静風徒然ブログ

心の赴くままに、鳥のように、虚無の世界!

天吹写しと韓国の尺八「トゥンソー」

2007-12-23 09:19:51 | Weblog
なかなか手頃な節長の竹材に恵まれず、自宅にあった箒の竹材を使って、
節長を調整し、長さ29センチの天吹を作って見ました。
管径25ミリ、もう少し細めがよかったかな?

上の写真は韓国の尺八「トゥンソー」です。とてもよく似ています。
管径21ミリ手孔が表4孔、筒音はF#(10本)

天吹同好会の話によれば
1、天吹は神に献奏するもので、公衆の前で吹くべからず、
2、製管しても人に販売すべからず、  となっているようです。

私は会員ではありませんので、お譲りしてもいいのかな? 


松壽軒のこと(その3)

2007-12-23 09:12:42 | Weblog
林翁一計庵主の考察

琴古流の流祖、黒澤琴古が19歳のとき、長崎を訪れ、
正寿軒で一計士に古伝3曲ほか7曲を伝授され、
のちに日本の尺八界をリードする人になった事は有名である。
このとき琴古に教えた一計がどんな人であったか、興味がある。

邦楽ジャーナル誌2000-4月号に神田俊一氏の著で、
尺八浪漫「琴古、宗悦の故郷」(九州の尺八)に一計の尺八であろうと思われる
尺八の写真が掲載されている。
位牌仕立ての尺八であり、そこに林翁一計庵主、元文庚申天(1740年)、
行年62歳と書かれている。
銘は「雨」、雨の字を二重の菱形で囲っている。寸法は1尺6寸4分
庵主とあるが、松壽軒の関係者の中には一計の名は出てこないので
この庵は皓台寺か崇福寺か興福寺の末寺の庵であった可能性が高い。
当時の長崎ではのちに宇治に上り、黄檗山のそばに庵を作ることも
多かったので、その庵主であったことも考えられる。
宇治の庵なら「宝福庵」であろう。

それが水上勉のいう崇福寺の総門をくぐって左であれば「廣善庵」、
林家の庵があったところである。

黒沢琴古が長崎に来たのが享保14年(1729)
だから林翁一計翁が51才の時である。
林氏といえばのちに日本の明清楽を指導した林家もある。
林家は当時長崎で彭城家とともに大通事を務めた家柄であり、
皓台寺や崇福寺の大檀越でもある。翁と称してもおかしくない家柄だ。
唐通事の子孫であった彭城逸調もまた後に琴古流の大幹部として、
吉田一調から一調名を譲られた人である。同じ崇福寺内に墓地がある。

虚竹が長崎にいた、という話の裏に潜む「真実」とはこれだったのだろうか。
夢はどんどん広がる。
もう一度、越中先生を訪ねてみよう。次回お楽しみに!

今日の1品は私の愛蔵「西湖銘」一節切管




希望者にはお譲りします。購入価格 50万円


女房の尺八

2007-12-05 11:01:17 | Weblog
平成10年の9月のことだった。
敬老の日の特別イベントとして、旧小長井町の「いきいき長寿の集い」に特別ゲストとして招かれた。

約600名のお年寄りが体育館に集まり、熱気はむんむん

アトラクションの持ち時間は約15分、3曲のプログラムを選んだ。
1番目は私の尺八、2番目が歌子の胡弓とそれぞれのお得意で
お年寄りを存分に喜ばせたかった。

プログラムの最後に愛嬌のつもりで、歌子の尺八伴奏で私がご当地の民謡
「長崎木挽き唄」を唄った。



大変な人気であった。会場からおひねりが差し出される始末、
女性の尺八伴奏なんて、お年寄りにとってはなかなか聞けるものではない。
女房はその後腱鞘炎をこじらせ、尺八の演奏機会がめっきり減ってしまった。

下はそのときの1尺9寸管、鳴りがいいので有名な「古賀晴邦銘」 
女房がもう吹かないので譲渡可、  



武田信玄と一節切

2007-12-05 10:58:47 | Weblog
武田信玄公が生きていたら、日本はどうなっていたろうか?
ふと考えることがある。
以下は武田信玄の「野田城の深手」のときである。

家康の要塞、野田城を攻略して2週間目、
落ちないので信玄は甲州から金堀人足を呼び寄せ、
城壁に横穴を掘って、そこから井戸の水を断つ作戦に出た。
2月10日、ついに菅沼定盈らは降伏、
その身柄は徳川家康軍との人質交換の材料にされた。

この時場内に「村松芳林」(芳休とも)という一節切尺八の名手がいて、
毎夜櫓に上り、名残の一管を吹いていた。
明日にも知れぬ命の味方はもとより、敵兵の中にも城に近寄り、
その音を慕うものが次第に増えてきた。

その夜「芳林」は明るい月に向かい、心魂を込めて一節切を吹いた。
城外では従者を従えた一人の武将が床机に座り、妙なる音に聞き惚れていた。
そのとき、城内では遠目の利くものがいて
「床机の武将は信玄だ!」と城主に告げた。
城主はすぐに鉄砲の名人、「鳥居半四郎」を呼び、狙撃を命じた。

「半四郎」は神に念じ、狙いを定め、轟然と一発、
「手応えあり!」と叫んだ。
一節切の音はハタと止み、武将は騒然と従者に囲まれて去り、
四辺は寒月鋭く照っているのみとなった。
信玄はこの深手が元でまもなく亡くなった。

そんな信玄を偲び、私が渾身を込めて作った最近の力作、
筒音はA音に調律、甲音もチ、ヒまで出ます。
このようになりやすい一節切管は希だと思います。

実はこの管は売れました。以下は購入者からの感想文

商品が届きました。とても軽くよく鳴る一節切です。
現代曲を吹くのに適していますので、
前回の一節切管とあわせて愛用させていただきます。
ありがとうございました。(h crysさんより)(2006年 10月 5日)