雨のち晴れ~私の不育症日記

2度の流産により不育症と判明。そんな私の不育症と闘う毎日を綴っています。

流産

2007年11月14日 | 1度目の流産
妊娠9週目

やはり胎嚢は大きくなっていなかったけれど、それでもなんとか赤ちゃんは生きていてくれました。
先生からは「胎嚢が小さいのを医療で治す事はできない」と言われていたので、私にできることは何もありません。

私達夫婦は、毎日毎日「がんばって袋を広げるんだよー。」とおなかに向って話しかけては不安を打ち消していました。

そんなとき、トイレに行ったら茶色のおりものが・・・・・・
それまで妊娠本で色々調べまくっていたので、「茶色は大丈夫。鮮血なら流産かもしれないけど」という本の知識があったので、それほど気にせず過ごしていました。

でも、時間を追うごとに増えていく茶色のおりもの。
さすがに不安になってきて、日曜日でしたが、救急で診てもらうことにしました。

日曜日だったので、旦那さんも一緒に来てくれたのですが、病院についても2人で談笑するなど、まさか流産だなんて思っていませんでした。

超音波の診察台にのって診てもらうと、「あれ?」っと言って先生がしきりに首をかしげている。
「ちょっと待っててくださいね。今、いつも診てもらっている主治医の先生呼ぶからねー。」と言われ、「何?何?何なの?」と一気に不安になりました。
そしたら、そばにいてくれた看護婦さんが、「赤ちゃんの心拍が止まっているようなので、今主治医の先生を呼んで、もう一度診てもらうからね~。」と言いました。

一気にあふれる涙。
先生、ちゃんと産めるって言ったじゃん。産めるけど、先天性異常があるかもしれないって言ったじゃん。先天性の異常だけが心配事だったんじゃないの??
流産の心配があるなんて一言も言ってなかったのに!!
なんでよー!!!!

看護婦さんがそばにいようと、誰がそばにいようと、声をあげて泣きました。

そうこうしている間に、主治医の先生登場。
カルテを見ながら、「あ、この患者さんね。心配だな~って思ってたんだよね。」と言って、診察開始。
「う~ん、残念だけど、心拍止まってるなぁ。繋留流産です。」

そのあとは、旦那さんと2人で、今後の手術の説明を聞きましたが、私は涙・涙で説明どころじゃなかったなぁ。
先生が「赤ちゃんの染色体の検査をしたら、なんで流産したかがわかるかもしれない」と言ったので旦那さんが「いくらかかってもいいからやってください」と言ってくれました。

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