1度社会から断絶されるとどん底に・・・
貧困と無縁ではない「引きこもり」の実態
会費5000円も払えない
困窮する「引きこもり」たち
2009年頃から、引きこもる当事者や家族から「生活ができない」といった経済的困窮への悩み、生活保護の申請に関する相談が、日に日に増えてきているという。
とくに、当事者が35歳以上のケースでは、こうした貧困に関するものが多く、社会への不信感や絶望、怒りなどを切々と訴えてくる。
こう最近の状況を明かすのは、10年余りの引きこもる生活を経て、自ら引きこもり支援の“居場所”を立ち上げた、京都市の梅林秀行さん(36)だ。
「引きこもった本人の目線を大事にしたい」との思いから、08年10月、活動を支援する会社経営者が好意で提供してくれた京都市南区の作業所に「京都ARU(アル)」(代表・田中稔、Eメール:kyotoaru@gmail.com TEL:075-661-2088)を開設。現在、そんな居場所のスタッフを務める。
同会の会費は、月額5000円。同業の民間支援団体に比べても、格安なほうだと思われるのに、「経済的にしんどくて、支えきれない」といった相談が目立つようになったという。
「リーマンショック以降、急速に経済状況が悪化しました。団塊の世代のボリューム層が、一気に離職した影響もあるようです。家族自身が定年退職や給料の減少、リストラなどの理由で、たとえ当人のキャリア形成を支援するためであっても、これまでのように、経済的な支援ができにくくなっているんです」(梅林さん)
引きこもりは、貧困と無縁ではない。基本的には、仕事をしていないからだ。
何らかの精神疾患を抱えていれば、医療費も増大していく。引きこもりという状態に入ることによって、支出は増えることがあっても、収入が増えることはない。
引きこもりは、セーフティネットの枠外にいる。貧困は、構造化されているのだ。
「貧困と経済的困窮の解決は、良くならない状況からのスタートです。この視点で、これまでの引きこもり支援は、なぜ語られてこなかったのか。引きこもりにどう対応すべきかの問題は、貧困や経済的困窮といったテーマにデザインされていなくて、解決に向けた選択肢を持てていなかったのです」(梅林さん)
なぜなら、引きこもり支援は、不登校支援の延長として成立したいきさつがある。また、家族同士の家族会を母体に、草の根的な引きこもり支援がスタートした。梅林さんは、「貧困がテーマ化されにくかった事情の1つではないか」と考える。
**********************************************************************************
身体を壊しても休めない・働くことは“地獄”と感じる日々
かつて梅林さんが引きこもったのも、18歳のときで、不登校の延長組だ。大学に入学したものの、1人暮らしが不安で、新しい環境になじむことができず、SOSも出せなかった。当時は引きこもりという言葉もない時代。自分がどういう状態なのかもわからなかった。
家ではほとんど寝ているか、本を読む毎日。初めの頃は「どうしたら引きこもりから脱せられるのだろうか」と思っていた。そのうち「どうしたら死ねるのか」ばかり、頭の中で考えていたという。
授業の単位数もクリアできず、8年居続けた上に、除籍処分をくらった。そのときに「働かなければ」と思った。
そこで、東京都内の飲食店で1年間働いた。ただ、その店は、会社化されていなくて、社会保険がなかった。しかも、給料は、手取りで13万円。物価の高い東京で生活しつつ、社会保険料や年金は、その中から支払わなければならない。
毎朝6時頃に出勤して、退社は午前0時過ぎ。毎晩、東京と神奈川県の県境を流れる多摩川を超えるあたりで、午前1時に差しかかる。そして、休日もない。
帰宅すると、食事して、風呂に入り、就寝するだけ。それ以外は職場で、立ち仕事を続ける毎日。
平日より少し早めに帰れる土曜日、自宅で午前0時から始まる番組『スーパーサッカー』が観られると、「今日は早く帰れたなあ」と思う。もう壊れかけていた。
同僚はどんどん辞めていった。しかし、梅林さんは、知人の紹介で入ったので辞めにくく、最後まで残って頑張り続けた。
「息吸って、吐いているだけではないか。それでもお金は減っていくのか…」
友人は、作りようがなかった。同僚は辞めていくし、友人を持とうと思っても、つながる時間がない。雑談時間さえなかった。身体を壊して、4日間休んだ。給与明細を見たら、きれいに4日分の給与が差し引かれていた。身体を壊しても、休めない。働く喜びなんて、とても持てなかった。
「なんで、こんなに死ぬ思いをしてまで、働かなければならないのだろうか」
働くこと自体に、不信感を持った。1年過ぎると、わからなくなった。そして、働くことが嫌になり、恐れを抱く。働かないと、インカムがないことはわかっているし、生活できないこともわかっている。しかし、働くことは、地獄でしかなかった。1年後には、休もうという意識しかなかった。
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貧困と無縁ではない「引きこもり」の実態
会費5000円も払えない
困窮する「引きこもり」たち
2009年頃から、引きこもる当事者や家族から「生活ができない」といった経済的困窮への悩み、生活保護の申請に関する相談が、日に日に増えてきているという。
とくに、当事者が35歳以上のケースでは、こうした貧困に関するものが多く、社会への不信感や絶望、怒りなどを切々と訴えてくる。
こう最近の状況を明かすのは、10年余りの引きこもる生活を経て、自ら引きこもり支援の“居場所”を立ち上げた、京都市の梅林秀行さん(36)だ。
「引きこもった本人の目線を大事にしたい」との思いから、08年10月、活動を支援する会社経営者が好意で提供してくれた京都市南区の作業所に「京都ARU(アル)」(代表・田中稔、Eメール:kyotoaru@gmail.com TEL:075-661-2088)を開設。現在、そんな居場所のスタッフを務める。
同会の会費は、月額5000円。同業の民間支援団体に比べても、格安なほうだと思われるのに、「経済的にしんどくて、支えきれない」といった相談が目立つようになったという。
「リーマンショック以降、急速に経済状況が悪化しました。団塊の世代のボリューム層が、一気に離職した影響もあるようです。家族自身が定年退職や給料の減少、リストラなどの理由で、たとえ当人のキャリア形成を支援するためであっても、これまでのように、経済的な支援ができにくくなっているんです」(梅林さん)
引きこもりは、貧困と無縁ではない。基本的には、仕事をしていないからだ。
何らかの精神疾患を抱えていれば、医療費も増大していく。引きこもりという状態に入ることによって、支出は増えることがあっても、収入が増えることはない。
引きこもりは、セーフティネットの枠外にいる。貧困は、構造化されているのだ。
「貧困と経済的困窮の解決は、良くならない状況からのスタートです。この視点で、これまでの引きこもり支援は、なぜ語られてこなかったのか。引きこもりにどう対応すべきかの問題は、貧困や経済的困窮といったテーマにデザインされていなくて、解決に向けた選択肢を持てていなかったのです」(梅林さん)
なぜなら、引きこもり支援は、不登校支援の延長として成立したいきさつがある。また、家族同士の家族会を母体に、草の根的な引きこもり支援がスタートした。梅林さんは、「貧困がテーマ化されにくかった事情の1つではないか」と考える。
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身体を壊しても休めない・働くことは“地獄”と感じる日々
かつて梅林さんが引きこもったのも、18歳のときで、不登校の延長組だ。大学に入学したものの、1人暮らしが不安で、新しい環境になじむことができず、SOSも出せなかった。当時は引きこもりという言葉もない時代。自分がどういう状態なのかもわからなかった。
家ではほとんど寝ているか、本を読む毎日。初めの頃は「どうしたら引きこもりから脱せられるのだろうか」と思っていた。そのうち「どうしたら死ねるのか」ばかり、頭の中で考えていたという。
授業の単位数もクリアできず、8年居続けた上に、除籍処分をくらった。そのときに「働かなければ」と思った。
そこで、東京都内の飲食店で1年間働いた。ただ、その店は、会社化されていなくて、社会保険がなかった。しかも、給料は、手取りで13万円。物価の高い東京で生活しつつ、社会保険料や年金は、その中から支払わなければならない。
毎朝6時頃に出勤して、退社は午前0時過ぎ。毎晩、東京と神奈川県の県境を流れる多摩川を超えるあたりで、午前1時に差しかかる。そして、休日もない。
帰宅すると、食事して、風呂に入り、就寝するだけ。それ以外は職場で、立ち仕事を続ける毎日。
平日より少し早めに帰れる土曜日、自宅で午前0時から始まる番組『スーパーサッカー』が観られると、「今日は早く帰れたなあ」と思う。もう壊れかけていた。
同僚はどんどん辞めていった。しかし、梅林さんは、知人の紹介で入ったので辞めにくく、最後まで残って頑張り続けた。
「息吸って、吐いているだけではないか。それでもお金は減っていくのか…」
友人は、作りようがなかった。同僚は辞めていくし、友人を持とうと思っても、つながる時間がない。雑談時間さえなかった。身体を壊して、4日間休んだ。給与明細を見たら、きれいに4日分の給与が差し引かれていた。身体を壊しても、休めない。働く喜びなんて、とても持てなかった。
「なんで、こんなに死ぬ思いをしてまで、働かなければならないのだろうか」
働くこと自体に、不信感を持った。1年過ぎると、わからなくなった。そして、働くことが嫌になり、恐れを抱く。働かないと、インカムがないことはわかっているし、生活できないこともわかっている。しかし、働くことは、地獄でしかなかった。1年後には、休もうという意識しかなかった。
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