自分で決めたこととはいえ
ゆれてない、とはいいきれず
正しいのか正しくないのかもわからず
くりかえし思い出しては
あぁ、とかんー、とかねぇ、とか言葉にならない調子。
泣いたりすることはほとんどなくなってきたけど
どうなんだろうなぁ、と車を走らす方向を急に変えたくなったりする。
なるようになるから前を向こう、と決意したつもりの自分は
いつも曖昧さをこっち側にひきつれたまま。
それは誰かを好きになった、という跡。
走らす車も壊れた今日、アンテナをどこへ向けるかまた探す。
とまらない。とどまらない。
理解すること
感じること
染み付いた習慣
思うこと
理想や願望
おこっていること
意志
ひとつの身体の中にある矛盾
誰かを傷つけるということはそれを背負っていかなければいけないということだろう。
大きく描いても、できることはそれなり
現実の自分の至らなさについて考える。
大切なひとたちからのメールや電話
あのこやあのこからのハガキ
海をこえてのおたより
交差点ですれ違ったMちゃんとのひとことふたこと
会社のお客様とのおはなし
日々の光
秋の空模様
温泉
家族の笑顔
大好きな作家さんの日記と小説
やさしい音楽
睡眠
ひとつひとつに感謝します。
自分が生きていること、生きていくことを身体に感じさせる時間。
さぁ、明日はハナレグミのライブだ!
ここ数日のことでいろいろ考える。
両親の立ち振る舞いだとか、ばぁちゃんの気丈さだとか。
生きるってなんだろうなんて度々もそもそしてるくせに
実際、命の淵みたいなところにちっとも行ってないことを知る。
漠然としすぎている。
おわりがあるのになぜはじまるんだろう。
そもそもおわりっていう考え自体が違うのかもしれない。
らくになったんだ。でもみんな悲しい。だけど越えようと支えあう。
人はそれを乗り越えるために生きているのかと思うと複雑だ。
ただ、それだけ。ここにいるだけ。こわくない。でもとまらない。
どうとらえたらいいのかなぁ。
人生はJOYだ。そう思うことだけが反逆なのだと思う。
というばななさんの言葉にぐぐっとなる。
この想いは果てしない闇を抱え、だけど強い輝きを放っている。
生きることはそういうことなんだろうか。
わたしのまわりの大切な人たちがゆっくり、穏やかに眠れたらいいなと願う。
なにが正しくてどれが一番よかったか、なんて
いくら考えたってわからないことだ
誰も責めず、自分を責めず
ただその時に誰かが誰かを想っていたということだけ
その時の感情ただそれだけ
おもいやる気持ちがふくらんだやさしいやり方だった
たくさんの人の
やるせなさやもどかしさややさしさのような曖昧な温度だけが残る
みんなが抱えている想いのねっこを忘れないでいよう
生きているかぎり離れられないこと
血や命について
このところ日記がもやっとしてるので
いろんなともだちから大丈夫?とレンラクをもらう。
その反応が欲しくて書いているわけではない(つもり)だけど
なんと幸せなことか、と感じる。
みんなありがとう。
私は元気です。
食べたり笑ったり、寝たり、汗かいてちゃんと生きています。
さっき女子学生が2人で自殺を図ったという記事を読んだ。
こんなニュースを耳にすると
私なんて他人で何もできないくせに胸がぎゅっとなる。
2人で死を選んでしまうなんてやるせない。
違う命を感じられるならその手と手をつないで
足をとどめてどうか光へ向かって生きてほしい、と思う。
そんなのきれいごととわかっていながらそれでもそう思う。
命そのものが尊い光であると信じたい。
いつか必ず死ぬ日がくるのに、人はなぜ生きるのだろう。
禅問答をくり返しながらも。
充電未完了のままに動いて、すぐにまた・・・
みたいなくり返しだと気付く。
こういうときはやっぱり充電をちゃんとしなくては。
でもそれをすればまたちゃんとフルにして動けると知っているから
あの日に見たひまわりはもうただぐったりうつむいて
だけど記憶や写真の中ではちゃんと本能を知り上をむいている
足もなおったしそろそろ温泉生活もフッカツさせようかな。
体内の循環をよくして、内側に溜めない生活。
この夏、秋はめでたいことがてんこもり!
そのためにも今、のんびりしておこう。
よし、9月はのんびりする。
そして少しずつ創作について見つめなおす時間をつくろう。
とうのだ!
ともちゃんありがとう。