5/30身内の訃報が突然入り、急遽大阪府堺市に出向くことに。
この日から、堺東駅周辺のホテルを探して予約を取り、
JR新幹線往復切符を取り6/1に出発。
6/2にお見送りお骨上げをして6/3午後無事帰宅した。
独身者が病院入院中に逝去し、親族が遠隔地にいる場合、
こちらが依頼すれば、病院が葬儀場を手配し、
依頼を受けた葬儀社の方が、病院から搬送し霊安室で告別式まで安置してくれる。
堺市(人口80万人)の火葬場が一軒しかないこともあり
ここに空きがない限り、葬儀社の方で待機することになる。
それと、死亡診断書と死亡届(一枚の用紙)も、逝去した病院を管轄する役所に、
葬儀社から届け出をし、火葬許可証(埋葬許可証)を取ってもらえる。
滞在期間が限られているものにとって、
公的手続きを如何にスムーズに行えるかが勝負どころで、
6/1は、本当に、「東奔西走」という言葉は、
こういうことに使うためにあるのだと思えるくらいの一日だった。
6/1お昼ごろに堺東駅に到着し、すぐ堺東駅近くに取ったホテルに荷物を預け、
堺市堺区(東)のホテルから、堺市北区にある入院先の病院へ向かい、
故人の公的書類(後期高齢者医療保険証・介護保険証・高額療養認定証)を受け取り、
中区にある葬儀社に行き、預かってくれている死亡届のコピーを受け取り、
住民票のあった西区区役所に出向き、各保険証の資格喪失届を出し、
大変お世話になった、堺区(東)にあるケアマネさんのセンターに行きお礼をし、
夕方堺区のホテルにチェックインできた。
半日でこれらをすることが出来て、ほんとうによかった。
全て、タクシー移動が出来たおかげである。
病院・葬儀社の方に手配してもらったり、運よく停まっていたタクシーをゲットできたり
、西区役所の前からバスにすぐに乗ることが出来たり(交通の要所付近にホテルを取るととても便利)とラッキーが続いたことが大きい。
翌6/2は、AM8:30に年金相談センターへ年金喪失届をだして、公的手続きは90パーセント完了。
あとは、年金支給用通帳を止める手続きのみなので、6/14までに全国郵貯窓口に行けば、
どこでも手続きが出来る。通帳の番号が不明ならば、
関係性のわかるもの(戸籍抄本や住民票やマイナンバーカード)を持参していれば、年金保険課窓口で教えてもらえる。
しかし、6/2の堺市は、深夜から台風の影響で大雨がふり、傘をさしていてもびしょ濡れになるく
らいとても大変な日だったので、移動をするにも一苦労で、
タクシーも捕まらない状況を話して、葬儀社の人にホテルまで迎えに来てもらい、
帰り火葬場からホテルの送迎もしてもらい、ほんとうに助かった。
6/2は新幹線や在来線も不通になるなどしていたので、
追加の連泊をすることにして、翌日ゆっくり帰途に就く判断をした。
6/3は、昨日の天気が嘘のように晴れ渡ってはいたが
奈良県や和歌山県に大雨被害が出ていたりして、
JR在来線などが使えそうになかったので、阪堺軌道阪堺線という俗に「チンチン電車」を
利用してのんびり天王寺まで出ることに。
広島の市電とは違い、浜寺駅と天王寺駅を結ぶ、ほぼ直線線路を走る堺市民の足の電車。
天王寺駅について、思わず空を見上げると、ビルに「abeno harukasu]の文字が見えた。
ここにあるとはつゆ知らずな私だったが、
アベノハルカス300mに立ち寄って、展望室59階でランチをすることに。
まさかの展望室ランチで、60Fで遠くに大阪城や通天閣などを探して楽しむことも出来た。
この日は、東海道新幹線(のぞみ)は不通で、山陽新幹線(さくら)は一時間に一本程度の新幹線しか走っていなかった
ので、新大阪の駅は、みどりの窓口に並ぶ人や、思案に暮れて立ちすくむ人など
大勢の人でごった返していたが、
火葬場での待ち時間中に、火葬場近くのJR駅で、特急券の変更手続きをしていたので、
13:23のさくらに乗り込むことができ16:00頃帰宅できた。
最後独身であれば、自分の葬儀の事や数々の手続きを含め、後見人乃至、
きちんと親族の誰かに頼んでおかないと、
安心してあの世に行くことが出来ないようである。