
今日もいつものように、近所の幼稚園から太鼓と鐘の音が鳴り響いている。運動会の練習だ。
もう、しばらく太鼓の音はいいや、と思う。1年くらいは。
でもこれも、6日までのがまん。なぜなら、運動会の本番が6日であることがわかったから。
前も書いたかもしれないけどその昔、
私の小学校の運動会では、出し物のひとつとして「大四日市まつり音頭」という盆踊りを踊った。
当時、私の小学校近くの住民は、運動会前になると毎日毎日、大四日市まつり音頭を聞かされて、
さぞかしうんざりしていたに違いない。と、いまになって初めて思い至った。
校庭をぐるりと全校生徒が輪になって、別に浴衣に着替えるわけでもなく、
白い体操服に紺の短パンで、盆踊りを踊る。
しかも運動会なので「盆」じゃない。
四日市市民たるもの、「大四日市まつり音頭」を踊れなくてどうする。 そんな無言の圧力か。
全校児童が体操服で踊る「大四日市まつり音頭」、観ている父兄もべつに嬉しいとか、
「これはシャッターチャンス!」とか、なかったんではないかと思う。
けどその甲斐あって、大四日市まつり音頭、卒業生は全員まちがいなく踊れるだろう。
でも大人になって、大四日市まつり音頭を踊る機会は意外になかった。
地元を離れてしまうと、もっとない。
でも子供の頃に体で覚えたことがらは、どんなに時間が経っても忘れないものだ。
いまになると、そういう地元のコミュニティに自然と組み込まれていた子供時代を
なんと恵まれて幸せだったことかと懐かしく思う。
ところで、地元の盆踊りでは、大四日市まつり音頭と並び、東京音頭と「炭鉱節」も必ず流れた。
「月がでたでた 月がでた あヨイヨイ ミイケタンコーオーの上に出た
あんまり煙突が高いので さぞや お月さん けむたかろ」
私が育ったところには、日本屈指の石油コンビナート群が聳えたち、煙突がたくさんあったので、
この唄は地元のものだと信じ切っていた。「ミイケタンコーオー」が三池炭鉱だと知らなかったから。
四日市の民謡じゃなかったと知って、なんとなく「負けた」という気がしたものだった。
いま聴こえている太鼓と鐘の音も、きっと熊本の子供たちにとっては、
体に染み込んで、刻み込まれた記憶となって育って行くのに違いない。
先月みた、情熱的な藤崎宮祭りを思い出しながら思った。
隣町の
祇園太鼓や盆踊りの太鼓の音がかすかに聞こえる
もう居ても立ってもいられなく
父親にせがんで連れて行ってもらったものです
あの近辺の盆踊りは調子のいい「日光和楽音頭」だった
懐かしい
盆踊りの太鼓の音には
今でも心がうきうきします
すずめも東京音頭や炭坑節は学生の頃毎年踊ってました
幼稚園の子供たちには心の宝物になるでしょう