雨のち晴れ~私の不育症日記

2度の流産により不育症と判明。そんな私の不育症と闘う毎日を綴っています。

術後

2007年11月14日 | 1度目の流産
手術後、家に帰ってからは普通に過ごしていたのだけれど、洗い物の途中とか、何かしている途中に、涙がこみあげてきて、よく泣いていました。

でも、このときはまだ流産の原因が自分にあるとは思っていなくて、「たまたまだったのかな?」と思うようにしていました。
実際、私の友達の中にも1度の流産を経験している人がたくさんいたし、「今回は仕方なかった」と考えようと思いました。
(そういうう風にわりきれればいいのかもしれませんが、なかなかそうはいかないもので、うじうじ泣いていましたけど)

術後、3週間で赤ちゃんの染色体の検査結果が出ました。
結果は「3倍体の女の子」でした(赤ちゃんの染色体異常)。
普通、ヒトは46本の常染色体をもっていますが、私の赤ちゃんはその染色体が1.5倍の69本あったんです。

3倍体は100%流産になるので、「やっぱり仕方なかったんだ。」と思い、先生からも「3倍体だったら普通はもっとはやく流産していたはずなのに、よくもったね」と言われ、「毎日話しかけてたから、赤ちゃんもがんばってくれたんだ!!」と思えるようになって、気持ちも前向きに変化していきました。

先生からは「2~3ヶ月たったら、子作りがんばってみて」「今回は染色体異常だったから、次回は大丈夫だよ」と言ってもらい、何かほっとしました。

でも、今から思えば、このとき、もっと検査してもらえばよかったんです。
実は、3月に検査した血液検査で『抗カルジオリピン抗体』がほんの少しひっかかっていたんです。
先生からは、「陽性といってもほんの少しだし、このほんの少しの値に意味があるかわからないし、今のところ治療の必要はなし。」と言われていたので、深く考えずに「そんなもんか」と軽く考えていました。

今回、胎嚢が小さかったのも染色体異常が原因だと思っていたので、まさか別の要因が絡んでいるかもしれないなんて、全く想像もしていませんでした。

後悔、先にたたず。
その後、再び流産するとは、このとき全く思っていませんでした。


手術

2007年11月14日 | 1度目の流産
流産宣告の次の日に手術を受けました。

ここの病院では、流産手術は念のため1泊2日の入院が必要らしく、初めての入院にどきどきしていました。

幸いなことに1人部屋だったので、旦那さんと2人で「手術の時間までやることないねー。」と話したりしながらゆっくり時間を過ごせました。

いざ、手術。

まだ手術前だから平気で歩けるのに車椅子に乗せられ、手術室へ。
手術台に乗ったときは、本当にもう赤ちゃんとお別れしなきゃいけないのかな?と悲しみでいっぱいになりました。
先生から「今、超音波で診ているけど、やっぱり心拍止まってますね。手術します」と言われ、最後の望みも絶たれました。

体にいっぱい機械をつけられ、麻酔開始。
涙が止まらなくて、目の前が涙でぼんやりかすんで見えるなぁと思っていたら、いつのまにか麻酔が効き始めていたみたい。
頭の中がぐるぐるして、「生きるとは・・・」とか「死ぬとは・・・」とかそういう難しいテーマばかり考えさせられ、しまいには幽体離脱みたいな感じになっていました。(後で聞くと、このとき使った麻酔薬は変な夢をみることが多いらしいです)
ものすごいしんどいなぁ~、もう私、このまま自分の体に戻れないんじゃなかろうか?と思っているうちに、遠いところから先生の声がして「無事、手術終わったからね~。」となんとなく聞こえてきたような・・・

それから徐々に、徐々に、意識が戻り始めて、完全に麻酔が覚めるまで手術室で横になって過ごしました。
ずっと看護婦さんがついていてくれて、「手術中にのんさん、私の赤ちゃん~。」って言ってたよ。」とか教えてくれました。
それを聞いて、余計に悲しくなったよ。

麻酔が覚めてから、車椅子に乗り、病室へ戻りました。
旦那さんが心配顔でついていてくれたので、なんだか安心したけれど、やっぱり「もう自分だけの体に戻っちゃったんだな~」と思うとつらかった。

その夜は、やっぱり手術後の興奮状態で、全く眠れなかった。
産婦人科病棟ということで、赤ちゃんもたくさんいるんですね。
その赤ちゃん達が、し~んと静まり返った夜中に、すごく大きな声で泣いているのを聞くと、せつなさも感じたし、神々しくも感じたし、複雑な気分でした。

次の日、先生に診ていただき、何も問題なしということで退院しました。

流産

2007年11月14日 | 1度目の流産
妊娠9週目

やはり胎嚢は大きくなっていなかったけれど、それでもなんとか赤ちゃんは生きていてくれました。
先生からは「胎嚢が小さいのを医療で治す事はできない」と言われていたので、私にできることは何もありません。

私達夫婦は、毎日毎日「がんばって袋を広げるんだよー。」とおなかに向って話しかけては不安を打ち消していました。

そんなとき、トイレに行ったら茶色のおりものが・・・・・・
それまで妊娠本で色々調べまくっていたので、「茶色は大丈夫。鮮血なら流産かもしれないけど」という本の知識があったので、それほど気にせず過ごしていました。

でも、時間を追うごとに増えていく茶色のおりもの。
さすがに不安になってきて、日曜日でしたが、救急で診てもらうことにしました。

日曜日だったので、旦那さんも一緒に来てくれたのですが、病院についても2人で談笑するなど、まさか流産だなんて思っていませんでした。

超音波の診察台にのって診てもらうと、「あれ?」っと言って先生がしきりに首をかしげている。
「ちょっと待っててくださいね。今、いつも診てもらっている主治医の先生呼ぶからねー。」と言われ、「何?何?何なの?」と一気に不安になりました。
そしたら、そばにいてくれた看護婦さんが、「赤ちゃんの心拍が止まっているようなので、今主治医の先生を呼んで、もう一度診てもらうからね~。」と言いました。

一気にあふれる涙。
先生、ちゃんと産めるって言ったじゃん。産めるけど、先天性異常があるかもしれないって言ったじゃん。先天性の異常だけが心配事だったんじゃないの??
流産の心配があるなんて一言も言ってなかったのに!!
なんでよー!!!!

看護婦さんがそばにいようと、誰がそばにいようと、声をあげて泣きました。

そうこうしている間に、主治医の先生登場。
カルテを見ながら、「あ、この患者さんね。心配だな~って思ってたんだよね。」と言って、診察開始。
「う~ん、残念だけど、心拍止まってるなぁ。繋留流産です。」

そのあとは、旦那さんと2人で、今後の手術の説明を聞きましたが、私は涙・涙で説明どころじゃなかったなぁ。
先生が「赤ちゃんの染色体の検査をしたら、なんで流産したかがわかるかもしれない」と言ったので旦那さんが「いくらかかってもいいからやってください」と言ってくれました。

妊娠③

2007年11月14日 | 1度目の流産
妊娠7週目

やっぱり胎嚢はあまり大きくなっていませんでした。
そんな小さな袋の中で、赤ちゃんはがんばって大きくなってくれていたのですが、心拍数はやはり正常より少なめ。

妊娠8週目

このときもやはり胎嚢が小さいと言われましたが、心拍数はやっと正常値を示すようになり、そのことは嬉しかったなぁ。
赤ちゃんは小さい胎嚢の中にぎちぎちに入っていました。
先生は「たぶん産むことができるだろうけど、正常な赤ちゃんとは限らないよ」と言いました。
かなりのショックだったなぁ。
そのときは「お顔なんてブサイクでいいから、五体満足でさえあれば・・・」と思っていたので、先天的に異常があるかもしれないと言われて正直ショックを受けました。

旦那さんに「こんなこと言われたんだけど・・・・」って相談したら、「そのときはそのときだよ。まだ産まれてもないのに、今からそんな心配しても仕方ないし。もし、先天的に異常があったとしても、わい(旦那さんは自分のことをわいと言います)は受け止めて、がんばって育てるよ。」と言われました。

そうなんだけどさ、私だって同じ気持ちだけどさ、でもさ、でもさ、やっぱり心配で仕方ないの・・・・
この頃はそんな気持ちでいっぱいでした。


妊娠②

2007年11月14日 | 1度目の流産
異常が見られたのは、妊娠6週目からでした。

超音波で見ていただいているとき、先生が「袋が大きくなってないなぁ。」とかぶつぶつつぶやいていたんです。

私は不安になりながらも、どういうことか聞いてみると「赤ちゃんが入っている袋(胎嚢)が大きくなっていないんだよね。それに子宮に血液の塊もあるし。心拍は一応みられるんだけど、通常より心拍数が少ないんだよね」とのこと。

私は、頭の中が真っ白になって、病院からの帰りに予定していたこともキャンセルして速攻家に帰りました。

「なんで?なんで?なんでなの?」
不安で押しつぶされそうになりながらも、おなかの赤ちゃんに「袋をもっと広げるんだよー。がんばれー!!!」と毎日語りかけました。


妊娠①

2007年11月14日 | 1度目の流産
3月は不妊の原因探しをしているところだったので、まさかこの月に妊娠するとは思っていなかったのですが、生理予定日を1週間過ぎても生理にならないので妊娠検査薬を使ってみると・・・・・なんと妊娠判明!!!

嬉しくて嬉しくてその検査薬をカメラで撮ってみたり、舞い上がっちゃいました。

次の日、急いで病院へ行くと、妊娠5週目ということで胎嚢も見え、先生からも「順調ですよ」というお言葉を頂きました。

それからは、塩分を極力控えめにしてみたり、野菜をたくさん食べたり、重いものは持たないとか、いろんなことに気をつけながら、毎日夫婦でおなかの赤ちゃんに話しかける日々を送っていました。

病院デビュー

2007年11月14日 | 1度目の流産
そろそろ子供がほしいなぁと思って4ヶ月、自分達なりに頑張ったのにちっとも子供ができる様子がない。
ほしいと願えば子供はすぐできるはず!!と思っていた私は、「なんで子供できないんだろ?」と不安になって、家の近くにある大学病院へ通うことに決めました。

2007年3月、病院デビュー。
病院へ通い始めたら、早速治療してくれるものかと思っていたのですが、最初の1~2ヶ月は『不妊の原因がどこにあるのか』を調べるため、検査ばっかりなんですね。

 私  :血液検査(ホルモン、血液凝固系)、子宮卵管造影検査、感染症検査など
旦那さん:精液検査

などなど、一通り検査を受けました。