安楽死という重いテーマの事件がありました。治癒の見込みのない患者のいる家族の心労ははかりがたいものがあります。病院というのは情報を知るものが非常に限られ、それがよい場合も困る場合もあるのですが、密室での医療行為ととらえられることが少なくありません。
患者の意志を尊重するとか、家族の思いが患者本人と一致するのかは本当のところわからない問題です。治癒不能とわかっていながら経済的に相当負担なことをしなければならないこともあるでしょう。それを当然の行為とみるのか、「わらにもすがる思い」なのかは外からはわかりません。
でも、自分がそんな立場にもしなってしまったら、外に向かってはこう言うと思います。
そっとしておいて、心の中に踏み込まないでください、と。どんな結果になっても、苦渋の選択の結果なのですから。そして評価は時代とともに変わっていくでしょう。
寝たきり老人などの世話は、(亡くなって)「ほっとしておられますよ」という地域の人の目が語っています。他人が家族と同じ目で物事を見るのは不可能ですね。
患者の意志を尊重するとか、家族の思いが患者本人と一致するのかは本当のところわからない問題です。治癒不能とわかっていながら経済的に相当負担なことをしなければならないこともあるでしょう。それを当然の行為とみるのか、「わらにもすがる思い」なのかは外からはわかりません。
でも、自分がそんな立場にもしなってしまったら、外に向かってはこう言うと思います。
そっとしておいて、心の中に踏み込まないでください、と。どんな結果になっても、苦渋の選択の結果なのですから。そして評価は時代とともに変わっていくでしょう。
寝たきり老人などの世話は、(亡くなって)「ほっとしておられますよ」という地域の人の目が語っています。他人が家族と同じ目で物事を見るのは不可能ですね。