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武器学校 土浦駐屯地祭2018 9  旧装備品展示 3

2019年02月02日 | 陸上自衛隊レポ
74式自走105mmりゅう弾砲

設計
車体は73式装甲車の駆動部を中心に流用しているが、外見上の共通点は少ない。
車体そのものは、直接的には73式の走行系を流用した76式対砲レーダ装置の牽引車部分である
KP140の車体部と共通した設計となっている。
材質はアルミ合金製で、自走砲としては珍しく、浮航用キットを装着することにより水上航行が可能となる。
車体前方右側が操縦席となっており、73式と同様に2本の操縦レバーが備わっている。
前方の左側にはエンジンが積まれ、前輪駆動となっている。

兵装
車体後部は戦闘室で、全周旋回式の密閉型砲塔が搭載されている。
砲塔の上面に防盾付きの12.7mm重機関銃M2が搭載され、
戦闘室の側面には64式7.62mm小銃用のラックが取り付けられている。
車内搭載弾数は43発で、射撃速度は最大で毎分10発に達する。
実戦用の砲弾には榴弾(M1及び74式)・発煙弾(M60及びM84)
・照明弾(M314系)・成形炸薬弾(M67)が用意されている。最大射程は14.5km。
(出典:ウィキペディア)








60式自走81ミリ迫撃砲
60式装甲車の試作型の一つであるSU-II型を改設計し、後部車体内に81mm迫撃砲を搭載したものである。
製作は三菱重工業と小松製作所。同様に60式装甲車がベースとなっている60式自走107mm迫撃砲とは
車体後部の形状が異なっていることと、車体前面左側に7.62mm機関銃のマウントがあることで識別できる。
通常の迫撃砲射撃時は車体後部上面および後部ドアを開き車上から射撃を行うが、
必要に応じて迫撃砲本体を降ろして野外でも射撃できる。車外射撃用に通常の迫撃砲で
用いる底板と二脚も用意されており、これらは普段は車体前面に積載されていた。
また、車体前面にある7.62mm機関銃マウントには、
普段は機関銃本体は搭載されず、必要に応じて追加搭載する、とされていた。
(出典:ウィキペディア)








60式106ミリ無反動砲
1960年(昭和35年)に第二次世界大戦後初の国産装軌式装甲戦闘車両として制式化され、
2008年に全車が退役するまで半世紀にわたり使用が続けられた。61式戦車や60式装甲車など、
1950年代から開発が進められた国産兵器の一つ。待ち伏せによる対戦車攻撃を主任務とする。
隊員間では「106SP」と呼称されていた。
また、戦前から歩兵直協用の極小型戦車は豆戦車と呼ばれており、60式にも「マメタン」の通称があった。
対戦車誘導弾が開発される以前は師団対戦車隊のジープ搭載型無反動砲を入れ替える形で4個対戦車小隊に完全配備、
64式対戦車誘導弾が配備され始めると次第に運用は
師団対戦車隊の4個小隊中2個対戦車小隊→普通科連隊普通科中隊の対戦車小隊無反動分隊
→末期には対戦車小隊の隷下2個対戦車分隊のうち1個分隊に配備され、
主に対機甲戦闘の他に遠距離からの陣地攻撃などに用いられていた。
ジープなどの非装甲車両に無反動砲を搭載した対戦車車両も存在するが、
装甲車両としての自走無反動砲は、60式とアメリカのM50オントス自走無反動砲(無反動砲6門搭載)しかない。
2008年3月31日に北海道の真駒内駐屯地に配備されていた車輌の退役をもって、全車が退役した。






M42ダスター自走高射機関砲
M42ダスター自走高射機関砲(M42 40mm SPAAG "Duster")は、
アメリカ合衆国で開発された自走式対空砲である。
"Duster"とは「掃除人」もしくは「(掃除用の)はたき、雑巾」の意。
M42はM41軽戦車の車台に新造された車体上部、全周回転可能な屋根の無い
オープントップの砲塔を載せ、ボフォース社の設計をもとにした連装の40mm機関砲を装備している。
40mm機関砲の照準は光学照準のみで、給弾は四発入りクリップを使用、一門当たり毎分120発の射撃が可能だった。
車体前部に操縦士と車長兼無線手が乗り、照準手、射撃手、給弾手二名は砲塔に配置されている。
車体後部にエンジン及びトランスミッションが配置された後輪駆動形式で、転輪は五個、上部転輪は三個の構成となっていた。
ベトナム戦争ではもっぱら地上掃射に活躍し南ベトナム解放民族戦線にはB-52戦略爆撃機の絨毯爆撃と共に恐れられていた。
アメリカの他、オーストリア、西ドイツ、日本、中東各国に供与された。








75式自走155ミリ榴弾砲
アメリカ合衆国より寄与されたM44 155mm自走榴弾砲の後継として開発され、1975年に制式化された。
1969年より研究開発が行われ[3]、1973年より実用化試験が行われている。
1975年に制式化され、1977年より調達が開始されている。車体を三菱重工業、主砲と砲塔を日本製鋼所が開発担当した。
最終調達の契約は1985年度[4]。全部で201両[1][3][4]が生産され、教育部隊の他、北部方面隊の各師団特科連隊に配備されていた。

設計
車体後部に密閉式の全周旋回砲塔を有し、車体・砲塔はアルミ合金溶接構造である。
乗員は車長、砲手、装填手2名、通信手、操縦手の6名。
日本製鋼所製の30口径155㎜砲を装備しており、自衛用として砲塔上面右側に12.7mm重機関銃M2を1門装備する。
当時としては珍しい自動装填装置を備えているのが特徴で、回転ドラム式の弾倉により弾体の機械装填を行う。
ただし、装薬については砲弾装填後、手動で装填される。これにより最大で毎分6発の砲撃をすることができる。
回転ドラム式弾倉には、9発の砲弾が装填でき、これが2基あることから、18発分の自動装填が可能である。
ドラム外に10発の砲弾を搭載していることから、砲弾は28発、同様に装薬も28発分搭載している。
本自走砲用に「75式155mmりゅう弾」が開発されており、最大射程は19,064m。砲弾の生産は1990年まで行われていた。
同時期に74式自走105mmりゅう弾砲も製造され、当初は直接支援用に105mmを、全般支援用に155mmを割り当てることを考えていた。
しかし、105mm砲は時代の趨勢上性能不足であり、74式は20両で調達中止となり、1970年代後半には両方とも155mm砲で統一することになった。
砲を換装した改良型も検討されたが、開発には至らなかった。
後継として、より大型高性能の99式自走155mmりゅう弾砲が開発され、2012年(平成24年)頃に退役予定となっていたが、
99式の調達の少なさから退役は延ばされていたが、2016年(平成28年)に全車退役した。









ウィキに頼りすぎてる感が否めませんが…
ごろんたのうろ覚えの知識をたぐるより(というか知識ない)
ウィキさん情報の方が大変役立ちます〜〜

次回は…だいたい似たような感じです(苦笑
よろしければおつきあいください〜〜

追記:
雪が降ったり、寒かったり暖かかったり、
ちょっと体がしんどくなる気候で
しかもインフルエンザ罹患者が222万人という、とんでもないことになっております。
皆様、くれぐれもご自愛くださいませ〜〜〜


コメント (14)
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