世界の環境ホットニュース[GEN] 569号 05年03月19日
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com
水俣秘密工場【第5回】
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水俣秘密工場 原田 和明
品質面でモンサントから評価されていなかったチッソのオクタノールですが、政
府にとっては格別の意味があったようです。チッソ水俣工場のオクタノールを積
載した一隻の輸送船を海上保安庁の巡視艇7隻で護衛するというできごとがあり
ました。
昭和37(1962)年 8月31日、輸送船・辰巳丸がチッソ水俣工場のオクタノールを
搬出する際、海上保安庁の巡視艇7隻が護衛についたのです。熊本県三角(みす
み)の海上保安部所属の巡視艇だけでなく、牛深からも応援がくるという念の入
れようでした。(1962.9.21 参院社会労働委員会)この時期1962年から翌年にか
けて、チッソをめぐって、水俣市を大きく揺るがすできごとがありました。
水俣工場の石油化に伴い、労働組合も会社に都合のよいように作り変えようとす
るチッソ経営者と、合理化に反対する組合との長期に亘る労働争議(日窒の安定
賃金闘争)が起きていました。チッソは組合に対し、同業他社並の賃上げを保証
する代わりに4年の長期に亘って労働争議権を放棄せよと提案しました。この会
社提案は労働組合法にも抵触し(1962.9.21 参院社会労働委員会)組合がのめる
提案ではなく、最初から組合再編を目論んだ提案だったと思われます。4月に組
合がストライキに入ると、会社はロックアウト、第二組合設立で応戦しました。
(宮澤信雄「水俣病40年」葦書房1997)
争議は次第に新旧労組同士の対立から水俣市住民を巻き込んだ大騒動に発展、63
年1月に第一組合の完敗で決着しましたが、その労働争議の最中に、中立たるべ
き海上保安庁が会社側に加担して輸送船を護衛するという行動にでていたのです
。
この問題は国会で取り上げられました。社会党の小柳勇は「周辺の巡視艇全部集
めて、その会社の製品を積み出す一艘の船を巡視艇七隻で、これを搬出する援護
をする、護衛をするということは、常識上どうでしょうか。」と公務員が民間企
業の労働争議に介入しているととられかねない問題点を指摘しました。
海上保安庁警備救難部長・樋野忠樹は「海上保安庁は労働争議にはあくまでも厳
正中立であり、海上における不法行為だけを取り締まるという方針である」こと
を強調しつつも、説明は最初からしどろもどろでした。積荷を護衛していたのだ
と言えない苦しさが滲み出ているようです。曰く
「ずっと前々からいろいろ新労組も旧労組も漁船等をチャーターいたしまして、
海上でいろいろデモ行為などをやったりすることもございましたので、当日また
紛争が起こるということよりも、むしろ海上における、非常に多くの人が乗って
海の上に出ます関係上、海難、人命の救助等も考えまして、確かに船は七隻出し
ましたが、それを積み荷を護衛して出すために出したのではございません。そう
いうふうな海上におけるいろいろ危険防止のためと、海上においていろいろ起こ
りますところの何といいますか、違法行為等に対しましての見張りといいますか
、
見守りといいますか、そういう意味合いで出したのでございます。」
小柳は納得しませんでした。さらに三角管内の6隻の巡視艇では足りず、牛深に
応援を出してもらったとの答弁にますます疑念を深め、樋野は言い訳に終始して
います。
海上保安庁・樋野「水俣は三角の管轄だから出した。牛深は水俣に近いから出し
た。七隻だが全部の船を出したわけではない。」
小柳「何からの襲撃を七隻の巡視艇で守ったんですか。」
海上保安庁・樋野「襲撃等を守る意味はございません。海上における紛争に備え
て出動した。」
小柳「どういうことで海上の紛争が起こるのでしょうか?」
海上保安庁・樋野「前々花火だとか、それから煙幕等を打ち上げたようなことも
ございましたので、もしものことがあると、非常に人がけがをしたり、落ち込ん
だり、重装備をたいていしておるものでございますので、落ち込みますと、すぐ
船が行かないと死人が出るような事態が起こりますので、船を出したような次第
でございまして、そういうような特別排除するというふうな考え方は毛頭ござい
ません。」
このやりとりからは、「海上保安庁が上から積荷を護衛しろと言われ現場の保安
部は忠実に実行しただけだ」とは言えない樋野の苦渋の表情が眼に浮かぶようで
す。国家に手厚く護衛されたオクタノールはどこへ運ばれたのでしょうか。その
ときの辰巳丸の行き先は明らかになっていません。
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com
水俣秘密工場【第5回】
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水俣秘密工場 原田 和明
品質面でモンサントから評価されていなかったチッソのオクタノールですが、政
府にとっては格別の意味があったようです。チッソ水俣工場のオクタノールを積
載した一隻の輸送船を海上保安庁の巡視艇7隻で護衛するというできごとがあり
ました。
昭和37(1962)年 8月31日、輸送船・辰巳丸がチッソ水俣工場のオクタノールを
搬出する際、海上保安庁の巡視艇7隻が護衛についたのです。熊本県三角(みす
み)の海上保安部所属の巡視艇だけでなく、牛深からも応援がくるという念の入
れようでした。(1962.9.21 参院社会労働委員会)この時期1962年から翌年にか
けて、チッソをめぐって、水俣市を大きく揺るがすできごとがありました。
水俣工場の石油化に伴い、労働組合も会社に都合のよいように作り変えようとす
るチッソ経営者と、合理化に反対する組合との長期に亘る労働争議(日窒の安定
賃金闘争)が起きていました。チッソは組合に対し、同業他社並の賃上げを保証
する代わりに4年の長期に亘って労働争議権を放棄せよと提案しました。この会
社提案は労働組合法にも抵触し(1962.9.21 参院社会労働委員会)組合がのめる
提案ではなく、最初から組合再編を目論んだ提案だったと思われます。4月に組
合がストライキに入ると、会社はロックアウト、第二組合設立で応戦しました。
(宮澤信雄「水俣病40年」葦書房1997)
争議は次第に新旧労組同士の対立から水俣市住民を巻き込んだ大騒動に発展、63
年1月に第一組合の完敗で決着しましたが、その労働争議の最中に、中立たるべ
き海上保安庁が会社側に加担して輸送船を護衛するという行動にでていたのです
。
この問題は国会で取り上げられました。社会党の小柳勇は「周辺の巡視艇全部集
めて、その会社の製品を積み出す一艘の船を巡視艇七隻で、これを搬出する援護
をする、護衛をするということは、常識上どうでしょうか。」と公務員が民間企
業の労働争議に介入しているととられかねない問題点を指摘しました。
海上保安庁警備救難部長・樋野忠樹は「海上保安庁は労働争議にはあくまでも厳
正中立であり、海上における不法行為だけを取り締まるという方針である」こと
を強調しつつも、説明は最初からしどろもどろでした。積荷を護衛していたのだ
と言えない苦しさが滲み出ているようです。曰く
「ずっと前々からいろいろ新労組も旧労組も漁船等をチャーターいたしまして、
海上でいろいろデモ行為などをやったりすることもございましたので、当日また
紛争が起こるということよりも、むしろ海上における、非常に多くの人が乗って
海の上に出ます関係上、海難、人命の救助等も考えまして、確かに船は七隻出し
ましたが、それを積み荷を護衛して出すために出したのではございません。そう
いうふうな海上におけるいろいろ危険防止のためと、海上においていろいろ起こ
りますところの何といいますか、違法行為等に対しましての見張りといいますか
、
見守りといいますか、そういう意味合いで出したのでございます。」
小柳は納得しませんでした。さらに三角管内の6隻の巡視艇では足りず、牛深に
応援を出してもらったとの答弁にますます疑念を深め、樋野は言い訳に終始して
います。
海上保安庁・樋野「水俣は三角の管轄だから出した。牛深は水俣に近いから出し
た。七隻だが全部の船を出したわけではない。」
小柳「何からの襲撃を七隻の巡視艇で守ったんですか。」
海上保安庁・樋野「襲撃等を守る意味はございません。海上における紛争に備え
て出動した。」
小柳「どういうことで海上の紛争が起こるのでしょうか?」
海上保安庁・樋野「前々花火だとか、それから煙幕等を打ち上げたようなことも
ございましたので、もしものことがあると、非常に人がけがをしたり、落ち込ん
だり、重装備をたいていしておるものでございますので、落ち込みますと、すぐ
船が行かないと死人が出るような事態が起こりますので、船を出したような次第
でございまして、そういうような特別排除するというふうな考え方は毛頭ござい
ません。」
このやりとりからは、「海上保安庁が上から積荷を護衛しろと言われ現場の保安
部は忠実に実行しただけだ」とは言えない樋野の苦渋の表情が眼に浮かぶようで
す。国家に手厚く護衛されたオクタノールはどこへ運ばれたのでしょうか。その
ときの辰巳丸の行き先は明らかになっていません。