よりみち神社紀行

神社/お寺ファンの独り言。お参りの記録や神社ネタなどを中心に。お絵かきや、その他色々…

歴博講演会 『 発掘された出雲の神々の世界 』 聴講メモ

2006年03月13日 04時00分58秒 | 神社・お寺
千葉県佐倉市の「国立歴史民俗博物館」でおこなわれた講演会、

 『発掘された出雲の神々の世界』

を、いつもの相方と聴きに行ってきました。


当日の講演会資料。
「出雲大社で発掘された柱の遺跡」と、一緒に巫女さんの写っている写真は、
かなり有名ですよね~



 講演は、島根県古代文化センターの松本岩雄氏を講師に、
出雲における数多くの発掘の成果から、
古代の出雲の特徴と、出雲大社の昔の姿を探っていこうというもので、
大きく以下の2つのテーマに沿って話が進められていきました。
・弥生の青銅祭器
・出雲大社で発掘されたもの(出雲大社の昔の姿)


 「弥生の青銅祭器」については、おもに、
荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡で大量に発掘された銅剣・銅鐸を調査し、
形状等を九州や近畿のものと比較し、共通点や相違点を考察することで
それぞれの文化圏のつながりなどを考察する、といったような内容でした。

 また、「出雲大社で発掘されたもの」については、おもに、
大社境内で発掘された巨大な柱について、
炭素年代測定法や年輪年代測定、同時に発掘されたモノによる
考古学的年代測定などで年代調査をおこない、
古い文献(「金輪御造営差図」の図面や遷宮の歴史など)との比較を通し、
「高さ16丈(48メートル)もあった」と言い伝えられる古代の出雲大社について、
いつ頃に、どこに、どのような大きさのものがあったかのか?などについて
考察する、といった内容でした。

 ・ ・

 『出雲大社は古代(中古)には高さ16丈(48m)もの巨大な神殿だった』
という言い伝えや、それを裏付けるかのような『柱の直径が3mある図面』など、
「ホントにそんなのあるの?」と言われてしまうような、
古代史のいわゆる『ロマン』の世界を、
考古学的な手法で解き明かしていくという話題は、
非常に興味深いものでした。
 また、実際に発掘をされている方の話だったので、
裏話的なものも聞けたりして、これまた面白かった。
(例えば、大社の柱の発掘は、そもそも大社側が
「祭礼準備室」なるものを地下に作ろうとして
掘り始めたらなんか出てきたので、工事を待機させて発掘調査を始めたら
思いのほか重大なものが出てきたということで、
発掘調査期間は一月、二月と延び、結局工事は中止になって、
現場事務所まで作って待機していた鴻池組?さんは
追い返されてしまった、など。)

ということで、非常に有意義な話を聞いて帰ってきました。


なお、この講演は、同博物館での企画展示
「日本の神々と祭り ~神社とは何か?~」
に関連して行われたもので、
その企画展示は、2006年3月21日(火)~5月7日(日)開催。
これまたきょうみぶか~い!ヽ( ´ー`)ノ
是非行かねば!

 ・ ・ ・


それにしても驚いたのは、会場の盛況ぶり!
数百人は入るだろうって感じのホールが、30分前にもう満席・・・!
入れなかった人は、別途準備されたガイダンスルーム(講義室みたいなところ)に
案内されて、自分たちもそっちに行ったのですが、
こちらも、多分100席くらい在ったと思うけど、満員になりました。
いつもこんななのか・・・?

あと、講演を聴きに来てる人々は、ほぼ100%、ご高齢の方でした。
50代がスタートライン、みたいな感じ(;´Д`)
自分たちは、確実に最年少でした。。。
(ちなみに、30台前半ですが。。。)

せっかくこういう有意義な話は、もっと若い人が
聴かないといけないんじゃないかなあと思った。


 ・ ・ ・
 ・ ・ ・


 あと、せっかくなので、講演の内容メモ。

・荒神谷遺跡で発掘された銅剣は、358本。
 それまで日本全体でも、発掘された銅剣の数は約300本だったので、
 非常に大きな発見。
・銅剣の近くで別途銅鐸と銅矛が発掘されているが、
 銅鐸と銅矛が一緒に出土することはこれまで無かった。
・銅鐸については、近畿地方のものとの類似性があるものがあり、
 近畿地方とのつながりが考えられる。
 (“外縁付紐式(がいえんつきちゅうしき)”のものが、近畿製?
   それより古いもの、また近畿製で無いものも有り。)
・銅剣・銅矛については、北九州との類似性があるものがあり、
 北九州地方とのつながりが考えられる。
 (銅剣は、“えぐれ”の位置に特徴がある。
  出雲製と考えられるものには、絵のところに“×”(しめ)の
  模様がほられていて(荒神谷では343本)銅鐸にも彫られている)

・荒神谷から12年後、加茂岩倉遺跡で、銅鐸39個が発見される。
 それまで日本全体でも300本台しか発見されていなかったので、
 これも、大発見だった。
 1箇所で発掘された最大数も、それまでは24個。
・銅鐸は、“ひれ”を垂直に立てた状態で発掘された。荒神谷と同じ。
・丁寧に「埋められている」
・大きいの20個の中に、小さいのが入る形で(こちらは19個しか見つからなかったが、
 何かで欠けた可能性がある)、合計39個。
・流水紋と袈裟襷紋が、畿内(河内、大和)との類似

・銅鐸は、「弥生時代の農耕祭祀」に使われていたと言う説があるが、
 そうであれば、その後伝承されたりしていてもいいものだがそういう形跡が無い。
 どうもそうではないのではないか。


・出雲大社は、明治以降の呼び方で、それ以前は杵築大社(きづきのおおやしろ)。
・出雲大社の本殿の造りは、「心の御柱」の周りを正方形に8本の柱が取り囲む「大社造り」で
 出雲地方独特の造り。現在の社殿は、延享元年(1744)から。
 それ以前は、今よりも大きい社殿が建っていたといわれているが、
 実態は定かではない(なかった)
 例)・『口遊(くちずさみ)』(10世紀)の記述
     『雲太・和二・京三』から
     (出雲大社が一番大きい。次が奈良の大仏殿(15丈)、その次が京の太極殿)
   ・『金輪御造営差図』(千家尊祐氏造。『玉勝間(本居宣長)』にも記載)
     柱の直径1丈(3メートル)、引橋1町(約109メートル)の巨大神殿の記述
・1999年、本殿地下を故事で掘り下げたとき、遺構が出てきたため
 発掘開始。
・発掘により、3本の太い木を束ねた巨大な柱の遺構が3つ発掘された。
 昔の社殿の“心御柱”“宇豆(うず)柱”“南東側の柱”の3つに推定される。
・発掘されたものと「金輪御造営差図」とを比べると、
 柱の角度や柱間の距離が微妙に違うため、
 「御造営図」は、発掘された柱より振りか、もしくは記憶に頼って描かれたための違いか。
 どちらにしても、「ばかげた図面」と言われていたものが、「ばかげた」ものでは
 無くなったことは確かである。
・年輪年代測定法が、木の特性により使用できなかったため、
 炭素年代測定法により、心御柱・宇豆柱は1200年代のものと考えられる。
・同時に発掘された土器の考古学的年代は、12世紀後半~13世紀
・文献を調べると、“宝治2年(1248)の遷宮”というものがあり、これが該当すると考えられる。
・柱の遺構などを元に、何人かの建築家に復元図を書いてもらったが、
 人それぞれの大きさ。
 つまり、「16丈」の社殿があったと(すぐ言いたくなるが)単純にはいえない。
 なお、H18年度に新しくできる島根県の「出雲古代歴史博物館」には、
 そのいくつかの案の模型を(一つに絞らず、全部)展示するので、
 皆さんの目で見て考えて欲しい。

・出雲地方に独特の建築様式である「大社造」(“9本柱”)と同様の遺構は
 ほかに無いのか
 ↓
 「青木遺跡」(8世紀後半~9世紀のもの)、三田谷遺跡、田和山遺跡、など。
・田和山遺跡では、山頂の「9本柱」の遺構を取り囲んで守るかのように(時代が違うが)、
 弥生の遺跡(集落)がまわりにあるような空間構成になっている。
 9本柱の遺構(の場所)は、山頂とうこともあり、何か特別な意味があった?
 (※注:すみません、この辺私の記憶かなりあやふやです・・・)


講演後、司会の方のコメント(お名前失念・・・関係者の偉い方のはずだが・・・)
・今回の話でも、考古学者の方は本当に慎重に調査・考察を進めているんだと感じました。
・銅鐸は、整然と埋められている状態で発掘されるなど、
「わざと埋められている」ように思う。つまり
 “のこしておいてはいけない理由があった”、と・・・


講演後、質疑応答
Q出雲の社殿は、中央やその他との違いをかたくなに守っているように思う。
 やはり、中央との差別化を図る意図が働いていたのだろうか?
Aそうではないかという気がします。

Q荒神谷の銅剣・銅鐸類は、山の斜面に埋められていたが、
 農耕祭祀ではないということで、出雲ではあばれ川として恐れられていた
 「斐伊川」を鎮める為のものだったのでしょうか?
A斐伊川は確かに氾濫により流路を頻繁に変えていましたが、
 荒神谷の近くまで来たということはないようです。
 ただ、何らかの関係はあるかもしれません。
(※注:この辺もちょっと私の記憶かなりあやふや・・・)


とりあえず以上で・・・
聞き取り間違い等はご容赦を・・・(修正指摘歓迎。随時直すかも・・・)

『スポーツクラブ』で寺社巡り

2006年02月27日 00時36分58秒 | 神社・お寺
1年ぶりくらいに近所のコナミスポーツクラブへ行ってきたんですが、
マシンとかが大幅に変わっていました。

面白かったのが、自転車こいだり、走ったりするマシン。
コンピュータ制御で、トレーニングのメニューがいくつかあって選べるのですが、
その中に、「観光地MAP」みたいなのがあって、
走った距離とシンクロして、観光地をMAPに沿ってまわったりできるというものでした。

観光地の選択肢に「奈良」があったので、迷わず選択!

興福寺から、奈良国立博物館の横をとおって春日大社まで行った後、
東大寺へ。南大門を通り抜けて大仏殿、二月堂に行き、
最後に正倉院まで行って来ました(笑)


それぞれのスポットにたどり着くと、そこの紹介文が表示されたり、
MAP上での動きとともに、単純なんだけど楽しいものでした。
しかしまさかスポーツクラブで、トレーニングとともに神社仏閣めぐりができるとは!
なかなか面白かったです。みなさまも試してみては?


さて、次回のトレーニングは、京都を巡るか・・・

神田明神 『神楽始め』 にいってきました。

2006年01月09日 02時43分11秒 | 神社・お寺


1月8日、
ヨメさんとの初詣をかねて、
神田明神の『神楽始め』を観にいってきました。

(※というか、神田明神へこの日お参りに行くことは決まっていたのだが、
 『神楽始め』の神事については、ヨメがネットで情報を見つけるまで知らなかった…
 不覚だった…)



当日はものすごい青空。参拝者もまだまだ長蛇の列。


・ ・ ・

神楽の奉納は、拝殿で行われました。
手前の石の間に椅子が並べられて、一般の参拝者も入ることが出来たので、
もちろん参列~ヽ( ´ー`)ノ。


神田明神の神楽始めで行われる太々神楽は、
江戸時代から伝えられてきたものだそう。
進行の神職さんのご説明では、無形文化財だとのこと。
国指定重要無形民俗文化財に「江戸の里神楽」ってのがあったので、それのことかな?
舞のご奉仕は、「若山社中」と紹介されていました。
(それを聞いて、ヨメは「和歌山の人々がわざわざ来ているのか~」と思ったらしい…)


舞は、男・巫女・翁・巫女・天狗 の五座でした。
(もともと五座なのか略式なのかはわからなかった…)
太鼓の拍子と笛の音は、にぎやかな
「なるほど、江戸時代から続いているものなんだな~」という感じの
リズムなんだけど、それでいて洗練された感じ。
その音楽に乗って行われる舞は、これまたなんとも幻想的。
そしてやっぱり「神社の社殿」という場所という場所が良いよね。


はじめは“男”。厳かな感じで。


続いて“巫女”。優美な舞です。


“翁”。音楽も舞もにぎやかな感じに。太刀を振るってました。


“巫女”。再度登場。


最後は“天狗”。矛のようなものを使ってアクロバティックな振り。いい感じの盛り上がりでした。


お神楽を見終わった後は、なんだかものすごいすっきりした気分になっていました。


・ ・ ・

あと、初詣には甘酒は欠かせないよね!ヽ( ´ー`)ノ
というわけで、帰りがけに、
参道脇のお店『三河屋綾部商店』さんへ寄って、甘酒を飲んできたのですが、
一緒に注文した『焼きまんじゅう』が、ものすごい美味しかった!
微妙なふわふわ感のやきまんじゅうもさることながら、
味噌だれがスゴい!!
なんだろう…この感じは、お酒?みりん?…良くわかんないんだけど
絶妙な甘辛さといい香り。
ていうか今まで知らなかったよ。。
(いつもは甘酒飲むときは天野屋さんの方にいっちゃってたもんで…(;´Д`))

・・・今回の新たな発見でした。



仕事始め、『神田明神』さまへお参りに…

2006年01月05日 01時27分13秒 | 神社・お寺
今日は仕事始め。
会社帰りにいつもの仲間のお二人と、毎年恒例の行事として
神田明神へお参りに行ってきました。

今年こそ、おみくじを巫女さんから渡してもらおうと思ってたのに、
今回もお参りが遅くなってしまったために(夜7時くらい)、
ギリギリのところで(それこそ目の前で)おみくじの担当が
巫女さんからお兄さんに代わってしまった…(涙)

…多分、臨時の巫女さんたちだと思うんだけど、夜7時になると
お勤めが終わりなのか、いっせいに引き上げちゃって
いなくなっちゃうんですよね…(´・ω・`)

かろうじて、お守りだけは
巫女さんから頂くことが出来ました。ホント良かったです。



神田明神さまで頂いた、心願成就のお守り。
今年のお願いは…同人でちゃんと本が出せることかな…(何気に自己申告して自分を追い詰める。)
…っていうか、心願って、仕事とかじゃないのかよっ!!>自分


それにしても、神田明神のお守りは、いろんな種類があるよね。ITお守りとか…。
なんか今年は犬夜叉の絵の入ったお守りがあってびびった。
いぬ年だからか…

・・・

その後、3人で、これまたいつものコース、
アキバでメイド喫茶に軽くいって来ました。
今回は、この新年に開店したばかりのところ
(MerryHeartさん)。
場所がちょっとわかりにくかったかも。探し歩いてものすごい寒かった。
店内は、新築の匂いがしていました。
和装とか、いわゆるメイドさん風のとか、いろんな衣装のメイドさんがいました。

3人でなぜか温泉の話とかして帰ってきました。


さて、今年もはじまりだ。がんばるぞー。

『冬コミ』、『大晦日』、そして『新年』…

2006年01月01日 03時34分14秒 | 神社・お寺
あけましておめでとうございます!
先ほど元朝参りに近所のお社へ行ってきました。
ホント小さな神社なんですが、近所の人もぽつぽつお参りに来ていて、
いつもは開かない小さな畳敷きの拝殿に上がって正座でお参りしたり、
その拝殿でお神酒のふるまいがあっていただいてきたり、
お神酒飲みながら地元のおじさん(おじいさん)達と軽くお話してきたり、
こういうのって、なんか楽しい気分になりますよね。
初詣って、大きい神社にいくのだけじゃないですよね~。
そして初祈願。今年も(今年こそ!)色々頑張りたいと思います!


 それと、年が明けちゃってから言うのもアレですが、
冬のコミケ、サークル参加してきました。
例年、冬コミが終わるとホント『あ~一年終わったなー』って感じ…

#そして、当方のサークル『夕涼みくらぶ』のスペースにお越し頂いた皆様は、
#本当にありがとうございました!
#今年はもっとちゃんと本出せるように頑張ります…!

ちなみに今回は(というか毎回)神社本と巫女さん本を置いていたのですが、
神社情報をいろいろ教えて下さる方や、神社関係者の方といった
その方面の方々のほかにも、
手にとって下さる方、購入して下さる方が今回は思ったよりも多かったな~というか、
また年々多くなってきている気がしています。
やっぱ神社ファンの層、増えているのかな~…という感想。


・ ・ ・

 ところで31日は、ヨメさんとともに、
年末のお参りということで、日の暮れる前に
亀戸天神社へ行ってきました。

写真、なんか背景の青空の色がとんじゃった…失敗…


初詣に向けて出店がいっぱい並んでいるんだけど、どこもまだ準備中。。
夜の元朝参りとか元旦からは人出がすごいんだろうけど、
大晦日、この時間はお参りの人もそんなにいなくて、
こういう、賑わいの前のひっそりした感じの神社っていうのも、またいいよね。
天気も良くて、寒いけど和やかな感じ。。。


空の上のほうも、空気の動きが穏やかなんだね。きれいな飛行機雲がでてました。。

空の色も、冬っぽい感じ。。。
ちなみに撮影は亀戸天神にて。


・ ・ ・

 天神さまの帰りがけ、参道横の老舗のくず餅屋「船橋屋」さんで
くず餅を一つ購入。
神社とかお寺って、たいてい参道にはこういう昔ながらのおいしいお店があって、
それがまた楽しみなんですよね!

家に帰って早速いただきました。
新鮮なくず餅はさっぱりしていて、きな粉と黒蜜もいい香り。
おいしかったです。。

『BOOKS鎮守の杜』行ってきた。

2005年11月13日 01時07分34秒 | 神社・お寺
今週末は完全オフ。

今日は、その筋(神社・神道関係)では噂になっているということで
是非一度行ってみたかった、神社・神道専門書店 『 BOOKS鎮守の杜 』
同人の相方、萌木氏と行ってきました。
場所は、千駄ヶ谷。神社本庁の目と鼻の先です。


まあたらしいビルの1Fに…


店内は思ったより広くは無かったですが、


さすがでした…


神道とは何か?的な本から、各地の神社の紹介、神道の歴史や日本神話・神々の本、
神社建築、芸能、文学、古代史謎解き、
そして近代神道・近代日本の話(戦後含)といったハードな内容まで、
かなりの品揃え…

というか本当に神社・神道関連以外の本はありません。お見事です。


あと、これまた噂の皇學館 『 式内社調査報告 』(全25巻、全部で30万円弱…)も
置いてあった…本物見るの初めてだ…
なんだかオーラを放っていて手に取れなかったよ…


まあそんなわけでそれ系書籍をお買い物。。。



その後萌木氏とProntoで昼メシくいながら、なぜか
某神社と日本との問題について、ハードな議論。
実は主張の違うことが明らかになったけど、いや~、なかなか有意義な時間だった。。


そんなハードな時間の後は、アキバへ…(´⊇`)



以上、ただの日記でした。

『雷よけ』の神社に落雷…

2005年11月10日 00時44分54秒 | 神社・お寺
『避雷信仰の神社に落雷 青森・平内町の雷電宮』
(毎日新聞/YAHOOニュース 11月9日)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051109-00000110-mai-soci



 青森県平内(ひらない)町にある、
「雷などの災害を避け、町を救う」という神社『雷電宮』の
杉の大木に雷が落ちたそうです。

一見「だめじゃん!」とか思ってしまいそうですが、
そうじゃありませんよ!!

きっとこの神社は、体を張って雷から町を護ってくれたんです…(涙)


…っていうかこれ、このブログ初めての神社情報だ…(;´Д`)




【11月13日追記】
うちのブログのこんな記事なんかにもトラックバック送ってくれたヒトが居たので
打ち返しときました。
でもこっち側のは消しちゃったので、
念のためリンク張りなおしときます。
http://blog.livedoor.jp/rrr_333/archives/50328131.html

(でも、そこの記事には、別にこっちへのリンクとか貼ってないのよね~。
トラックバック打つだけ打っといて。。
・・・そういうのって、本当は失礼な話だよね~、とか思った (;´Д`)。。トラバの本来の意味としてね。
なんつーか、つまりはただの自ブログ宣伝じゃん!って言うか、
そういう意味ではエロ系の迷惑トラバなんかと大差ないもんね…
言い過ぎ?

まあ上のは、独り言だと思ってほしいのですが(;´Д`)
同じような経験って、みなさんも結構ありません…?)