ミリミリなアムちゃん +時々マカロン小隊

自衛隊好きによるまったり応援ブログ
自衛隊ネタ+αのコマ漫画メインに
自衛隊記念行事ルポなどをお届けします

武器学校 土浦駐屯地祭2018  10-3

2019年02月14日 | 陸上自衛隊レポ
皆様お疲れ様で〜〜〜す
まだまだ寒い日が続きますね。
でも時々は、「春?」な空気が漂っていたり。
早く暖かくなって欲しい、イベントシーズン来て欲しい〜〜〜

あ、その前に…早くラインスタンプこさえないと〜〜〜!!
あ、でもその前に検定試験だ…(ガクっ)

さてさて、残りもあとわずか
本日は、旧軍の装備品ならびに鹵獲品となります。
ではドゾ



えっと…左から

手前にいるのが九四式三十七粍砲 
車輪のホイールが、木製とのことです。

九四式三十七粍砲
(きゅうよんしきさんじゅうななみりほう)は、
1930年代初中期に大日本帝国陸軍が開発・採用した対戦車砲(速射砲)。
九四式三十七粍速射砲(きゅうよんしきさんじゅうななみりそくしゃほう)とも呼ばれるが制式名称ではない。
開発当初から発達しつつある装甲戦闘車両への対処に主眼が置かれており、
帝国陸軍初の本格的な対戦車砲として日中戦争(支那事変)・ノモンハン事件・太平洋戦争(大東亜戦争)で使用された。
本砲登場以前の37mm級火砲としては、歩兵砲である狙撃砲や十一年式平射歩兵砲が存在した。
後者はフランスのプトー37mm歩兵砲に影響され、1920年代初期に開発・採用された口径37mmの
歩兵砲であり、直射による機関銃陣地(銃座)撲滅を目的としていた。
十一年式平射歩兵砲は砲身長(口径長)28口径で初速450m/秒と、
比較的砲身が短いため初速も遅かったが、
本砲の使用する十二年式榴弾は当時の装甲車両に対し十分な威力を持っていた

そしてその後ろが
82ミリ迫撃砲(ソ)
ソ連軍の迫撃砲ですね。
94式の鉄板に阻まれてお姿見えませんね…(´Д` )

82mm迫撃砲BM-37
フランス製のブラント81mm迫撃砲Mle27/31の改良型に当たるが、
砲本体の形状はごく一般的なもので外見上特にこれと言って目立つ特徴は無い。
最大の特徴は口径がオリジナルの81mmよりもやや大きめの82mmとなっていることである。
このため、外国軍で一般的に使用されている81mm迫撃砲ではソ連の82mm迫撃砲弾を
鹵獲しても流用できないが、ソ連の82mm迫撃砲は鹵獲した敵の81mm迫撃砲弾を発射可能である。
この特徴は、大祖国戦争序盤においてドイツの8 cm sGrW 34への82mm迫撃砲弾の流用を不可能とし、
ドイツの戦力増強にならないようにすることができた[1]だけでなく、後の冷戦時代でも
これを供与された共産系反政府ゲリラ組織が親米・親西側政府軍から奪取した81mm迫撃砲弾を利用した
弾薬調達を容易とし、ゲリラ戦遂行に対する大きな一助となった。
しかし、大祖国戦争序盤の劣勢時にはかなりの数の「砲」そのものが接収され、
BM-36には8.2cm迫撃砲274/1(r)の名称が、BM-37には8.2cm迫撃砲274/2(r)の名称が、
BM-41には8.2cm迫撃砲274/3(r)の名称がそれぞれ与えられ、ドイツ軍によって使用されている。
なお、これらの砲から81mm迫撃砲弾を発射した際の命中率は著しく低下する。
(以上ウィキペディアより出典)

そして右側のは日本軍陸上自衛隊の
155ミリ迫撃砲なんですが
試作ということで制式化なし、そのせいでしょうか資料がみあたりませんでした。

と言っていたら、ありがたいことに〜情報頂戴しました!
毎度お世話になっております。ブログ「薬を飲み忘れないようにしないとね」の掘倫さん
ありがとうございました〜〜〜〜♪

「68式155mm迫撃砲で、
陸上自衛隊が107mm迫撃砲の後継で神戸製鋼所が作ったみたいです。
口径:155mm
砲身長:1,365mm
重量:900kg
最大射程:6,000m
制式化されたものの量産されず終わったみたいです。
そりゃこのスペックで120mm迫撃砲RTと比べたら…
重いし射程半分だし。
今じゃ120mm迫撃砲RT大好き陸上自衛隊ですよね〜」

とのことです〜

では次!

120ミリ迫撃砲(ソ)
(写真のものと内容があっているか、ちょと自信がないのですが…)
1938年に正式採用された、1941年には3000門が配備されていたという。
後にА. А. Котова の手で再設計された物が後継の120mm迫撃砲PM-43として採用されている。
独ソ戦でソ連側は多数を使用したが、序盤の劣勢期には多数がドイツ軍に鹵獲されている。
ドイツ軍はコピー品の12 cm GrW 42まで製造するほどにこの迫撃砲を重宝した。
大戦後は東側諸国に供与され、ベトナム戦争でも南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が
アメリカ軍や南ベトナム軍の野戦部隊や基地の攻撃に使用している。

重量:280 kg
砲身長:1,862 mm
仰角:45°~80°
水平射角:6°
初速:272m/s
最大射程:6,000m
連射速度:10発/分
砲弾重量:16 kg

(以上ウィキペディアより出典)





それではお次です…

M27型105mm 無反動砲(米)
105mm口径のM27は第二次大戦には間に合わず、戦後に完成して朝鮮戦争に投入され、
後に改良されてM40 106mm無反動砲となった。
…ということで、これ以上の資料はなかったです〜





次にいきます…





これまた資料が見つからない〜〜〜(泣)
仕方がないので次へ

45ミリ対戦車砲(短)(ソ)
う〜〜〜んこれも資料見つからず…砲が短いというのはわかる





お隣におそらく(長)であろう物体がおりました(その向こうはなんだったんだろう…わからん)




では次…

76mm師団砲M1942 (ZiS-3)(
ロシア語: 76-мм дивизионная пушка образца 1942 года (ЗИС-3))は、
第二次世界大戦中にソビエト連邦が開発した師団砲兵用軽カノン砲(野砲)である。
この砲は、ドイツの88mm高射砲と同様に対戦車砲としても高い性能を有していたため、
対戦車砲としての知名度も高い。
1940年、赤軍はそれまで保有していたF-22(M1936) 76mm野砲とF-22USV(M1939) 76mm野砲よりも
軽量かつ低コストな76mm野砲の開発を開始し、翌1941年にはナチス・ドイツが
ソ連への侵攻を開始したことにより、大祖国戦争が勃発した。
当時のドイツ軍の主力戦車であったIII号戦車とIV号戦車は装甲が薄く、
F-22やF-22USVの徹甲弾で十分対抗可能であったが、突然の奇襲と、
大粛清の際に多数の将官、佐官を粛清したことによる戦術の稚拙さなどが
原因で多くのF-22とF-22USVが破壊されるかドイツ軍に鹵獲されて失われた。
赤軍は、部隊再編成のために補充用の野砲を緊急に多数導入する必要に迫られ、
さらに、戦争序盤でT-34やKV-1の重装甲に手こずったドイツが、
装甲と火力に勝る重戦車を開発して投入することも時間の問題と考えられた。
ZiS-3は1941年に完成したが、赤軍はF-22USVの増産を優先させる方針をとったため、
ZiS-3はトライアルも行われないまま公式には製造中止とされてしまった。
しかし、F-22USVはコストが高く(ZiS-3の1.5倍)、砲架の制作過程も複雑だったために
なかなか数がそろわなかった。このため、スターリンはドイツ戦車に対抗可能なあらゆる砲の
生産を許可するとの指令を出したので、ようやく日の目を見ることができた。
1942年2月には5日間のトライアルが行われ、それをほぼ完璧にクリアしたZiS-3は、
1942年型76mm師団野砲として制式採用された。
(以上ウィキペディアより出典)

内容が違っていたら御免なさい…(違っていたら教えてくださいね)






さていよいよラストにきましたか??
35ミリ2連装高射機関砲 L-90

旧軍でなく自衛隊の装備品です
スイスのエリコン社により開発されたGDF-001 35mm連装機関砲の日本向け改良版で、
エリコンKDB 35mm機関砲と、レーダー制御の射撃管制装置によって構成される。
陸上自衛隊では1969年に採用され、製作は砲部を日本製鋼所、射撃管制装置を三菱電機が、
それぞれエリコン社とともに担当した。なお、L-90とは90口径を意味する。
(以上ウィキペディアより出典)





第二次世界大戦の頃の陸上部隊に配備された高射機関砲は、射手の目測照準に頼った射撃で、
また、射撃方向・角度の調整もほとんどが人力で行っていたため、高速の目標に対しては命中率が低く、
余り効果的な兵器とは言えなかった。さらに大戦後、ジェット機が主流となり航空機の速度が増すと、
もはや目測照準の高射機関砲では対処できなくなった。
そこで、従来の高射機関砲のシステムを改め、L-90では新たに開発されたスーパーフレーダーマウス(英語版)と
呼ばれる「レーダー・射撃統制装置」と「光学目標指定機」とで構成された射撃管制システムを機関砲に組み合わせた。
これらの新システムで制御されたL-90の対空射撃の命中率は当時としては驚異的であり、陸上自衛隊の高射特科部隊の代表的火器となった。
エリコン社は零式艦上戦闘機に搭載された九九式二〇ミリ機銃の開発元である他、自衛隊における「高射機関砲」という
制式名称・呼称自体も大日本帝国陸軍時代からそのまま受け継がれたものであり、旧軍時代より日本とは関係が深い。
また、87式偵察警戒車に搭載されているエリコンKBA 25mm機関砲も同社製で、量産にあたってはいずれも
日本製鋼所がライセンス生産を行っている。本機関砲の給弾方式(クリップで結合した弾薬を固定式弾倉に並べて装填)は、
口径35-57mm級の多くの対空機関砲や、旧軍の十一年式軽機関銃(携帯火器としては珍しい)が採用していた方式と同様である。
(以上ウィキペディアより出典)

…ということでございました。
不確定情報ばかりですみません。
新情報入り次第、補足していきたいと思います。

では〆の画像を…



後ろからみるとこんな感じでした〜〜〜
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする