京都三条の河原で釜茹での刑になったのが石川五右衛門
文禄3年8月24日(1594年)ですね。
釜茹での刑は三国志にも出てくる刑罰で古くからあるんですね。
かなり残酷な方法。
辞世の句は「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」
義賊なのか、、こそ泥なのか、わかりませんが、、大泥棒ってことになってます。
金品を盗るだけが、泥棒ではないですよね。
領土を未だに返さない
勝手に領土だと言って住み着く
美味しそうだから自分の領土だと急に言いだす
今度島に上陸したら、、、大釜を用意したらいかが?
ちなみに、、
五右衛門が南禅寺の山門に上がって、、
「絶景かな、絶景かな。春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ。この五右衛門の目からは、値万両、万々両……」
っというセリフは後の創作のようで。。
実際の南禅寺山門は五右衛門の死後30年以上経った寛永5年(1628年)の建築であるから。。
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文禄3年8月24日(1594年)ですね。
釜茹での刑は三国志にも出てくる刑罰で古くからあるんですね。
かなり残酷な方法。
辞世の句は「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」
義賊なのか、、こそ泥なのか、わかりませんが、、大泥棒ってことになってます。
金品を盗るだけが、泥棒ではないですよね。
領土を未だに返さない
勝手に領土だと言って住み着く
美味しそうだから自分の領土だと急に言いだす
今度島に上陸したら、、、大釜を用意したらいかが?
ちなみに、、
五右衛門が南禅寺の山門に上がって、、
「絶景かな、絶景かな。春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ。この五右衛門の目からは、値万両、万々両……」
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実際の南禅寺山門は五右衛門の死後30年以上経った寛永5年(1628年)の建築であるから。。
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