goo blog サービス終了のお知らせ 

ニッポン チャチャチャ!!

納得できない事、頭にきた事、不可解な事、民主主義後進国ニッポンの“?”を感情的に綴っていきます。

Give Peace A Chance

2007年12月09日 20時43分33秒 | 生活
昨日は、真珠湾攻撃の日であるとともに、ジョン・レノンの命日でもありました。27年前のあの日、家の電話が鳴り続け、そのたびに「ショックだ~!」という程度の感想しか交わしきれず、次に言葉が続かなかったことを思い出します。正直、リアルタイムで「ジョン・レノンが死んだ」という意味を理解できなかったのです。

mixiでは、マイミクさんのひとりがYouTubeからジョン・レノンの生前の映像を見つけて日記にアップしていました。その映像は『Give Peace A Chance』を歌っているもの。それを観て、僕も色々な事を考えてしまいました。

All we are saying is give peace a chance

森達也氏は、主語が大きくなると述語が過激になると最近の風潮を表現していましたが、この頃は“All we”という大きな主語、でも世界中の多くの若者が信じ共有していた主語なのに、述語はささやかで平和的です。
しかし、彼の死後27年過ぎても、決して彼の望んだ世界にはなっていません。戦争は無くならず、国境は残り、世界中の人が平和に暮らす日々はきていません。

世界中の若者が共感し、現在はその若者たちが社会の中枢にいるはずなのに、ジョンのささやかであり、基本的な願いを実現できなかった現実を僕たちはどう受け入れればいいのでしょうか?
「願いは叶う」…はずなのに。

ちなみに、今日、僕の大切にしている本『神との対話』を読み直していたら、こんなフレーズを見つけました。

愛は寛容を、寛容は平和を生む。不寛容は戦争を生み出し、耐えがたい状況に無関心になる。
愛は無関心ではいられない。どうして、無関心でいられるのかわからない。
人類すべてに対する愛と関心への一番の近道は、全人類を自分の家族と考えることだ。
全人類を家族と考える一番の近道は、分裂をやめることだ。世界の国民国家は団結すべきだ。

まだまだ、僕たちは“愛すること”が足りないのでしょう。
まずは、近くても分裂する相手を愛することからはじめる必要があるのでしょう。

たしかにジョンも
Love is real
と歌っていますものね。

真珠湾攻撃の日に

2007年12月09日 02時21分28秒 | 社会問題
ちょっと前に、高見順の『終戦日記』を読み終わりました。忙しくて、なかなかそれについて書く機会がなかったのですが、真珠湾攻撃の日である今日(実際には翌日になってしまいましたが)にこそ書いてみたいと思います。
そもそもこの本、ずっと僕のメモ帳の「買いたい本リスト」に入っていたのですが、誰に勧められたのか記憶は定かではありません。おそらく、辺見庸氏の講演会で、戦争の悲惨さを伝える本として紹介していたのを控えていたような気がしています。

広島の原爆の様子を書いた井伏鱒二の『黒い雨』は、描写があまりに生々しすぎて読みきることはできませんでした。社会学者の共著で、戦争に臨む日本人の組織論を分析した『失敗の本質』は、ある意味僕の教科書に近いものになっていて、負けるべくして負けた日本人の組織作りのモロさを知ることができました。
そして『終戦日記』は、それらとも違い、親が語ってくれなかった昭和20年の様子がリアルに綴られていました。終戦までの前半と、後半の占領期と、結果として二部構成という印象になっているのですが、予想外の内容だったのが後半の占領期の部分です。

玉音放送の直後の電車の中で「これは敵を騙して、水際で叩く作戦に違いない」という話をしている兵士に溜息をつき、敵を騙すのは日本の作戦に共通のもの。政府は国民を騙し、国民は政府を騙し、軍は政府を騙し、政府は軍を騙していたと嘆く。
東条英機の拘留命令直後というタイミングの自殺未遂に嘆き、自国の政府ではなく、占領した他国の軍隊にはじめて自由を与えられたことも嘆く。
インテリが米兵にタバコをせびる姿に罵り、敗戦によって尊大と卑屈が隣り合わせの若者に悲嘆し、日本国民は敗れて誇りを失い四等国民になったと絶望感を感じる。そんな毎日にモノを書く気力を無くしていく高見順…。

「戦争は辛かった」という話は数多く耳にしているのですが、「戦後の国民の卑屈な姿に悲嘆した」という話は聞いていても、その姿は想像できませんでした。
戦中、戦後の日常が詳細に書かれていて、僕の知らない“戦争”というものをリアリティをもって感じることができました。この本で、はじめてそんな終戦直後の日本国民の姿も知ったような気になったのです。
そして、本当にこんな毎日だったのなら、親はなかなか当時のことは話せるものではなかったでしょう。

そして「一時はとうなっても、立派になってほしい。立派になる要素は日本民族にあるのだから、立派になってほしい」と、高見順のように考えていた人も少なくなかったと信じたいです。
60年以上前に、どん底を見た日本人。それでも未来を信じる人はいたのです。ところが、その原因となった日をほとんどのテレビが振り返っていません。その必要性を感じていないのか、放送しても視聴率が取れないと考えているのか?

ひょっとすると、「敗戦」はまだ日本に続いていると考えるべきではないのかと思ってしまいます。
官僚は国民に金をせびり、マスコミは尊大と卑屈が隣り合わせだし、国民に誇りはない…。今日が、60年前と何も変わっていないと見えてきてしまいました。