
パキスタンの長距離バスは、凄まじかった。道の真ん中を猛スピードで突っ走り、対向車と肝試しのチキン・レースを展開する。そんなクレイジー・エクスプレスで、“私”はシルクロードを一路西へと向かった。カブールではヒッピー宿の客引きをしたり、テヘランではなつかしい人との再会を果たしたり。“私”は冬の訪れを怖れつつ、前へ前へと進むことに快感のようなものを覚えはじめていた―。
第10章 峠を越える―シルクロード1
第11章 柘榴と葡萄―シルクロード2
第12章 ペルシャの風―シルクロード3
世界で最も人口に膾炙(かいしゃ)している商品の中でも、そのカバーしている国の多さにおいて、コカコーラと並んでセイコーに勝るものはないといえるかもしれない。
ピラフの発祥地はこのペルシャというが・・・
イランの貨幣は基本的な単位はリアルだが、日常生活ではトマンを用いる。
1トマンは10リアル
日本の柔道
ソ連のサンボ
イランのズール・ハーネで体を鍛える
イラン人にとってシラーズとは、詩とバラの美しい古都
スウェイン・ヘディン「シラーズは疑いもなくペルシャで最も美しい都市である」
イスファハン「イランの京都」
ザイールのキンシャサ
中国の四大発明は羅針盤、火薬、紙、印刷だが、もうひとつ忘れてならないのが暦である。
紅焼肉;角煮
麻婆豆腐は150年前の清代に陳巧巧という女性が考案した。
彼女は旦那さんを亡くしたあと、一膳飯屋のおかみさんとして朝から晩まで働き続けた。
両隣が肉屋と豆腐屋だったので、それを活かした新しい豆腐作りを作り、行商人や荷運びの人たちに出していた。辛くてうまい料理はたちまち人気になり、やがて「陳さんの麻婆豆腐」と評判を呼ぶようになった。
中国語で「あばた」は「麻」
おばさんは「婆」という。
顔にあばたがあったことから陳さんは「麻婆」と呼ばれていて、それがそのまま料理名になったのだ。
中国にとって大豆の加工食品である豆腐の誕生は革命的であった。
彼らは大豆に中華思想のすべてを放り込んだ。
西欧は大豆は固くてとても人間の食べるものではないと冷淡で、家畜の餌で終わらせていた。
烽火台;夜;には深夜でも兵士が詰めていた。
狼の糞に火をつける
その黒い煙は風に吹かれても真っすぐに大空に登って、遠くからでもよく見えたという。
これが「狼煙」である。
燧火台;昼