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<読後感想> 『大往生』(永六輔/岩波新書)

2012-06-26 11:38:36 | 書評
久しぶりに、1冊の本をじっくり読んだ。
 表記の本は、奥付を読むと1994年3月22日が、初版の発行日になっている。ということは、もう、18年も前の書籍なのである。数年前の本だとばかり思っていた。この本は売れに売れて、屋台骨の傾いていた岩波書店の地盤沈下を食い止めたと、巷で噂が広がった。岩波文庫、岩波新書を読んでいない日本人は、まず、潜りと言ってよいほどだ。小生の出身信州が生んだ、大文化人岩波茂雄が創業した出版社である。戦後の俄か文化人や左翼文化人を大量生産したのも、この岩波書店と朝日新聞だった。いまは昔である。懐かしくもあり、左翼以外は文化人ではないといった社会風潮に、うすら笑いを浮かべたくもなる。もやはそんな文化人は、残骸すら見当たらない。
 本の中身に入る。
 舌が長いのか、短いのか、独特の早口で喋りまくるラジオを、何度も聞いては止めていた人も、少なからずいたであろう。角刈りの短髪に相撲取りの下駄のような顔。この顔と饒舌がテレビに向かず、生涯をほぼラジオで過ごして来た永六輔。その半生で培った有名・無名人の生と死の言葉を並べたのが第1章からⅣ章まで。老い、病、死、仲間、に分類されて編集されている。Ⅴ章が父である。この本は父に捧げるとも書いているし、父が章立てさえしたとも書いている。要するに、六輔はファザコンなのである。
 書き捨てたというか、言葉の編み師だっただけに、思いついた時にメモを取ってきた中から、章ごとに並べただけ。特別な感想や解説もないが、読む者になんとなく言わんとする余韻が伝わってくる。これが永六輔の才能であり、真骨頂でもある気がする。難しいことを難しく説くのが、哲学者や思想家。やさしいことを難しく書いたり、話すのが大学教授。やさしいことをやさしくも書けないので、似たような言葉や、関連する語彙を並べて、あとは読者にゆだねるのが永六輔。作詞家としての永六輔も作曲に恵まれて、「上を向いて歩こう」「遠くへ行きたい」「こんにちは赤ちゃん」(=以上作曲中村八大)、「「見上げてごらん夜の星を」「いい湯だな」「ともだち」(=同いずみたく)などなど、多くのヒット曲を世に出している。いい曲が付いて初めて世に出たのである。
 では、永六輔はいい加減な人か。とても、とても、マメでまじめで、世話好きな人間である。ズボラで大まかな人なら、大政治家にでもなったかもしれない人である。
 ターキーこと水の江滝子の生前葬を手伝ったり、いずみたくや中村八大の葬儀をプロデュースしたりしている。マメな人である。生き方の基本は、すべて浅草・最尊寺住職の父親から伝授されている。その中身は「無理をしない」「静かに生きる」「借りたものは返す」だった。「静かに生きる」だけは守れなかった。その父永忠順に本著の「あとがき」までを書かせている。89歳まで生きた忠順氏もガンだったが、手術はしなかった。亡くなる直前まで、「源氏物語」の現代語訳本を読み続けていたという。ただ読んでいたのではない。才媛紫式部は、当時どのくらい仏教を勉強していたのかを探っていたのである。死期を悟っても、浄土真宗の原点を「源氏物語」から読み取ろうとしていた。
 死は死亡率100%で、この世に生を受けた全人口にやってくる。病気の外に、不慮の事故や、天辺地変、通り魔、自殺など、とにかく、この世に生を受けた人間は、必ず死ぬのである。大往生も、中往生も、小往生もない。
 なんてことはない。病院で死のうが、自宅で死のうが、親子、親族、友だちなどに、きっちりと別れを告げて死ねれば大往生なのである。死んだ後の、葬儀が立派か惨めかなど、まったく往生する側の心配することではない。どうしても心配なら「遺言状」に残せばよいとまで導く。
 それにしても、いまの時代は、老後を生きるにも、死ぬ際にも、死んだ後の葬儀にも、「手引書」がないと、何もできない時代になっているのである。本著を読んでも、ボクは何かする必要に否まれずに済んだ。これぞ、ボクの御利益はすでにあるということか。御利益とは、何かにすがることではなく、自らが覚悟を決めて生きる者に、自然に備わる生きる術(すべ)ではないだろうか。