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ニッポン チャチャチャ!!

納得できない事、頭にきた事、不可解な事、民主主義後進国ニッポンの“?”を感情的に綴っていきます。

今どきの流行の真の姿とは

2005年09月05日 23時28分35秒 | 生活
たしかこのブログを始めた頃、アクセスランキングの分母の数字はは27万台の数字だったと思います。それから約一ヵ月半、その数は32万台になろうとしています。凄い事ですよね。この一ヵ月半にgooだけで5万人近くの人がブログを始めたんですから…。東京ドーム一個分の人数ですよね。
それでは一体、日本全国でいくつ位のブログがあるのでしょうかね? どうでしょう、ライブドアとか全部あわせると100万位はいくんですかね? でも、200万はいかないでしょう。
ここいら辺が数字の微妙なところというか不思議なところだと思うのです。「新規の記事を投稿しても、数秒でgooのトップページから消えちゃうんだよなぁ」と私も痛感するブログブームなのですが、どうも国民の1パーセント強位の人しかやっていない計算ですよね。そのなかで、頻繁に更新している人の数となると1パーセントを切るのではないでしょうか? テレビなら打ち切りの数字ですよね。それが猫も杓子もといわれるブログブームの真の数字だと思うのです。
それで思い出すのがバブルの頃のクリスマスイブの話です。当時、日本中のカップルは皆ホテルで聖夜を過ごすような印象でしたが、そんなブームを演出していた雑誌の編集者ですら「ホテルに行くのはごく一部で、ほとんどの若者は家にいるんじゃないの」と分析していました。当時、職場で毎年クリスマスソングを聞いていた私としては納得できる分析です。それが証拠に、仕事を終えて地元の飲み屋に行くと、大体いつものメンバーが男女とも揃っていましたから。
結局、今どきの流行ってそんなもんだと思っています。街から人が消えるというような、本当の国民的なブームといえるのは日本代表のW杯サッカーくらいじゃないですか?
つまり「遅れてるー!」といわれている方々!(自分も含めて) 流行なんて、実はたいした事ないんですよ!

ここで間違えたのか?

2005年08月27日 06時45分49秒 | 生活
確か木曜だったと思うのですが、午前中のテレビ東京で「会社は誰のものか?」みたいな経済番組をやっていました。企業買収や経営に積極的に口を出す株主の増加で、企業が新しい対応を求められているというような話でした。
番組を観て「なるほど、そういう事だったのか」と感じたのは、この前に書いた企業の消費者に対するコミュニケーションの事。つまり番組では、これまでは「企業は従業員が命」」であったり、「お客様は神様です」としていたのに、ここにきて株主様のご意向が最優先になっている事が多いという内容でした。株主様優先ということは、株価を上げるということが企業のひとつの使命になります。よって、長いスパンで顧客と良い関係を作りあげ、その結果として商品を買ってもらうという方法より、企業はドンと派手に売れるようなプロモーションなり広告表現を選ぶはずです。つまり、ストレートに反応する株価を意識した売り方が今風の売り方となるわけです。
そういわれてみれば、私がかつて働いていたテレビ局でIR番組を放送するようになった頃から「会社は株主のものだ!」と発言する人間が増えたように思います。まあ、これもホリエモン効果のひとつといえるのでしょうが割を食ったのが消費者です。神様から一気に平民になったのですから。
その番組の中である経営者が「株主の方を向いて企業活動をして、従業員やお客様に不利益を与えるようなら、その企業にはどこかに問題がある」というような事を言っていました。とても納得できる話です。しかし、企業というのは大体どこかに問題を抱えているもののはずです。そうして大体においてそのしわ寄せは消費者にくるケースが多いはずです。その結果が、不親切な企業からのコミュニケーションではないでしょうか?

すべての消費者よ! 不誠実な企業には、かつてのような不買運動によって消費者パワーを知らしめよう!

何処で間違えたのか by 松本隆

2005年08月25日 17時40分08秒 | 生活
私の住んでいる街の商店街には結構パチンコ店があります。今思いつくだけでスロットル店を含めて8店はあると思いますが、決してすべての店が流行っているわけではありません。私も10年位前のブームの頃は良く通っていましたが、今はまったく行っていません。理由は年間収支がマイナスになって止めてしまったのです。ちょうどそれはパチンコブームの衰退の頃と重なっていました。
当時、マーケティングの雑誌にはパチンコ業界は新規客の開拓を怠って、私のように離れていった客の分の補充をしなかったために衰退したと分析していました。確かに今は知りませんが、当時のパチンコ店は何も知らないとまるで遊べなかったと思います。CR機はどこにカードを入れて、どうやって玉を出すのか。フィーバーしたらどうしたら良いのか、箱が一杯になったらどうすれば良いのか…。どこにも説明書がなく専用の案内係もいませんでしたよね。周りはベテランばかり、みんな集中して打っていますから気が引けて入店を躊躇するのは理解できました。
実は、これも昨夜地元のバーで若い男の子がパチンコを始めたいのだけど、遊び方が分からないという話から思い出だした事です。
でもよく考えてみると、ちょうどその頃から企業からユーザーへの説明が丁寧ではなくなりだしたように感じます。私がコピーライターの勉強をしていた頃、ユーザーの信頼を勝ち取る事がコピーライティングに求められる大きな要素だったと思います。それが今ではユーザーのメリットが高らかに謳われていますよね。例えば「100Mの高速回線!」、「同時録画できるDVDデッキ」とか、利便性と高いスペックばかりが先走りすぎているように思います。これは「パチンコって一日20万以上儲かる事もあるぜ」っていう話と似ているように思うのですよ。
パチンコで毎回20万円稼げる人間が一部であるのと同じで、100Mの回線をフルに享受できる人間や毎日番組の同時録画を必要としている人は決して多くないと思うのです。でも企業はその一部の客だけを相手に会話しているように見えるのです。

うーむ、パチンコで負ける人が大勢いるから20万円稼げる人がいるように、キャッチフレーズに踊らされ闇雲に新製品を買う人間がいるから日本の経済は成り立っているのでしょうか?

これから打ち上げだ!

2005年08月24日 22時41分55秒 | 生活
ついに夏休みの宿題が終わりました。以前に書いた林亭というグループの「わたしが一番きれいだったとき」という曲にあわせた映像作品が完成したのです。
60年前に一番きれいだった女性たちの“今”を撮ってみようと志し、自分の作品として制作をスタートさせました。カレンダーを見てみたら一番最初のロケが7月15日。結局制作期間は一ヵ月以上になり、まさに夏休みの宿題という感じでした。
ロケ地は地元の公園にはじまり、靖国神社、千鳥が淵の戦没者墓苑、上野、浅草、亀戸、柴又、巣鴨、横浜と、連日30度以上の中デジカム片手に、60年前に一番きれいだった女性たち=現・お婆ちゃん撮影に奔走してきました。
ここに改めて、撮影やインタビューに協力してくれた方々、本当にどうもありがとうございました。やはり皆さんとても大変な時代を生きてこられた方ばかりで、予想以上にいいインタビューができました。つまり、それだけ戦争体験というものが大変な事なんだということを思い知らされました。
はたして、出来上がった作品が「反戦」という感想につながるか、自分の構成・編集の未熟さもあり不安です。これから友人や知人に観てもらうつもりですが、できればアーチスト本人の許可をもらい著作権をクリアーしたいと考えています。その際は、ご希望の方にDVDをお送りしたいと考えています。

ところでどなたか、マックOS9.2.2のiMovieで作ったムービーを直接DVDに焼く方法を知りませんか?

ネットリサーチの分析と告白

2005年08月22日 01時33分06秒 | 生活
私は以前、あるテレビ局の報道番組のスタッフとして働いていた経験があります。そこで常にいわれていた事のひとつが、必ず裏を取る事、異なるふたつ以上の資料にあたって同じ事が書かれていた場合においてのみ記事とできるという事です。例えば航空事故の一報で、共同通信と担当クラブの両方が被害者を百人としていてば、「被害者は百人とみられています」とできるわけです。
また、過去の出来事などの事実関係を調べる場合、まずあたるのが信頼できる機関の資料となります。なぜなら、社会的な信頼のある機関はその信頼を守るために校正や校閲の担当等を立てる事によって、間違いの無い情報を出す努力をしていると信じられているからです。
ところがネット社会になってこのルールを守る事が困難になっています。現在、私は報道機関の仕事からは離れていますので、これはあくまで、私個人の自覚の問題としての話です。
サーチエンジンで検索すると、公的機関のサイトと個人のサイトが同じ土俵にならんでいますよね。特に最近は個人のブログがヒットするケースが多く、事実の確認が非常に困難になっています。つまり、信頼できる機関のサイトが見つからなかったり、そんなサイトが必要な情報をアップしていなかったり…。逆に個人のサイトが必要な情報を丁寧に載せていたりして、なかなか確信をもった結果を得られない事が多くなりました。その上、URLを見ただけではどんな素性のサイトなのか分からない事が多い事もそれに拍車をかけています。
結局、ネットで調べた結果は「どうも~らしい」が多くなってしまいます。これは私の調べ方の問題かも知れませんが、本質的なネットの問題でもあると思います。
正直に白状すると、このブログについても同様の問題があります。「どうせ放送じゃない、どうせギャラの発生する文章じゃない」と考えてしまい、100%の確認と校正がおざなりになり、PCの脇にある“朝日新聞の用語の手引”で確認する事も決して多いとはいえません。とはいえ、毎回いいかげんな更新をしているつもりはありません。あくまで独自の着眼点をウリにしているつもりです。ということをご理解の上、このブログをこれからもよろしくお願いします。

満月の夜に…

2005年08月21日 19時14分29秒 | 生活
昨夜は、今年4月に再会した高校時代の遊び仲間とコラボレーションをしようということになり、その打ち合わせをその友人の住まいの近くでする事になりました。結局選んだ店は亀戸天神裏のおそば屋さんで、その店は大学の先輩夫婦がやっている店なのです。お陰で閉店後も4人で話が盛り上がり、結局、店を出たのが11時頃でした。
今回の話はここからが本題です。私は都営浅草線に乗って帰途に着きましたが、三田線に乗り換えるため三田駅で降りました。そしてホームを歩いていると男女7、8人の若者のグループが目に入りました。4、5人いた女の子たちは皆ゆかたを着ていて、「今日はどこかで花火大会でもやっていたのかな?」と思って彼らの脇を通り過ぎ、彼らの会話を耳にして私は驚きました。どうも彼らは全員、中国人みたいなのです。誰に着付けしてもらったのか、女の子たちは皆、今風のゆかたを着ていました。
そして、三田線に乗り換えて座っていると、今度は目の前にゆかた姿の3人の女の子が立って話しをしていたのですが、またまた驚いたのす。彼女たちもどうも中国人のようなのです。
日本の若者文化がアジアでブレイクしていることは知っていたつもりですが、今風のアレンジとはいえ、ゆかたという日本の伝統文化に対して、中国の人たちがこだわり無く受け入れ、楽しむために身に付けているということを目にすると、私はとても幸せな気分を感じました。
21世紀のアジアの国際交流は、今の若者たちがリーダーシップをとったとき、とてもいい関係が生まれる予感がした満月の夜でした。

善行のお返しがこれ?

2005年08月14日 19時48分17秒 | 生活
先日、ある公園の近くのコンビのレジの列に並んでいると、隣の列でお爺さんが困った様子で店員に何か相談していました。どうも、その店で買った電池を入れてもカメラが動かないというような話でした。で、ふとそのお爺さんの手元を見ると、私が使っているのと同じデジカメを持っているのです。私は“ピン”ときました。
私は自分の会計を済ませると、あわててそのお爺さんを探しましたが、すぐ公園の中で姿を見つけました。「ひょっとして、電池を入れてもカメラが反応しなくて困ってませんか? 実は私も同じカメラを使っていて、いつもそうなるんですよ」私は自分の同型のカメラを示しながら尋ねました。
やはりそのとおりだったので、私はそのお爺さんからカメラを受け取り、電池の接点を柔らかい布でこすってスイッチを入れると、見事、正しく動き出したのです。お爺さんには深く感謝され、私も同病の仲間を救えた喜びで非常に気持ちよくその場を離れました。
なんと言っても、私はその機種の同じトラブルで3回メーカーに修理に出し1回はサービスセンターに電話相談し、その故障のベテランになっていたのです。
そうしたら、今度はその自分のカメラのストロボが点灯しなくなってしまったのです。マニュアルを調べましたが、どうも本当の故障みたいです。
そこで、さっそく購入した量販店に電話確認したところ、電話に出た男の店員は私の加入してる保障では、もう保障できないというのです。私は諦めて電話を切りました。「買い換えるしかないか」と考えましたが、ふと気づいたのです。このカメラって、先月末に修理から上がってきたばっかりだぞ。それが壊れたんだから話は違うはずだ! 私は改めて同じ店に電話して、修理担当コーナーに回してもらいました。すると優しい女性の声で「保障期間内なら何回でも大丈夫ですよー」という答え。
何なんだこの対応の違いは! と腹を立てましたが、保障期間はあと2年。車で言ったら5、6万キロ走っているでしょうか? 昔のイタリア車みたいに故障ばかりのデジカメとの付き合い、先が思いやられます。

水色のリボンは、いつ外せるのか?

2005年08月06日 04時07分53秒 | 生活
先日、上野公園前で拉致被害者の署名運動に署名したときに、テレビなどでよく見る水色のリボンをもらいました。ちょうどその時さげていたカメラバックにそのリボンを付けて、そのままにしています。
ここ最近、撮影に出歩くことが多く、そのときはいつもそのカメラバックを担いでいきます。そうすると、電車に乗って座っているときとか何気ないときに、そのリボンに目が行くんですね。その途端、自分の中で何かスイッチが入る感じがするのです。さすがに「拉致問題が解決してくれ!」と大仰なものではなく「そうだ、自分も支援者なんだ!」ということに気づき、そんな意思表示ができる自分を少し嬉しく感じているのが分かったのです。
確かに、初めて胸に赤い羽根を付けたときも、ちょっと大人になった感じが嬉しくて、いつまでも外さなかったような気がします。本来、両方を比較できることはできないものなのでしょうが、今回も、私はずっとカメラバックに付けたままにしておこうと思っています。

「お客様は神様です」はいいから、店員は天使でいてくれ!

2005年07月30日 21時53分03秒 | 生活
今日、念願のニコンD70Sを買いました。その時の出来事です。
修理に出していた別のデジカメの修理が終わったというので、昨日、池袋のその店に取りに行きました。そして、修理の終わったカメラを受け取り帰ろうとすると、デジカメ売場が目に入りました。何かセールやキャンペーンを実施しているタイミングでニコンD70Sを買おうと思っていたので、さっそく売場をのぞいてみたのです。すると、期間限定で解説本とカメラバックが付いてるというのです。「数に限りがありますが、まだ残りはありますから」という店員の言葉で、翌日の購入を決心しました。
そして今日、その売場に行って店員に購入を申し出ると「ちょっと待ってください」と言って離れていってしまいました。そして戻ってくると「担当と変わりますのでちょっと待ってください」と、またどこかへ行ってしまいました。さらにしばらくすると、別の店員が現われ「ちょっと在庫を点検させてください」との事。私はイライラして待っていると、結局、池袋の全店に在庫がない、だけど新宿か他の支店にはあるというのです。
「じゃ、何なんだ! 昨日の店員の言葉は!」と私は心の中で叫び、店を出ました。確かに予想以上に売れることもあるでしょう。それでも商品には品切れの表示もなくディスプレイしているのです。昨日の店員だって、そもそも本体の在庫も把握してなかった上に、ノベルティを期待している見込み客なら、数に限りがある以上「一応、おいでになる前に確認してください」くらい言ってくれればよかったのに。
結局、私は新宿の店でニコンD70Sを購入するのですが。そこではノベルティの表示はないのですが、対応した店員は「あまり良いものとは言えませんが、これが付いてますから」とカメラバックを出してくるのです。そこで私は「池袋では解説本も付いてましたよ」と駄々を言ってみると、その店員はいやな顔ひとつせず色々と調べて「この本ですね。これならプレゼントできますよ」とその解説本をどこからか持ってきたのです。さらに、その後のオプション品の説明や保障の話、すべてに心がこもっていました。久々に15万弱の大きな(私にとって)買い物なのに、私は結果的に満足な買い物ができました。店員さんの名前を確認すれば良かったと思ったほどです。
いくら量販店とはいえ、やはり店員の対応は大事だなと思いました。なぜなら、私はもう池袋の店で高額の買い物はしないと決心したからです。

本当に、日本脱出しかないぞ!

2005年07月29日 10時52分34秒 | 生活
日本の男性の人口が調査以降、はじめて減少しているそうです。これも、お年寄りの寿命が伸びたおかげで表面化するのが遅れただけで、当たり前の事と思えます。
「少子高齢化」 この問題がさけばれてどれだけ時間がたったでしょうか? そして国はこの問題をどれだけ置き去りにしてきたのでしょうか?
郵政民営化、国連の常任理事国入り、憲法改正など、決して多くの国民が望んでいる問題とは違うことに躍起になっている政府自民党。主権者である国民の代表という意識は持ち合わせていないとしか思えません。
私の周囲にも結婚しない男女、子供を作らない夫婦、二人目の子供を作らない夫婦などが多く、子供が三人いたら話題になるほど稀な存在になっています。それだけに「少子化」については非常に身近な話ですし、また、そう感じられない人の方が少ないと思います。
原因は明らかに現代日本社会のシステムの問題だと思います。個人の力ではいかんともしがたい問題です。少なくとも都市部では…。たしかに地方自治体はそれぞれ苦闘しているようですが、それも、子供を一生育てるという大問題にはいささか頼りないものといわざるを得ないでしょう。やはり国策として、21世紀最大のプロジェクトとして取り組まなければならないはずです。
政府がこの問題に真剣に取り組まないかぎり、まず、年金の破綻は当然の結末だし、市場規模が縮小して、経済規模も縮小、それにつれて税収の減少だって当然のことです。それなのに何も手をつけない政府。それに国の累積赤字の事を考えると、ひょっとするとこの国の政府は、将来の日本に見切りをつけているのでしょうか? そうとしか思えません。