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どすこいマ~メイド

ハンドメイドの作品掲載や販売のお知らせ、日常のことや息子の成長記録など綴ります。
08/05/12~

こころだけ旅行中。

2010年07月05日 | 考えごと・思いごと
昔、
鞄ひとつでどこへでも出かけられる人の話を聞いたことがある。

身体と身につけてるものと鞄と鞄の中の最小限のものとで
どこにでも移動して、それだけで生活をする。
余分なものは持たない。
行った先がすぐプライベートエリアになる。

身軽さに憧れる。

かと言って今だって何にも縛られてなかったりもするのだけど。


髪を切って身軽になったら、出掛けたくなった。

さよなら、じぃちゃん。

2010年06月02日 | 考えごと・思いごと
何を書こうにも、まずこれに触れないとやっぱり自分の中で先に進んでゆかないので、話題が話題だから躊躇したけど、じぃちゃんの死に向き合って感じた気持ちを書きます。



じぃちゃんが死んだ。
5月5日 子供の日の夜遅くに亡くなった。


その死はあまりに突然で、亡くなる2日前も朝に普通に話したばかりで。
あんなにピンピンしてたのに、まさか死ぬなんて…前日にはみんなで買い物にも出掛けてるし、こんなあまりに突然すぎる幕引きにみんな動揺したし、わたしは、ただただ溢れる涙をそのままじぃちゃんの横でじぃちゃんを摩りながら泣いた。

うつぶせの体はまだ温かく、その日少し具合が優れず、寝巻に着替えるのが億劫で服のまま寝てたじぃちゃん。
まさか本人も、そのまま逝くなんて夢にも思ってなかったと思う。

撫でた体はまだほんわり温かくて、背中も足もぬくぬくしていたから、それが余計に悲しかった。

後悔、虚しさ、落ち着こうとする気持ち、全部いっぺんに頭で混ざり喉の奥がぎゅうっと詰まった。



うちの爺さんは、ちょっと大変な爺さんだった。
頑固者で主張ばかり強く、よその人とも平気で誰とでも喧嘩をして…“昔堅気”と言えば聞こえはいいが、我儘なところも大いにありその度、家族はみんな困ったり気を揉んだりした。


そんな爺さんだったけど、いざ亡くなったら自分の想像以上に堪えてしまって…
暫くは来る日も来る日も悲しくて、何も手に付かない、考えられない、で、家でも泣いたし、道でも泣いたし、職場では泣きそうになるのを必死で堪えた。

帰り道、いつも煙草を燻らせながら立っていた場所にはやっぱりもう姿はなくて、もう二度とその場所にじぃちゃんを見つけることはないんだと思うと胸が詰まりしんどかった。


そういうことなんだなぁ。
今まで当然いた人がある日突然にいなくなる。
当たり前の声も、当たり前の姿も、日常のどこからもいなくなる。
あっという間に焼かれて、あっという間に骨になった。
死ぬってことはこういうことなんだね。
解ってたつもりではじめて実感した。

でも、じぃちゃんからしたら自分の家で、自分の布団の上で、ばぁちゃんの横で逝けたのだから、それは本当、なによりだったと思う。


哀しい、けどため息をついても進んではいかないから、じぃちゃんの命引き継いで、しゃんと生きるからね。
暫くの間、またね、じぃちゃん。

やなことがあったってこんな景色の前ではちっちゃい、ちっちゃい。

2010年03月02日 | 考えごと・思いごと
今日は、疲れてもた~。

ここのところは、息抜きもうまくできるようになり自分なりのOn、Offの切り替えもなんとなくできてたから、そんなに“どすとらいく”の疲労感は感じないでいたけれど、今日は疲れた…。

一日に多くの人と接するお仕事だから、あまり人からの影響を受けないようにしていても、相手にとっちゃなんの気ない言葉に撃たれて撃沈してみたり… それでも、お仕事です。お顔にはちゃんと笑顔です。
うまくいかないときに、昔は自分を責めてた。
でも責めたとこでそっからはなんにも産まれないのよね。
ただ、余計変な気持ちが残るだけ。
自分が納得いく理由捜しはやってる時はいいけど、考えてみたとこでほんとの理由なんて相手じゃないから絶対解んないし。
そもそも、理由なんてはじめっからないかもしれないし。

体力と精神力を無駄に消費するのはやめて、家でたのしくごはん食べて、まったり晩酌をして、ついでに今日一日笑顔でよく頑張った自分を褒めてみます。

そうこうしてるうちに気が晴れてくるだろう。
今日は愚痴の話でごめんなさい。
ここに吐いてしまえば、明日にはどうでもよくへっちゃらになるから!

今日はね、ちびっとね、大目にみてください。

振り返る

2009年12月30日 | 考えごと・思いごと
今年も残すところあと25時間です。
一日と数時間て書くより“25時間”て書くとほんとにあとわずかだと感じます。

2009年は、わたしにとって決断と動き 句切と始まり そんな年でした。
具体的には14歳で劇団に所属して以来ずっとやり続けていた歌の活動をひとつ、今年でおやすみにしたこと。
自分で決めたことだけど、散々悩んで考えてこれが一番いいと決めたことだけど、8月のライブの後はなんだか身体から何か抜けたような感覚になってしばらくは次に向かって邁進というよりは、魂がさ迷ってる感じ、といったら変かもしれないけど、見た目普通に動いてはいるけど身体ごと留まった感覚でいました。
やっと最近ほんの少しづつ、動き出した感じ。
今まで続けていたことをやめて気付いた気持ちとか、見えたものとか。
動きを止めたことでチャンネルが切り替わって違う面に光が照り、同じことなんだけど違う捉え方をしたりとか。
感覚が鋭いと同時期にきっといろんな面を捉えられるのだろうけど、わたしの場合は放してはじめて側面を感じました。
今まで見ていなかったその面を感じれたのも今年おおきく学んだことのひとつと思う。
そして大きく動こうとする時に、必ず誰かの手があった。
掴んでいいよ、と出された手をしっかり掴んで動いた。
そうするとやっとゆっくりと動きだして夢だったことが夢じゃなくなった。
想いを具体化する時、自分もすごく力を使うけどそれだけじゃない。この差し出された手の力でできたこと。これはとても大きかった。
いろんなことを感じ、受け止めて、発信する音がどんどん深くなっていったらしあわせだ。
いつか大切なひとたちにその音を聞いて貰えたらもう、とってもしあわせだと思う。

いっぱいの手を感じた今年。
たくさんの手に感謝。
その恩がえしを考えると多くの大切が傍にあることに気付き、また嬉しくなる。

来年もどなた様にもよい年でありますように。

2009/12/30 智美

hand

2009年11月30日 | 考えごと・思いごと
誰に決められた
形じゃない
無理矢理
押し込めてた
それなのに 虚しさ抱え
意地を張り生きてた

足りないものを数え出したら
きりがないのに
何故 人は
足りないものばかりを
数えたがるの

このこころ
どこへ飛ばそうと
それは自由なの
あなたはあなたの人生を
自由に飛べばいい

微笑みの数
指で数えたなら
両手で納まらないほどに
自問自答 繰り返し
見つけたのは
ほんの日常
ほんの毎日の日常

マイケルが逝く

2009年06月28日 | 考えごと・思いごと
マイケル ジャクソンがこの世を逝った。というニュースが流れ、はじめはガセだと思った。
これまでも重病説などあったけど、その度に跳ね返して元気な姿をみせてくれてたから。
特定死因はまだ解らないみたいだけど、繰り返した整形の痛みどめの薬の過度服用が原因らしいとテレビで言っていた。

なんであんなに整形したんだろう。
ごっとん鼻じゃ駄目だったのかな。
まんまるの顎じゃ駄目だったのかな。
黒い肌のままじゃ、駄目だったなかな…。
誰しも自分の足りないところにはよく目がいくし、『もうちょっと細い輪郭だったらな~』とか『鼻があと少し高かったらな~』とかわたしも思ったりするけど、変えたら自分じゃないな。とも思ったりする。
内面だってそうで、人見知りしないで誰とでもフレンドリーに話せたらとか(笑)、ステージの上であがらずにば~んとやれたら(笑)とか言い出すとキリがないほど思ってたりもする。
でも、そんな部分もわたしだったりして。

彼の抱えてた闇は結局彼にしか解らないけど、人からみての「自分」は自分を食い尽くしてしまうほど重要だったんだろうか。
人間は「見られ方」を多かれ少なかれ気にする生き物だけど、正直なとこ、人の見方って一人ひとりそれぞれの心のフィルターを通して見るものだから10人居れば10人違った見方をする。
みんな、自分の育ってきたなかで培った価値観や物差しで人を計るから違って当たり前。
「そんなもの」だったりする。

ピカソが『わたしの絵を見てどう思うかはお前の勝手だ。』って言ったっていうけど、ほんと、そう。
どう思うのかはそれぞれのこころのみぞ知る。っていうか、人がどう感じるのかは正直未知数でそこを突き詰めて考えだしたらキリがなくなる。
今わたしが、こうやって書いてる文章も読み手によって捉え方は違うと思う。
わたしが日頃書いてる記事も、『なんだか気が抜けたのほ~んとしたことばかり書いて掴みどころがないな』と感じる人がいれば『いや~ このゆるさがいいね』と思って読んでくれてる人もいるはず(笑)

ほんととっても難しいことだけど、日々のほんとちっちゃいことだけど大切なことに目を向ければ、あんな過度な変身願望にこころを奪われなかったように思う。
『わたしはわたし』それ以上でも以下でもない。
うちの母がよく口にする言葉。

遠い国のスーパースターの死に母の言葉の意味を今一度考えた。

キラッキラ

2009年04月15日 | 考えごと・思いごと
走る街を見下ろして
のんびり雲が泳いでく
誰にも言えないことは
どうすりゃいいの? 教えて
急ぐ人にあやつられ
右も左も同じ顔
寄り道なんかしてたら
置いてかれるよ すぐに

嘘でごまかして
過ごしてしまえば
頼みもしないのに
同じような朝がくる

走る街を見下ろして
のんびり雲が泳いでく
だから歩いて帰ろう
今日は歩いて 帰ろう


斎藤和義の「歩いて帰ろう」
むかしむかし大好きだったポンキッキで流れてた歌。
なんて前を向いた歌詞なんだろうと幼いながらに思った曲。
いい歌詞、いい曲は、年齢とか関係なく響くもんなんだよね、きっと。
ストレスなんかな~んにもなかったけど、毎日めちゃくちゃ活発に遊び回ってたけど、それでもこの曲聞くと「あ、また明日も遊ぶぞーっ。頑張るぞー」てさらに元気になれたもん。
大人になった今、歌詞を読み返してみると日常のちょっと苦い部分をリアルに歌ってたりもして、でも暗くなっていなくて、また更にこの曲を好きになった。
斎藤和義って、うまいよね~。さすがです。
人のこころの誰しも抱えてる葛藤の部分をうまく照らして、その葛藤すら「大丈夫さ!」っていい意味で蹴散らしてパワーに変えちゃう。
この人の感受性はすごい。
今さらながら・・・ですが、つくづく思ったりするのでした。


斎藤和義もそうだけど、ポンキッキで流されてた曲って今思えば実は奥深いっていうか、いい歌が多かったように思う。
大江千里の『夏の決心』とか。

♪なつやすみは~やっぱり短い~
やりたいことが~目の前にありすぎて~
オリジナルで~カセット~作って~
ふたりでめざそぉ~
瞬きもでき~ない~場所~

てやつ。
夏休みに入るちょっと前からこの曲が流れ出すと、わくわくしてこれからはじまる夏に期待大、だったのを思い出します。
“オリジナルのカセットを作る”ってとこが昭和を感じさせ、またいい(笑)

今日の空にはぴったり♪

もうすぐ夏だよ~。 わーい
わっくわく~ヾ(´ω`)ノ

命。

2009年02月25日 | 考えごと・思いごと
他が為でもなく
自が為でもなく
咲くその花に
人知れずそっと貰う勇気がある。
命あるもの。
いつかは尽きる。
尽きるその日まで誰でもなく、己は己のまま己の人生を生きる。
人生を活きる。
今日が雨でも、明日は晴れる。
雨降ったのちには、草木は色艶を増す。
水滴をいっぱいにつけた葉は天を仰ぎみて光輝く。
うまくは生きられないけれど、人生はだからこそ輝く。
心の水滴を経験と輝きにしてめいっぱい上へ上へ伸びようとする。
一生懸命。
一所懸命。
今を、明日を、生きる。
他が為でもなく。
自が為に。
胸を張り、いっぱいにいっぱいに、活きるのです。
恥ずかしめはいっぱい体験するがいい。
いつか必ずそれも自を実らすから。
まとまらなくても、必ずいつかはひとつの実になる。
大丈夫。
他が為でなく。
自の為に。
最後は必ず、結び付く。