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どすこいマ~メイド

ハンドメイドの作品掲載や販売のお知らせ、日常のことや息子の成長記録など綴ります。
08/05/12~

「飼う」「飼われる」の関係性について

2013年02月18日 | 考えごと・思いごと
今まで外で働いていたこともあり、何かと慌ただしくて
1月末に離職して保険証やらしなきゃならないいろいろな手続きは、のばしのばしで今日になってしまった。

しばらく自分始動の時間配分で動いていたら、すっかり早起きが苦手になってしまったわたし…
起きられるか心配だったけれど朝一番のバスにも間に合い、市役所の派出所へ・・・。
ほどなくすべての手続きも終わり、帰りはちょうどいいバスがなかったので運動にもなるし歩いて帰ろうと歩く、道すがら…

ある家のガレージ横に作ってある犬小屋らしき小屋に目が止まりました。
鳥が数羽群がっている。
近づいてみると、茶色い物体がころころと小屋近辺にびっちり。
立て床式みたいにちょっと高くなっているところに作ってある小屋の周辺には収まりきらず、
そこから下にこぼれ落ちて、その周りにも茶色い物体がごろごろ。

もう、驚いて、小屋の中もまじまじ覗き混んでしまいましたが、動きは少ないけど犬は生きてる様子。


あれは駄目でしょう・・・


出るものが出てるってことは食べてるってことだから、ちゃんと餌は与えられてるんだろうからそこは安心したけど、
飼うならば最低限の世話はしなくちゃ駄目でしょう。
人間は自分で自分の世話もできるし、口もきけるけど犬や動物は自分じゃ世話もできないし、要望や気持ちも口にできない。
それを汲み取ってあげるのが、飼い主の責任じゃないか。

あれじゃあ、自分の小屋の周りでひなたぼっこしたくても茶色い物体だらけで横に寝そべることもできない。
これじゃ犬だって健やかな毎日を過ごせないよね。
しかも、茶色い物体はカラカラになっているものも多く・・・ということは何日か前のものもあるということ。
じゃあ少なくとも1日以上掃除をしてもらえてないことになる。
ちょっと、ひどいよね。

自分の実家の犬の顔が頭によぎってその子と重なるから更にやるせない思いになった。

うちでも茶色い物体を場所もきちんとできたときには、「えらかったねー」っていっぱい褒めているのに。
それならあの子はいっぱいいっぱい褒められていいべきじゃないか。

飼うならば、最低限の世話と愛情を注ぐべきだと思う。
意識の低い飼い主はぜひ自分に置き換えて考えてほしい。
自分のごはんの隣に茶色い物体がごろごろしてたらどうか。
自分の布団の周りに茶色い物体がごろごろしてたらどうか。

考えてみて欲しい。

想像すればすぐ解ることなのに、その想像すらできないのかと思うと悲しい。
わたしだってたまたま動物がいる環境で育っただけで、犬だって亀だってもともと大好きなわけじゃない。
だけど飼う以上はという意識は持っているし、一緒に生活していれば愛情やかわいさは湧いてくるもんだと思うが。

この記事をどこかで見つけて読んで、
「あ、うちのことだ」と思って今すぐ庭に出て茶色い物体を掃除してあげることを願う。

銀杏のおもいで。

2012年01月23日 | 考えごと・思いごと
感受性が豊かすぎて少し自分でも面倒くさくなる時があるわたしが、年明けからの日々、さらに気持ちが大幅に揺れに揺れてあっちに行きこっちに行き大変な3週間だった。

お正月が過ぎた今月10日。
好きだった爺ちゃんが亡くなった。
その爺ちゃんは、わたしが作るさつまいもの甘煮を美味しい、美味しいと言って食べてくれる人だった。
たまに味を変えて檸檬の薄切りとはちみつで煮たさつまいものはちみつれもん煮を「こりゃひと味変わってさっぱりしてうめぇなぁ」とたくさん食べてくれた。
銀杏の季節には、近所の保育園にあるおおいちょうに軍手とビニール袋とスコップを持って、一緒に銀杏を取りに行った。
その時すでに足ももうだいぶ弱っていて杖無しでは歩けない状態だったけど、気づけば杖がなくてもほいほいと歩き銀杏を取っている爺ちゃんの姿があったりして。

わたしたちが川辺に釣りに行くと言った時、「よしそれじゃあ、いい釣竿をこしらえておくべ」と昔自分が使っていた釣竿を出してピカピカに磨いてくれた。
お正月には掛かり付けの病院から車椅子を借りて、一緒に近所の神社に初詣に行った。
甘酒が好きなわたしがいつ来ても飲めるように、缶の甘酒を何缶も用意していてくれた爺ちゃん。

書ききれないほど、たくさんのことを一緒にし、たくさんの時間を一緒に過ごした。
わたしは帰りがけ「爺ちゃん、またくるよ」っというと「おう、また来いや」と煙草を吸いながら言ってくれるその姿がとても好きだった。

わたしがあそこのうちに行くようになった、5年と数ヶ月の月日、いつもそうしてくれていた。


去年のクリスマス、爺ちゃんが入院してから覚悟はしていたけれど思っていたよりも早い別れにうろたえた。
同時にうろたえていられないほど忙しく駆け巡るように通夜と葬儀が過ぎて行った。
一足先に嫁として扱って貰ったわたしは、泣くこともできないくらい忙しかったけれど、思えば爺ちゃんが「泣くな」と言ってくれていたのかもしれないなぁ。


そして爺ちゃんの死を境に、わたしたちの結婚の話がどんどん具体化していった。
もはや、最後の爺ちゃんのサプライズだったとしか思えないなこりゃ(笑)

まだまだすべて“決まりつつある段階”という状態だが、
いよいよ結婚を夢みるだけではなくなるのだと思うと、身が引き締まる。
いろいろうろたえてばかりいる状態じゃないのだ。
これからは、「お母さぁ~ん」の一声でお母さんは来ないんだ。
すべての決断権も決定権も、わたしに、わたしたちに委ねられるんだ。

そのことがわたしのなかにじわじわと根付きつつあるこのごろ。
「しっかりしなきゃ」と思う。

人に優しくするということ。

2011年12月15日 | 考えごと・思いごと
人に優しくするということ。

誰かに優しくできるというのはとてもいいことだ。
だけど、
それはもしかすると、自分の為になっていないかとちょっと立ち止まる必要があると思う。

誰かの為。
あの人の為。

と、思っていても、
自分の心の奥の奥、
問い掛けてみると、実は自分の保身が働いていたり。

本当に優しいひとは、
自分て優しいなぁ なんて、
思わないんじゃないかしら。


ある方から相談を受けて、
相談内容とは実際関係ないけれど、
ぼんやりそんなことを考えてしまった昨日の晩。



わたしは、
本当の優しさをかけられて背中におっきな手を添えて貰って、
長年ずっと支えて貰っていたことがある。

だけど彼女は自分が支えたなんてことは微塵も感じていないと思う。
勿論、いまも。


励ましているつもりすらなかったかもしれない。

でも、本当の励ましとはそういうこと。



人なんて皆たいてい強くない。
強く見える人は、
頑張って平常を装おうことができる人だから。

誰かに支えて貰いたい。
誰かにわかって貰いたい。

それはたいてい皆おんなじ。
だから人は、
直接的にも間接的にも
人と繋がろうとするんだと思う。


強さを保てる人、
この人こそ、ほんとうに助けが必要な人。

自分が本当にしんどい時、
しんどくない時と同じように、誰かに手を差し延べられるか考える。

この人は、
しんどい時、しんどくない時と同じように、手を差し延べるだろうか。 考える。



目に見えるものは、
一握り。

にゃ。

2011年08月20日 | 考えごと・思いごと
生きてる中で他者と触れ合うのは不可欠で、職場、友達、知り合い、器用にきっとどの顔も使い分けていて、
時々無理がくると苦しくなったり窮屈になったりどれも自分だけどどれも自分じゃない気がしたり。
だけどそのどれもまるごとひっくるめて自分で、そう考えているのも自分で。
何かにはまろうとすると何か少しづつ削って、その削った分どこかで補って。
とても不器用だとおもう。
とても生きるのが下手だと思う。
でもだから、生きていられるんだとも思う。


自分を大切に思ってくれる人はどうしてわたしを好きだと言ってくれるのかがわからなかった。
自分を大事だと言ってくれる友達はどうしてわたしを必要としてくれるのかがわからなかった。
だから「会いたい」と言われてもピンと来なかったし、申し訳ない気すらしていて。
なんでいつもこうなんだろうって自分を責めて。
でもだから歌っていたんだと思う。
だから表現することを続けていられるんだとおもう。
臆病だからこそ、強く表現できていたんだと思う。
歌もそう、全部言葉ではうまく伝えられない思いを乗せて。
すこしでも多く届くように歌ってた。
こころが大きく動く瞬間を、わたしはいつも慎重にしてた。
でもそれは違うんだと今日思った。
こころは大きく揺れ動かすのがこころで、細かい振動を感じるときすこしづつまた育ってゆくんだと思った。
それが今を生きているということなんだと思う。
きれいな言葉もかっこいい言葉もなくていい。
この振動をいくつになっても感じていたいと思う。
これが生きているということなんだ。
変わろうとするたび辛くなるんだからそのまんまでいいんだって、
貰った言葉が胸をぎゅっとしてふわっとほぐす。

ぶつかる度、身を堅くして戦おうとするんじゃなく手を大きく開いておけばそれでいいんだって。
その幸せは埃を被っているんじゃなくて、目に曇りレンズをかけているから見えないのよね。
日常ってそれだけですんばらしいものかも。
そんなことを感じれた、わたしの今日はもの凄くいい日かも。
なんだか幸せって、一番幸せかも。

ほろ酔いまぁむのおもいごと。

心の振れ幅。

2011年07月20日 | 考えごと・思いごと
ある作品にものすごく感銘を受けて、刻む意味で書いた記事です。
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いい映画、いいドラマ、いい小説に触れることは人の心を大きく動かす潤滑油になる。
例えそれがフィクションだって、それからその後を生きてゆく自分の財産になる。

みんな今ある自分の「枠」の中で生きている。
でもその枠がちょっとやっかいで、ふとすると自分で自分の振れ幅を決めていたりする。
大きく振っているように思っても自分が最もらしく決めた枠のその中で行儀よく振り幅を守って振っている。

体裁とか、立ち位置とか、振り子の幅を抑える理由を外から探したくなるけどそれはきっと他ならない自分の目。

いくつからだって人は何にだって本当になれるし、情熱が沸いたら思うままにその灯をおおきなおおきな炎にしてゆけるの。
自分から消す必要なんてない。

できる できない
も結局決めているのは自分。
誰かに何か言われても、思われていようと、おかしいって笑われていても、この人生は笑った人の人生じゃないんだから、迷わず生きればいい。
可能性は誰にだって、無限大なのだから。
人から見たらとっちらかってるように見えたって、あっちにだって、こっちにだって振れていい。

だから、明けてゆくまだ何にも使っていない新しい日を、ちゃんと使ってゆこうと思う。

ごくごく単純なしくみ

2011年04月28日 | 考えごと・思いごと
青い空におおきく伸びて流れてゆく雲を見てると飽きない。

今日みたいな天気の日はつい、駅のホームでも電車を待つ間、上ばかり見てしまう。

今、頭上にあったばかりの雲が携帯の画面に目を移した隙にもう右へ流れていて、今わたしの上に雲はひとつもなくなった。

太陽エネルギーとか、日光浴とか、よく言うけれど、ほんとにそうだなぁと思う。
太陽の光とか風のここちよさとか、そういうごく原始的なものって、どんな心持ちをも晴らす力を持っていると思う。

空は繋がっている。
日本中、世界中、どこにでも。



焦点。

2011年04月17日 | 考えごと・思いごと
焦点の当てかたで浮き立ってみえたり、曇り隠れたり。

この場所から見たらくっきり見えるのに反対側から見たら今度は半分しか見えなくなっちゃったり。

おかしいな。
同じものを見てるのに。


見え方はこころ次第ってことかしら。

「こころ次第」

て聞くと救えない気持ちになるかもしれないけど、

「こころ次第」

結局10人が10人おなじものをすこしづつ違う色で見ているわけだから、おなじ色で見てほしいと願うほうが無謀なんじゃ?

みんなそうは強くはいられないから、せめて近い色に感じていてほしいと願うけれど、
感じる色が違うからみんながみんな特別なのよね。


昔からのともだちの相談を聞きながら感じた気持ち。

でも、相談って、
受けながら答えた言葉って、
人の為に発しながら自分のこころにもダイレクトに響いていたりもして。
自分で言った言葉なのに、人間て、おもしろいなぁ。

結局、正確をにぎるのは自分だから腑に落ちるまで自分とおもいきり闘えばいい。

でも、おもいきり愛でるのもこれはまた自分であれ。





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今できること

2011年03月15日 | 考えごと・思いごと
凄いことになりました。
マグニチュード9,0という日本規模ではじめての大地震がまさか自分のこんな傍でおこるとは、まさか夢にも想定せず、事態をすべて把握するまでものすごく時間がかかってしまった。
当然、電車も止まり、わたしと職場の先輩は、同じ駅で働く彼の車に同乗させて貰い無事に家まで帰ることができた。
家に帰りテレビをつけ、ようやくとんでもないことになっていることを知った。
友達や親戚、あちこちに安否の連絡をした。
幸い、みんな無事で元気な声やメールを受け取ることができ、本当によかった。
家も壁にすこしだけヒビが入り、家電が壊れたりしただけで誰も傷ついたりしなかったからそれが一番のこと。
ただ、一緒に住んでたおばあちゃん鳥と、イモリ2匹は命を落としてしまった。
人の心臓もドカドカ早まってしまうぐらいの揺れだったから、小さな生き物は堪えることが出来ないよ…。かわいそうな逝かせ方になってしまい申し訳なく思う。

地震発生以来、ずっと連絡がとれずにいた福島の親戚とも昨晩やっと連絡がついて向こうの親戚も無事だと解り、やっとすこし安心しました。

混乱が混乱を産んでみんなが不安の渦のなかにいる状態。
今はただ、自分にできる出来る限りのことをし、ひとりでも多くの命が無事であってくれることを祈るばかりです。

被災地の方々に充分な量の救援物資と人の手と、一日もはやくすこしでも安心して眠れる夜が来ることを祈っております。
亡くなられた方々の御冥福を深く、深く、お祈り申し上げます。

今自分にできること、個々がすこしづつでも実践してゆくことがひとりでも多くの命を救うことに結び付くと信じています。
できること、やれることを、わたしたちはしてゆきたいですね。


ちょっとセンチメンタル。

2011年02月05日 | 考えごと・思いごと
夜布団に入ると漠然とした大きな思想が頭をぐるぐる廻る時がある。

だからと言って、何かに悩んでいるとか元気がないとか、そういうことじゃあないんだよ、全然。

ただ、今こうして生きていられるのって本当に偶然で、泣いたり笑ったり色んな感情を持って考えたり動いたりできるのは奇跡中の奇跡で、毎日当たり前に朝がきて夜がくるから気にもしないけど、わたしが今手にできてる時間は限られたとても貴重な時間で、だとしたら好きな人、好きなもの、好きなこと、好きな時間、自分が愛するすべてのものにちょっとでも多く触れていたい。

そういう幸せをちょっとづつ心に貯めておばあちゃんになりたいと思う。

うちの婆ちゃん見てると『こうなれたらなー』ととても思う。

愉しみ上手で、こころに正直。

日本人は勤勉で真面目にコツコツとを美学とする風があるけど、働けるのも生きてるうちなら、遊べるのも生きてるうち。
毎日のなかでどこか“遊べる”余裕も持っていたいと思う。
そんなことを考えてしまうわたしも純度の濃い日本人気質ゆえ、かもしれないのだけど・・・(笑)

大切なものを持てている自分、大切だと感じていられる感情、これをもっと大事にしていこうと思う。


書きなぐる。

2010年11月27日 | 考えごと・思いごと
人のこころのなかは見えないけれど、
本当の優しさに触れると自分が「本当の優しさだ」と思っていた優しさが、偽物だったと即座に気がつく。
人の為だと思ってしていたことがあるときふと、自分の為だったと気づく。
ひょっとすると自分ですら気がつけないその小さすぎる本当の本音を、
考えることなく、感じとることもなく、自分のエゴを優しさだと信じる。

人の言葉のうしろは見れないけれど、
その人が口にする言葉の本当の真意は、自分の目さえ曲がっていなければ、言葉の温度を受け取ることができる。

葉や花はいくらでも飾り立てられる。

人の価値は大概目には見てとれない、
そういう根の部分にあるものだと、わたしは思う。