昨日UPした『サクラ革命』も好きな人はガチでやれば良い。
まあ、オレは暇潰しにしかやらないけど、ガチにやる気はない。
まあ、やることがあるならまだ良い、やることがないと少しのことで躓いてしまう。
身内ネタはしたくはないがうちの姉がそれに当たる。
殆ど無趣味な上に今はこんなことを言ってはなんだが昨年11月に交通事故に遭い、頭を負傷してから体調が思わしくないだけでなく心までもが弱りきっている。
「何をしても虚しい」状態で年老いた母やオレに縋ってくる。
すぐに「死にたい」と言う、鏡音リンの『ロストワンの号哭』状態である。
いや、カラオケでいい歳して歌うのだがボカロ曲は好きなんだし年齢は関係ないじゃないか。
「どなたに伺えば良いんですかおいどうすんだよもうどうだって良いや!」とかメタい歌詞が
かなり羅列されてはいるが今の若者のどう生きるべきか?を現す曲だとオレは評価する。
昔は参考にするカッコいい大人がいた、今は亡きオレの父はまさに憧れであった。
仕事は本物のプロ、遊びは豪快、ヒカキンではないが好きなことをして生きる代表みたいな生涯だった。
葬儀の時はあんなに人望があるとは思わなかったし、上司にも頼りにされていた。
まあ、面倒見が良かったし、世話になった人もいたであろう。
まあ、それはさておき、生きるにはその人の生き様がある。
人生とはそれの答え探しかもしれない旅である
躓く時もある、挫けそうになる時もある。
しかし何かに生き甲斐を見つけたり、やりたいことをやったり、仕事と遊びの区別をつけてみんな生きている。
仕事は大切だが、遊びがないと今はやってはいけない。
世の中コロナで揺れている昨今、こう言う時こそ生き甲斐と言うが遊びが必要である
ないとちょっとしたことで挫けてしまう。
確かに体調は悪くても生き甲斐のある人はそれに負けない。
しかし無趣味だったりする人は体調を崩すとそればかりが気になり、すぐに悲観する。
そして自殺願望が起きたりする。悲観ばかりしていたら行き着くところはそれである。
いやオレも自分自身を見失った時期に首吊り自殺未遂をしでかしている。
母が泣いて止めなければ今ここにいない
あわや20の若さで儚く消える短い生涯だったかもしれない。
今を思えばなんであんなことをしたのか分かる
追い詰められていたのと何をして良いか分からなかったと解釈出来る。
まあ、なんだかんだでその時死ななかったから今がある。
確かに今に至るまでは色々なことがあったが、今となってはみんな懐かしい想い出である。
今思うのは微力ながらも人の役に立てたらなあと思う。
思想に強く影響を及ぼしている川内康範氏(1920-2008)の体現した『無償の愛』と『献身して行く気持ち』と『生涯助ッ人』(戒名でもある)である。
まあ、他にも色々思想に影響を及ぼす人は多い
それ即ち会ったことはなくても師匠である。
まあ、拙いまでの弟子だが頑張って微力ではあるが献身したい気はある。
やはり心で負けてはそれは出来ない。己自身の弱い心に負けていてはその先に行けない。
弱い心に負けてしまえばその時点で負けである自分の弱い心に負けてしまえば行き着く先は堕落か死しかない。
最悪の選択肢である自殺は良くない、全てを捨て去るものだからである。
人の寿命はいつ尽きるか分からない、寿命尽きるまで生きるか、それとも自ら死を選ぶかはその人次第。
最悪の答えはなるべくは出したくない。それは
殺人よりも罪が重いから。
殺人も自殺も病であるとオレは思うのだがどうか?
まあ、解釈は人それぞれである。否と言う答えもあろう。
まあ、生き様なんて人それぞれなのだから。