雨のち晴れ~私の不育症日記

2度の流産により不育症と判明。そんな私の不育症と闘う毎日を綴っています。

不育症検査

2007年11月15日 | 不育症
旦那さんと二人で不育症検査を受けることに決めた私たち、一緒に大学病院へ行ってきました。

私:抗カルジオリピン抗体IgM
抗PE抗体
  抗プロトロビン抗体
  抗PI抗体IgG
抗PS抗体IgG
抗PS抗体IgM
抗カルジオリピン抗体IgA
凝固第12因子
  ナチュラルキラー(NK)細胞
  染色体
  その他、流産にかかわるとされるもの(甲状腺ホルモンとか?)

旦那さん:染色体
     
試験管に何本も採血しました。
たくさん採りすぎたためか?途中から血が出てこなくなって、看護婦さんにシリンジで吸引してもらいました。
血が出てこないっていうのも、抗リン脂質抗体症候群のせいなのかしら?っとちょっと不安です。(単にドロドロ血なだけ?)

全ての結果が出揃ってから、治療の方針を決めるそうなので、次は12月上旬に通院です。

私はスクリーニング検査で、「抗カルジオリピン抗体」がひっかかっているので、今回の詳しい検査によって流産の原因がはっきりと「抗リン脂質抗体症候群のため」とわかるかもしれません。
それ以外に複数、原因があったら怖いなぁ。

原因がはっきりと「抗リン脂質抗体症候群のため」と判明しても、それはそれで怖いし。
確かに、不育症としては、今後の治療方針も固まってくると思うので、1歩進んだ感じにはなると思いますが、この病気だと一生血栓の心配がつきまとうわけですよね。正直、怖いです。

この前、先生のカルテをこっそりのぞき見してみたら、「少なくともアスピリン、ヘパリンは必要でしょう」と書いてありました。
でもヘパリンって骨粗しょう症になるデメリットがあると聞いています。
実は私、小さい頃から異常に骨がもろくて(牛乳嫌いだったから?それともおてんばだったから?)、今までに5回は骨折しているんです。
だから骨粗しょう症とか言われると、普通の人よりおびえてしまいます。
なんか憂鬱だな~。
もちろん、わが子を腕に抱けるなら、アスピリンであろうとヘパリンであろうとなんだってしますけど!!

それからもうひとつ、以前「ケロイドになりやすい体質」と言われたことがあったので、子宮内の細胞間基質が硬くなっていないか(流産手術が原因で子宮がケロイドのように硬くなっていないか)を調べるために「TGF-β1」を調べてほしいと先生に言ってみました。

もともと、先生が不妊症の先生というのもあって「TGF-β1」で本当に子宮内の細胞間基質の状態を調べられるのか知らない(わからない)、調べておきますと言われたので、これは先生の返答待ちで検査できるか決まります。
(不育症で有名な名古屋のJ病院の先生は、TGF-β1を調べれば細胞間基質のかたさがわかると書かれていたので、早速うちの先生に言ってみたんです。)

検査結果待ちの間は、いろんなことを考えてしまいますね。
私はどうもよくない方へ、よくない方へ考えてしまうたちなので、この性格を直していかないと、これから不育症と闘っていけないなという気がします。

もし、幸運にも、また赤ちゃんがおなかにやってきてくれたとしても、「また流産するんじゃないか?」等の不安におびえてばかりいるより、の~んびりゆ~ったりできたほうが絶対赤ちゃんにもいいと思うので、今からイメトレしてがんばるぞ!!








私って不育症?

2007年11月15日 | 不育症
2度目の流産手術のときも、赤ちゃんの染色体検査をお願いしてありました。

手術から3週間後、検査結果を聞きに病院へ・・・・・

私の中では、1度目2度目の流産の時の様子が非常に似ていたため(ともに胎嚢が小さい・心拍確認後妊娠9週目で繋留流産)、1度目と同様に今回も赤ちゃんの染色体異常だろうなぁと考えていました。

でも、先生は「染色体に問題はなかったよ。正常な男の子でした。」とおっしゃいました。

「え??正常??ということは母体の方に問題があったということですか?」
「私のせいで産んであげられなかったと思うとつらいです」

こう言った私に、先生は「でもね、赤ちゃんが染色体異常を繰り返すのは、治療できないからね。その方が問題だよ」と答えてくれました。

とにかく、今後のためにできる検査は全部したいということを伝えて帰宅。

やっと悲しみから立ち直りつつあったのに、流産の直接的原因が自分にあったかもしれないとわかって、またもやどん底の気分。

自分のせいで、だんなさんが子供をもてないかもしれないんだ・・・・・と思うとつらくてつらくて。
旦那さんに「ごめんね、私のせいで・・・・」と言ったら、「もう1回同じこと言ったら怒るからね。のんのせいじゃないんだから、そんなこと言っちゃダメ」と言われ、なんか余計に申し訳なくて・・・・・

あまりにうじうじ悩んでいたら、顔中にぶつぶつがいっぱいできて、しまいには首までぶつぶつになってしまって、はぁ~ストレスいっぱいだなぁ~。

今回の赤ちゃんの染色体が正常だったことや、スクリーニング検査で「抗カルジオリピン抗体」陽性だったことから、どうやら私は不育症らしいということが判明したのでした。

旦那さんの支え

2007年11月15日 | 心の葛藤
毎日毎日自分を責め続け、どうしようもなく苦しくて悲しい日々。
泣いても泣いても、流産のことが頭から離れなくて、心身ともに疲れ果てちゃいました。

でも、そんな私を旦那さんは本当に根気強く優しく支えてくれました。

私が逆の立場だったら、自分が仕事で疲れて帰ってきた時、相方に顔も洗ってない・髪もとかしてない・夕飯も作ってない・1日中泣いていたんだろうなとわかるような泣きはらしてパンパンに張った顔で出迎えられたら、正直なところ疲れが倍増しちゃうと思います。

手術から何日もたっているのに、ぐずぐずぐずぐず泣いてばかり。

いつまでもこんな状態だったら、腹も立ってくると思うんです。

それなのに、旦那さんは「悲しい時は泣いたらいいよ。ご飯だって作らなくていいよ。ずっと外食だっていいんやし。」と言ってくれました。
ネガティブモード全開の私の発言にも、「うん。うん。そうやね。そうやね。」といやがらずじっくり付き合ってくれました。

そういう優しさに触れて、徐々に「私、立ち直らなくちゃいけないな。」という気持ちになってきました。

それからは、何が悲しいのか、何がつらいのか、どういう不安があるのかを紙に書き出して、それぞれの項目についてどうして行けばいいのか考えるようにしました。
それでも、何かをしている拍子にふっと負のパワーに引き寄せられることがあるんですが、以前に比べてその回数も減ってきました。

ようやく今後のことについても考えられるようになり、旦那さんと話し合いました。
もし次に妊娠することができたとしても、また流産するんじゃないかと思うと怖くて妊娠できないと言う私に、旦那さんは「とりあえず、できる検査は全部してみよう!!それで、何か原因がわかれば、治療して妊娠するのもいいし、原因がわからなくて妊娠に不安があればもう子供をあきらめてもいいんじゃない?
とりあえず、今は何もわかっていないんだから、マイナスのこと考えても仕方ないじゃない?」と検査の提案をしてきました。

旦那さんの言うことはもっともだと思ったし、2度目の流産をした後、なんで1回流産した時にもっといろんな検査を受けなかったんだろう。と後悔が残っていたので、いろんな検査を受けることに決定。

なんだか前向きに進んでいるような気がしてきた・・・・!?(私って単純?)

でもね、不妊症・不育症の女性はいろんなつらいことを抱えていると思うんです。
それを旦那さんが理解して共有してくれることがどんなにありがたいことか、今回の事で身にしみてわかりました。
そして、この痛みを分かち合うことで、どんなに夫婦として成長できるかもわかりました。
悲しみを助長するのも、軽減するのも旦那さん次第、世の中の旦那さんたち、がんばれ!!

精神不安定

2007年11月14日 | 心の葛藤
退院後は本当につらかった・・・・・

自分で心のバランスをうまく保てませんでした。

なんでこんなに悲しいのか、何がそんなに悲しいのか、自分自身、わからないのだけれど、とにかく悲しくて悲しくてどうしようもない毎日。

何もかもがいやになりました。
そして、何かをする元気もありませんでした。

朝起きて、髪をとかす元気もないし、顔を洗う余裕もないし、ただ空中をぼーっとながめている毎日。
ただただ悲しくて、涙を流していました。

実母から電話があり、「毎日泣いてばかりでどうするの!!そんなんじゃ、旦那さんも会社へ行っても心配で仕事にならないよ。前を向きなさい。後ろばかり向いてても仕方がないでしょ!!」と言われましたが、わかっているけれどそれができないんです。
本当に自分でもどうしようもなくて、「あ~、もう私ダメかもな・・・」と思うときもありました。

実母に「泣いていてもいいから、とにかく外に出なさい。」と言われたので、外に出てみたら、秋の光でものすごくまぶしいんです。
「きれいだな」そう思ったら、また涙が出てきました。
桜の葉っぱが紅葉しているのを見て「あ、きれい」と思うとまた涙。
私の涙タンクは枯れることがないのかい!?って思うくらい、何を見ても涙があふれていました。

そして、ずっと自分を責めていました。
過去にした自分の過ちを思い出しては、「私があの時やったことのつけが、今現れてきてるんだ」そうとしか思えなくて、「私のせいだ」「私が悪いからこうなったんだ」って責め続けていました。
だからといって、過去に戻って過ちを正すこともできないし、どうしていいのかわからなくなっていました。

そんな悲しみの底なし沼から救ってくれたのが、旦那さんでした。


手術

2007年11月14日 | 2度目の流産
またもや旦那さんにつきそってもらって流産手術。
もうやだ!!って思っていた手術だけれど、「放っておけば子宮内に残留物がでる可能性があって、そうなると今後の妊娠に悪影響が出ます」と言われたら、手術を受けるしかありません。

前回、手術しているので、悲しいけれど慣れたもの!?
前回の手術で使用した麻酔薬はすごくつらかったから、あれは使わないでほしいだとか、手術後眠れなかったから、今回は眠剤を出してくれなどわがままいっぱい言っちゃいました。

手術台に乗ったとき、前回は涙・涙・涙でしたが、今回は赤ちゃんに「きてくれてありがとう!!本当に嬉しかったよ!!」と言うこともできました。

それなのに手術が終わって病室へ帰ってくると、なぜだか涙があふれてきました。
自分で納得していたはずなのに・・・・
なんで涙が出てくるのか、自分でも不思議だなぁと思いました。

次の日、退院の許可が出ました。
そのとき、先生に「私は赤ちゃんを産むことができますか?」と質問してみると「これから検査してみないとわからない」と言われちゃいました。
そうかもしれないけれど、「大丈夫ですよ。きっと赤ちゃん産めますよ。」と言ってほしかったんです。
涙があふれてきて、しゃくりあげて泣いちゃいました。
看護婦さんは「まずは体を元通り元気にしなきゃね!!」と慰めてくれましたが、「私は赤ちゃんを腕に抱けないかもしれないんだ・・・・」という恐怖感にかられての退院となりました。

奇跡?

2007年11月14日 | 2度目の流産
「流産宣告」から3日後、今後手術になるのか、それともそのまま赤ちゃんが外に出てくるのを待つのかを相談しに病院へ行きました。

その3日間の間、私はどうしても赤ちゃんをあきらめることができなくて、先生に「まだ生きているような気がするんです」と言ってみると、先生は「でも、大きくなってないしね・・・」とおっしゃっいましたが、超音波で見てくれました。

先生は、超音波のモニターを見つめながら、もう一人の先生を呼んでなにやら相談中。
「なにかあったの?」とまたしても不安になった私に、「ここ見てみて。小さいけど、心拍が見えるの、わかる?」と説明してくれました。
「え?じゃあ、まだ生きてるの??やったー!!!!やったー!!!!」とばんざいしたい気持ちでいっぱいでした。

「流産」と言われたけど、なんだかよくわからないけど、赤ちゃんは奇跡の復活をとげていました。

「あいかわらず、胎嚢は小さいままだけれど、まだ生きている」
そのときから、おなかの赤ちゃんは「奇跡の子」だと思うようになりました。
絶対このまま産めるに違いないと妙な自信もわいてきました。

その後の超音波検査でも胎嚢はなかなか大きくならず、先生からは「今、赤ちゃんはとっても苦しい状態です。流産の可能性も十分あります」って言われていたけれど、「絶対大丈夫!!」という自信があったし、あとは産まれてきてから先天性異常があった場合のことだけを考えて、旦那さんと「どんなことがあっても2人で育てていこうね」と誓い合いました。

そうこうして妊娠9週目、いつもの超音波検査でモニターを見ていると、あきらかに先週より胎嚢の大きさが広がっている!!
いつもは、窮屈そうにしている赤ちゃんも、スペースが広がってゆったりしているように見えたので「あ~、よかった!!胎嚢も大きくなったし、ほっと一安心だ~」と喜びにふけっていました。
すると、先生が、「赤ちゃんの心拍数が一定ではなくなっています。遅くなったり、早くなったりしているので、今日明日の命でしょう」とおっしゃいました。

私は「そうですか・・・」と言ったものの、信じられなくて、単に赤ちゃんの心臓が悪いだけかもしれないじゃんと心の中で思っていました。
胎嚢だってこんなに大きくなったんだもの、きっと大丈夫だもん!!
2日後に再度きてくださいと言われましたが、「奇跡の子」だから大丈夫と自分に言い聞かせて「心臓が悪い赤ちゃんが産まれて来た時の事」を考えていました。

2日後の診察には、旦那さんも一緒に来てくれたのですが、残念ながら赤ちゃんの心臓は止まっていました。
「奇跡の子だから大丈夫」と自分に言い聞かせていたわりには、「もしかして亡くなっているかも!?」と心のどこかで考えていたのかもしれません。
「残念ながら9週目で子宮内胎児死亡」と告げられたときにも、悲しいというより「赤ちゃん、今までがんばってくれてありがとう!!」という感謝の気持ちでいっぱいでした。

流産手術を明日に決め、帰宅したあともそれほど涙は出ませんでした。
6週目で「流産」と言われ、あまりの悲しみに打ちひしがれて、絶望しかかっていた私のことを心配して、赤ちゃんは舞い戻ってくれたんだ!!
本当は6週目で亡くなってしまうつもりだったのに、私のことを考えてくれて最後の最後まで必死でがんばってくれたんだ!!
とっても親思いのいい子だったんだ!!
そんな風に考えると、「本当にありがとうね」と赤ちゃんの死を受け入れることができるような気がしていました。


またまた妊娠②

2007年11月14日 | 2度目の流産
「流産宣告」を受けた私は、なんだか信じられなくて涙ぼろぼろ流しながら、「本当にもうだめなんですか?」と聞くことしかできませんでした。

とりあえず、血中のHCG量をはかって、その量が少なければこのまま自然に赤ちゃんが出てくるのを待つ。もし、HCG量が多かったり、今後増えていくようであれば手術しなくてはならない」と説明を受け、血液検査にまわされました。

血液検査の順番待ちのときも、涙が止まらなくて、待っている間(30分くらいかな?)ずっと泣いていました。
人に見られて恥ずかしいって気持ちよりも、悲しくて悲しくてどうしようもないって思いが強くて、あふれてくる涙を止めることなんてできませんでした。


またまた妊娠①

2007年11月14日 | 2度目の流産
流産後2~3ヵ月したらまた妊娠していいよと先生に言われていたので、3ヵ月後子作り開始。

まさか、すぐに妊娠できるとは思っていなかったのですが、嬉しいことに子作り開始1周期目で見事妊娠!!

本当に嬉しくてしかたなかったけれど、前回のことがあるので、手放しに喜ぶこともできませんでした。

病院へ行ったところ、「4週と3日目です。まだ超音波では何も見えませんね。でも、この時期は何も見えなくても心配ありません。2週間後にまた来て下さい。」と言われました。

前回の妊娠中、少し神経質になりすぎたところがあって(ラーメンは塩分が多いから食べないとか)、「あんまり神経質になるのもどうかな~。もっとのほほ~んといつもどおり暮らしていた方が、赤ちゃんにとっては心地いいのかも!?」と少し反省していたので、週末に旦那さんと大好物のお寿司を食べに行きました。
内心「妊婦なのに生もの食べていいのかな~。どうしよ?大丈夫かな~?」とは思っていたけれど、「ま、大丈夫でしょ!!神経質はよくない。よくない。」と思い直して行ってきました。

その夜、あまりのかゆみで目が覚めると、足からおなかにかけてジンマシンがぶつぶつとできていました!!
お寿司を食べに行ったことを激しく反省したのは言うまでもありません。
「私、何やってるんだよ!!赤ちゃんを守れるのは私しかいないのに、生もの食べたりしてさ。このジンマシンが赤ちゃんに影響したらどうしよう??こんなにかゆいんだもん、影響しないって方がおかしいよ。どうしよう?どうしよう?」ってその夜は心配で心配で眠ることもできず、朝を迎えました。

朝いちで病院へ電話し、すぐに先生に診てもらったら、先生いわく「ジンマシンは赤ちゃんに影響しないから心配いらないよ」とのこと。
ほっとしていたら、「今、5週目だよね。もう胎嚢が見えると思うから、見てく?」と言ってくださり、私はもちろん「はい、見たいです」と答えました。

超音波で見てみると、5週と2日目のはずなのに、胎嚢の大きさが5.6mmしかなくて「あれ!?また胎嚢が小さい?」と感じました。
先生に聞いてみたら「順調ですよ。胎嚢の中に卵黄嚢も見えてきてるしね。順調の証拠です。」とおっしゃったけれど、私はなんか不安で「本当に大丈夫でしょうか?」と何度も訊ねずにはいられませんでした。

先生は大丈夫って言ってくれたけれど、心配で心配で仕方なくて、胃が痛くなるくらい悩みました。

6週と3日目にまた病院へ行って診てもらうと、はじめ明るかった先生の声が次第に暗くなって、しまいには何もしゃべらなくなってしまいました。
私もモニターを見ながら、「あれ!?胎嚢がなくなってる。」と気づいて、血の気が引く思いに・・・・

先生は長い時間をかけて診てくれましたが、結局、先週あった胎嚢がちっとも大きくなっていなくて、その形もいびつに変形してしまっているため、「流産です」とまたしても流産宣告を受けてしまいました。




術後

2007年11月14日 | 1度目の流産
手術後、家に帰ってからは普通に過ごしていたのだけれど、洗い物の途中とか、何かしている途中に、涙がこみあげてきて、よく泣いていました。

でも、このときはまだ流産の原因が自分にあるとは思っていなくて、「たまたまだったのかな?」と思うようにしていました。
実際、私の友達の中にも1度の流産を経験している人がたくさんいたし、「今回は仕方なかった」と考えようと思いました。
(そういうう風にわりきれればいいのかもしれませんが、なかなかそうはいかないもので、うじうじ泣いていましたけど)

術後、3週間で赤ちゃんの染色体の検査結果が出ました。
結果は「3倍体の女の子」でした(赤ちゃんの染色体異常)。
普通、ヒトは46本の常染色体をもっていますが、私の赤ちゃんはその染色体が1.5倍の69本あったんです。

3倍体は100%流産になるので、「やっぱり仕方なかったんだ。」と思い、先生からも「3倍体だったら普通はもっとはやく流産していたはずなのに、よくもったね」と言われ、「毎日話しかけてたから、赤ちゃんもがんばってくれたんだ!!」と思えるようになって、気持ちも前向きに変化していきました。

先生からは「2~3ヶ月たったら、子作りがんばってみて」「今回は染色体異常だったから、次回は大丈夫だよ」と言ってもらい、何かほっとしました。

でも、今から思えば、このとき、もっと検査してもらえばよかったんです。
実は、3月に検査した血液検査で『抗カルジオリピン抗体』がほんの少しひっかかっていたんです。
先生からは、「陽性といってもほんの少しだし、このほんの少しの値に意味があるかわからないし、今のところ治療の必要はなし。」と言われていたので、深く考えずに「そんなもんか」と軽く考えていました。

今回、胎嚢が小さかったのも染色体異常が原因だと思っていたので、まさか別の要因が絡んでいるかもしれないなんて、全く想像もしていませんでした。

後悔、先にたたず。
その後、再び流産するとは、このとき全く思っていませんでした。


手術

2007年11月14日 | 1度目の流産
流産宣告の次の日に手術を受けました。

ここの病院では、流産手術は念のため1泊2日の入院が必要らしく、初めての入院にどきどきしていました。

幸いなことに1人部屋だったので、旦那さんと2人で「手術の時間までやることないねー。」と話したりしながらゆっくり時間を過ごせました。

いざ、手術。

まだ手術前だから平気で歩けるのに車椅子に乗せられ、手術室へ。
手術台に乗ったときは、本当にもう赤ちゃんとお別れしなきゃいけないのかな?と悲しみでいっぱいになりました。
先生から「今、超音波で診ているけど、やっぱり心拍止まってますね。手術します」と言われ、最後の望みも絶たれました。

体にいっぱい機械をつけられ、麻酔開始。
涙が止まらなくて、目の前が涙でぼんやりかすんで見えるなぁと思っていたら、いつのまにか麻酔が効き始めていたみたい。
頭の中がぐるぐるして、「生きるとは・・・」とか「死ぬとは・・・」とかそういう難しいテーマばかり考えさせられ、しまいには幽体離脱みたいな感じになっていました。(後で聞くと、このとき使った麻酔薬は変な夢をみることが多いらしいです)
ものすごいしんどいなぁ~、もう私、このまま自分の体に戻れないんじゃなかろうか?と思っているうちに、遠いところから先生の声がして「無事、手術終わったからね~。」となんとなく聞こえてきたような・・・

それから徐々に、徐々に、意識が戻り始めて、完全に麻酔が覚めるまで手術室で横になって過ごしました。
ずっと看護婦さんがついていてくれて、「手術中にのんさん、私の赤ちゃん~。」って言ってたよ。」とか教えてくれました。
それを聞いて、余計に悲しくなったよ。

麻酔が覚めてから、車椅子に乗り、病室へ戻りました。
旦那さんが心配顔でついていてくれたので、なんだか安心したけれど、やっぱり「もう自分だけの体に戻っちゃったんだな~」と思うとつらかった。

その夜は、やっぱり手術後の興奮状態で、全く眠れなかった。
産婦人科病棟ということで、赤ちゃんもたくさんいるんですね。
その赤ちゃん達が、し~んと静まり返った夜中に、すごく大きな声で泣いているのを聞くと、せつなさも感じたし、神々しくも感じたし、複雑な気分でした。

次の日、先生に診ていただき、何も問題なしということで退院しました。