったこ
とから問題が表面化したものですが、それ以前は品質に関係なくベトナムの密林
や民衆の頭上に連日降り注いでいたのです。