いや~、皆さん、ご機嫌いかがですか。
なんか、今日はむしむしするざんすね。梅雨というより夏なんではないかと(笑)。
そんな訳で、我が稀にしか更新できなくなってしまった『ひとねむり』のテンプレートも一気にイースター島にしてみました。
なんか涼しくないですか。そうでもない?(笑)。
しかし、最近は物騒な事件が多いですね。気をつけないと怖くて買い物にも行けないですな。
何が原因なのか少しでも真相に迫ることが非業の死を遂げられた方々へのせめてものはなむけだと思うのですが(全く不十分ですけど)。
それにしても、一向に解決しない事件って最近多くありませんか。
もちろん殺人事件とか重大な事件が次から次へ起こるのは何か異常事態の前触れではないかと思うくらいなんですけど、私が、昨年、このブログでしつこく駄文を書き連ねていた事件も全然音沙汰がないですね。
ビルマで殺された長井さんが最後まで離さなかったソニー製のビデオカメラはどうなったんですかい?
集団リンチで若い力士一人を殺してしまった事件の公判はどうなったんですか?
それにもうひとつ。『僕はパパを殺すことに決めた』の出版が妥当だったのかどうか、講談社は内部調査委員会を作って検証するって、昨年の11月頃、自社のホームページで公言してたじゃないですか。
出版の妥当性を検証できるのかどうかは、当初から懐疑的な見方が強かったようです。
というのは、本当に妥当性を検証しようとすれば、少年の供述調書を全部公開しなくてはならないでしょう?いくら、ある著名人だろうが大学教授だろうが、これが事件の真相で、この真相の解明のためには調書の一部公開が必要だったと結論付けたとしても、その結論の相当性をどうやって担保するんですか。
それに、外国の研究者で研究用に『僕はパパを殺すことに決めた』を読んだ人の中には、少年はなんら病的な点はなく、父親の行き過ぎた教育熱心による虐待(敢えてこの言葉を使用させてもらいます)に対するある意味『正常な反応』(誰でも、そういう状況に置かれたら、父親等に対する強い殺意を抱くのは当然と了解できる)に過ぎないと公言しているひとすらいます。
そうだとすると、一体なんのために、少年の本来非公開が前提である供述調書を出版して広く流布する必要があったんでしょうね。
専門家信仰はどうかと思いますが、少年犯罪や少年精神医学の専門家の間でも見解が分かれるものを、度素人(これもあえて使わせてもらいます)が読んで何か益があるのでしょうか。
『僕はパパを殺すことに決めた』については、少年が名門高校生であったことや、父が医師であること、センセーショナルな装丁など、当初から、『結局、売らんかなのための本だったんだ』という評価がありました。
私はそこまで断言できるかなと思っていたのですが、一向に講談社から総括もでない現状を見ると(何でも著者の女性は5月末に、強制捜査等に対する反論本を光文社から出すと言っていたようですが)、このようなうがった見方も真実を付いているのではないかと思いはじめています。
がっかりさせないでくれよ、講談社。
ちゃんと総括しなさいよ。できるのなら。
(お詫びと訂正)
この記事を投稿してから、講談社のホームページを見たんですけど、2008年4月9日付けの調査委員会の報告書と、講談社独自の見解をまとめた文書のPDFが掲載されており、内容が十分かはともかくとして、一応事件に関する両者の意見は公表されていましたので、この点、訂正してお詫びします。
もっとも、まだどちらの意見書も読み込ん出ないので批判するのもどうかと思うんですが、委員会の報告書の方は出版社ないし著者、鑑定医、介入をした国家権力に少しずつけちをつけるというか、三者が損をしたような感じを受け、出版に関し一番の被害者である少年と祖父がかるんじられているような印象を受けました。
また、件の著者の少年犯罪に対するスタンスは『独特の思想』が感じられると報告書が踏み込んでいる点は注目に値します。著者が言うように、少年犯罪について保護主義ではなく、厳罰をもって望むことが同種犯罪に対する抑止につながるというのであれば、少年の責任能力の有無を厳格に判断すべきなのに、この事件では、逆に、少年の刑事責任能力が病気ということで厳格に問うことができないという背理が生じていると指摘しているのは強烈な皮肉のように思えます。
広汎性発達障害という診断名が一人歩きしてしまって、こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、誰も突き詰めて考えていないというか、何も分かっていなかったというのが真相なんではないでしょうか。
また、裁判員制度というろくでもない制度がとうとう強行されるようですが、刑事的責任とか責任能力、精神鑑定との関係など基礎法と呼ばれる分野(簡単という意味ではなく、すべての土台という意味の基礎です)についても、人類は何ら結論に達していないのに、金もないのに金をかけて壮大な馬鹿げた実験に国民全体が『共犯者』として関与しなければならないのも、本当にどうかしていると思います。
今なら、まだ引き返せるんじゃないでしょうか。いいじゃん、新築法廷なんか無駄になっても…。