
蘇州夜曲(二階堂和美)
寒山寺普明宝塔 寒山寺(ハンシャンスー)には、清朝末期鋳造された中国製造の鐘と日本製造の鐘と2つの鐘があります。日本製の鐘には日本初の内閣総理大臣・伊藤博文の銘文が漢文で鋳されています。「姑蘇寒山寺、歴劫年久、唐時鐘声、空於張継詩中伝耳。嘗聞寺鐘転入我邦、今失所在、山田寒山捜索尽力、而遂不能得焉。乃将新鋳一鐘齋往懸之。伊藤博文」。有名な寒山寺を歌う「蘇州夜曲」は、戦前の中国において最も流行した「日本の歌」の一つでしたが、戦後は1980年頃まで中国では禁歌とされました。1894年の日清戦争後の講和条約(下関条約)では、日本は台湾を植民地として併合した他に、西欧列強の例にならい、蘇州など中国の4カ所の地に「租界地」なる半植民地地帯を設けて日本人定住が実施されました。
(日本では、寒山寺は古代漢詩の張継「楓橋夜泊」でも有名です。試験に落ち失望し国に帰る船上の明け方の情景を詠んだと言われます。 月落ちて烏啼きて霜天に満つ 江楓漁火は愁眠に対す 故蘇城外の寒山寺 夜半の鐘声客船に到る)
月落烏啼霜満天 江楓漁火對愁眠姑 蘇城外寒山寺 夜半鐘声到客船
戦前の歌謡曲・蘇州夜曲は戦後も日本では多くの歌手に様々に中国情緒も演出されて歌い継がれ、ウーロン茶のCMにも使われた人気歌です。
タレントや派手な演出やゲームソフトも、政治に無関心な大衆を選挙誘導すると言う点でやはりマインドコントロールの一種なのでしょうか。日本では、スマホの「あべぴょん」も大人気な安倍首相が、ついに“封印”を解いたと報道されています。P
「われわれは9条を改正し、その(自衛隊)存在と役割を明記していく。これがむしろ正しい姿だろう」
安倍首相は、7月15日放送の長崎国際テレビのインタビューに応じ、憲法9条改正の必要性を明言しました。これまでは、憲法改正の発議要件を緩和する96条改正に意欲を示していましたが、世論調査で「自民圧勝」・自民党の歴史的大勝が伝えられたため、急遽争点を切り替え“平和憲法改悪”「9条改正・国防軍」の自身の信条を明言して選挙結果で信任を得たという体裁を取り繕うようです。やはり、人、物、金を圧倒的に支配している自民党がネット解禁選挙でも圧倒的な完全勝利を収める結果となることがもう事前に予測報道されています。
今日、安倍内閣が高い支持率を得ている理由のひとつは、その演出手法をアベノミクスによる「景気回復」の一点に絞っているからだとも言われています。実際の安倍内閣の目標はネジレの解消という完全支配で「アベノミクス」の承認以外にも「憲法改悪」の承認や「原発再稼動」の承認を初めとした国民に対峙する安倍政権の重要な争点は、表面的に隠されていると言われます。かつては、自民党政治への復帰などありえないと言われた日本政治でしたが、アベノミクスにも象徴される演出効果で見事に返り咲いたと言われています。
しかし、自民党の石破茂幹事長が、TBSのBS番組(4月)で自民党の憲法案に規定された「軍法会議」について、これは「(国の出動命令に従わないものに対し)従わなければ、最高刑に死刑がある国なら死刑、無期懲役なら無期懲役、懲役300年なら300年と過激な説明をしたことにも象徴されるように、返り咲いた後の日本は、中国もに負けない統制大国を目指して行くようです。P
一方、中国の民衆統制機関として悪名高い、労働教養ですが、ネットでは、直訴の母の勝利が話題です。
湖南省の唐慧さんが、「永州市労働教養委員会」を相手に訴訟を起こして案件で、同省高級人民法院は7月15日、唐さん勝訴の判決を下し、被告側に慰謝料などの支払いを命じました。(しかし、書面による陳謝を求める唐さんの訴えは退けられたと言います。)
唐さんの娘は2006年に当時11歳のときに集団レイプされた上に100回以上の売春を強要されました。逮捕された犯人は、2人が死刑、4人が無期懲役、1人が15年の懲役刑に処されました。
しかし、母親の唐さんは怒りが収まりません、犯人への量刑は軽すぎるとして当局への陳情を繰り返してきました。
2012年8月、永州市労働教養委員会は、母親の唐さんの怒りの陳情を「社会秩序をかく乱」するとの理由で、突然1年半の労働教養を唐さんに言い渡しました。理不尽なこの決定により、唐さんは労働教養所に収監され、1年半の強制労働に従うことになったのです。
この強制労働の決定に対して、中国民衆の怒りがネット等で殺到しました。その結果、労働教養の執行の1週間後には、収監決定は撤回され、その後、労働教養所を出所できた唐さんは、弁護士を通して、永州市労働教養委員会を相手に、損害賠償と陳謝を求める訴訟をこの間起こしていたのです。今回の判決では、唐さんの勝訴が確定しました。しかし賠償金は僅かで文書謝罪もありませんでした。習近平体制の労働教養中止方針は、単なる民衆の批判をかわす演出だったのでしょうか?。(2012年の1年間だけで約6万人が強制教養の強要を受けたとも言われています。)
日本では、中国でも、千与千寻、天空之城、风之谷等の人気の宮崎アニメで知られているスタジオジブリの月刊冊子『熱風』の7月号記事がネットで緊急配信され話題をよんでいます。安倍政権が強い意欲を持って進めようとする「平和憲法」改悪路線に、抗議し警告さえ発しているようです。
クイックジブリHP
1.憲法を変えるなどもってのほか(宮崎駿)、2.9条世界に伝えよう(鈴木敏夫)、
3.戦争は怖い(中川李枝子)、4.60年の平和の大きさ(高畑勲) 等、シブリのメンバーの平和への思いを綴ったエッセイ集です。
7月20日に公開の新作アニメ「風立ちぬ」に向けたピッタリな演出であると言う人もいますが、今日の右傾化が進んだ閉塞下の日本社会では、とても勇気のいった演出行為だと思います。
戦後も、中国の歌と勘違いする日本人が多いのですが、戦前の日本映画の歌です。日本は当時、中国を列強の半植民地時代の地域呼称「支那」と称して、清国から辛亥革命で誕生した新生「中国(中華民国)」の呼称を外交上認めなかったため、「支那」と呼ぶことは、「中国」に対する侮辱的な意味を持ちます。(蒋介石は対日言論集のなかで「彼ら(日本人)は中国を支那と呼んでいる。この支那とはどういう意味であろうか。これは死にかかった人間の意である」とまで述べていました。)
蘇州夜曲も日本映画「支那の夜(春的夢)」の挿入歌であったことから戦後は禁歌扱いされたようです。
映画「支那の夜」は上海を舞台とした日本青年と中国人女性との恋物語です。
中国娘(李香蘭)は日本軍の軍事攻撃に怒りを感じ 日本青年を最初は憎みます。しかし、いつまで強情を張るんだといって日本青年が平手打ちで中国娘を殴ると、急に中国娘は日本青年を慕って恋するように変わります。中国人にとっては、軍事侵略者日本の青年が暴力で中国娘を慕わせてしまうこの日本映画のストーリー自体が中国民族の屈辱以外の何ものでもないと非難する人も多いようです。戦前は渡辺はま子と霧島昇のデュエットの日本のヒット曲で、映画 「支那の夜」では 「中国人」李香蘭が日本語で歌いました。
今日の日本では侮蔑の由来すら知る人は少なく、水の都・蘇州の自然と異国への憧憬のこもった中国情緒の歌として広く愛されています。
(遼寧省瀋陽郊外(撫順)に、満州国に渡った日本人の子として生れ中国で育った山口淑子さんは、中国人養女にもなり、中国人・李香蘭として満州の国策映画会社・満映の女優として活躍し、また中国人歌手・李香蘭として戦前の中国で大人気となりました。1944年には「中国を侮辱するような映画に出たのですか。中国人としての誇りを持っているのですか?」との新聞記者の会見での質問に謝罪をして、満映に辞表を提出して中国人としてのプライドさえ守りました。戦後1946年の漢奸裁判では「中国人でありながら中国を裏切った漢奸を裁くことにあるのだから日本国籍を完全に立証したあなたは無罪だ。しかし、一つだけ倫理上、道義上の問題が残っている。それは、中国人の芸名で 『支那の夜』 など一連の映画に出演したことだ。法律上、漢奸裁判には関係ないが、遺憾なことだと本法廷は考える。」と裁判長から告げられています。当時、日本が実質的に中国に侵略するために設立した満州国には、国籍と言うものがなく、満州国に渡った日本人は日本国籍を維持し続けました。)
(李香蘭は文化漢姦? とんでもない!,漢奸とは、中華民族の中で進んで侵略者の手先と なった非国民の裏切者・背叛者のことを表しますが、もともとは、漢民族で、異民族の手先になった者を表わしました。異民族支配の清国では、言ってみれば、漢族は全員、漢奸でもあったのですから・・・。)
新作アニメ「風立ちぬ」は、戦前の時代を描いたものだそうです。ゼロ戦を作った航空技術者「堀越二郎」をモデルにしたアニメと紹介されていたので戦争賛美のアニメなのかと誤解する人もいるようですが、アニメの内容は真逆のようです。今日の危機的な状況下の日本の大人向けのアニメだそうです。
同名の堀辰雄の小説「風立ちぬ」は、ポール・ヴァレリーの「海辺の墓地」の詩の一節から取ったものとされ「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳して詠った堀辰雄は、若いころから死と向き合い、限られた生を精一杯生きようとした作家でした。若くして結核で死んだ婚約者が小説の恋人節子のモデルと言われています。「いざ生きめやも」とは、死に向かう絶望ではなく、余命短い恋人と精一杯生きる決意とも言われます。戦前の若き出征兵士にもよく読まれた小説だそうです。小説「風立ちぬ」や堀辰雄の「菜穂子」もアニメの演出に影響してしている様子です。
一方、モデルの堀越二郎は、エンジンが気に食わなかったので、海軍の方針に反対してエンジンを換えさせたというエピソードもあり、反骨の気概があった、民間人でした。軍に設計者が歯向かうことは、当時では考えられない命がけの行為でした。(しかし、海軍の要請に従い当初の設計にあった燃料タンクや搭乗員の防弾装備については、軽量化をはかり人命を犠牲にしたと言われます。)
ゼロ戦は太平洋戦争における日本軍の最大の功労兵器であり、その技術は現在の日本の技術大国の基礎ともなりました。堀越二郎は東京帝国大学工学部航空学科を首席卒業し、三菱内燃機製造(現三菱重工業)で戦闘機、ゼロ戦、雷電、烈風などの設計の主務者を勤めました。しかし、堀越二郎自身は、その零戦には一度も乗ったことはなかったといいます。(アニメはゼロ戦製造の三菱内燃機製造も戦時中に朝鮮人を強制連行した企業であったことや、アニメが描く関東大震災では朝鮮人大虐殺があったことなどには触れていないとも言われます。)
当初は無敵を誇った、日本のゼロ戦は、軽量のため旋回性能が極めて良く戦闘戦では、当時世界で無敵と言われ、航続距離の長さも群を抜いていました。
しかし、低空飛行が不安定で火を噴いて墜落し易く、日本軍は、搭乗員に落下傘さえも付けさせませんでした。そのため、多くの搭乗員が機体と共に散りました。搭乗員の日本人の人命を日本軍は最初から全く考慮しておらず、やがて日本は物資もパイロットも次第に不足していく一方で、最後は特攻機となって爆弾を抱いて敵艦に突入する道しかなくなりました。ゼロ戦は一機も帰って来なかったのです。
花房姑娘のデュエット演出がピッタリです
人生においても演出はある程度必要です。家庭でも、恋愛でも・・。