せっせと生活、ときどき読書

牧野富太郎自叙伝

自叙伝、エッセイ、次女鶴代さんの談話の三部構成。


牧野富太郎は植物分類学の父。

牧野以前はシーボルト、マキシモビッチといった植物学者が

日本の植物相(フロラ)を明らかにしつつあったがまだ完全ではなかった。

牧野が日本全国を縦横に歩き

ほとんど完全にしたところにその功績がある。

(以下「」は原文を引用)

幕末に造り酒屋の一人っ子として土佐に生まれ

地元の小学校は中退。

父母に早く死に別れ

勉強しろと口喧しく言うものも

いないのをいいことに

近所の山野で遊び呆け(つまり植物の観察に明け暮れ)

やがて地元の小学校で教員の職を得る。

一方で植物の知識をフィールドのみならず書物などから得るうちに

「明治17年(23歳)にどうもこんな佐川の山奥にいてはいけんと思い、学問をするために

東京へ出る決心をした。」

縁あって東大の研究室へ出入りが許されることとなる。

このときのことを後年牧野は「東大にこわれて」といっている。

本草の書物の頁を繰るうち

身にについていった植物画の超絶的な技量と

山野跋扈するうちに得た観察眼は

東大の教授からみても価値あるものだったに違いない。

「東京の大学の植物学教室は~(中略)~

四国の山奥からえらく植物に熱心な男が出てきたというわけで、非常に私を歓迎してくれた。

私の土佐の植物の話等は、

皆に面白く思われたようだ。

 それで私には教室の本を見てもよい、

植物の標本を見てもよろしいというわけで、

なかなか厚遇を受けた。私は

植物学教室に行き、おかげで大分知識を得た。」

こうして東京と故郷高知を行き来している間、

植物誌を発行したり、

高知では西洋音楽の普及のためにオルガンを寄贈したりしている。

音楽に熱を入れた時期があったとは意外だったけれど、

もしかしたら耳が良かったのかもしれないし、

植物を観察するうちに、

内包された規則性のようなものに

敏感になっていった人なのかもしれない。

このように出入り自由だった植物学教室だが

いつからか教授の不興をかうようになってしまい、

出入り禁止になってしまう。

思うに

天才の常として、

牧野先生はちょっと空気読まないところがある。

「・・・私は大学の職員として松村氏の下にこそおれ、

別に教授を受けた師弟の関係があるわけではなし、

氏に気兼ねする必要も感じなかったばかりではなく、

情実で学問の進歩を抑える理窟はない、と私は相変わらず盛んにわが研究の結果を発表しておった。それが非常に松村氏の忌諱(きき)にふれた…云々」と、こんなかんじ。

ぐいぐい境界を越えてきそうです。

また、関東大震災では

「震災の時は渋谷の荒木山にいた~中略~

何といっても地が四五寸もの間左右に急激に揺れたのだから、

その揺れ方を確(しっ)かと覚えていなければならん筈だのに、

それを左程覚えていないのがとても残念でたまらない・・・・・

もう一度生きているうちにああいう地震に遇えないものかとおもっている。」

などと書いておられる。

当時被害に遭った人などはこれを読んでどう思ったのだろうか・・。

興味の湧くところではある。


でもやっぱり天才だから、

捨てる神あれば拾う神あり。


様々な人に助けられ、

以後78歳で東大の講師を辞するまで、研究一筋。

生活苦から一時待合まで開くことになっても

植物への愛情と研究心は衰えなかった。


混混録と題したエッセイの始めに

植物学者御大、伊藤圭介に対して手厳しい言葉を並べている。

「伊藤先生が九十九歳の長寿を保たれしは

まず例の鮮(すく)ない芽出度い事である。

しかるに先生の学問上研鑚がこの長寿と道連れにならずに、

先生の歿年より遡りておよそ四十年程も前にそれがストップして、

その後の先生は単に生きていられただけであった。

学者はそれで可(い)いのか、私は立ちどころにノーと答えることに躊躇しない。

 学者は死ぬる間際まで、すなわち身心が学問に役立つ間は日夜孜々(しし)としてその研鑚を続けなければならない義務と責任がある。~中略~

自分は無論先生の比類稀な長寿を祝する事には異存は無いが、しかし一面早くも研鑚心を忘れた先生を弔する事にも敢えて臆病では無いのだ。」と。

この苛烈なまでの厳しさが案外富太郎の本質の一を成しているのではないか、と思う。

その言葉通り

高齢になっても仕事への意欲は衰えることがなかった。

肉体的にも恵まれていた。

86歳になっても画を描くのに老眼鏡は不要だったという(「混混録」)。

晩年になるにつれ上り調子で、その業績も認められることが多くなり

幸せな一生だったのではないだろうか。

植物学者の特質とはどんなものかという興味で読み始めたけれど、

図らずも忘れかけていた明治の人の一徹さに触れられた本でした。

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